消費税はやくあげろよ! せっつくさげまん女房?いや、放蕩亭主か?

原発再開反対で4万5千人の官邸前でも。


 


デモ? わたし見てないわ。 おれも見てないぞ。


NHKに問い合わせてみましょう。


 


「もしもし〜〜、これこれって本当なんでしょうか?」


 


「あ、そういうことも ありましね。 でも今は消費税の話題で・」


 


じゃあ、消費税反対の官邸前デモ行えばいいんだ


 


NHKに電話して確認しましょうかね。消費税反対なら放送するのか?って。


 


それとも、このことを受信料未払いの言い訳に使うかなあ・・・


 


なんて姑息な事を考えていたら、


本山さんが素晴らしい記事を書いてくれていた。


やっぱ有能な助手は持つモノだ(って、誰がオマエの助手になるか!)


 


まあ、人間、ひとりひとりがこの世界の幻灯の投影主だというなら、


俺以外はぜんぶ助手じゃないの?


 


じゃあ、あげまんってのも、自分が主人公だとすれば


運のよい、悪いおんなというのも、ぜんぶ自分がシナリオ書いて


その役割を呼び寄せたって事かい?


 









 

金(カネ)の切れ目が縁の切れ目



あげまん?


あんパンを油であげるとうまいよねえ。


 


おっと、本題の消費税は女房の催促だったっけ。


これって女房なのか、それとも亭主なのか、よく分かんないけど。


すごくせっついているってはなしじゃないの?


おれ、頭いいんだけど悪くてねえ


頭のかっこうはいいんだな、もし。


 


本山功二のホームページ.url


http://homepage2.nifty.com/motoyama/index.htm


なぜ政治生命をかけて消費税上げるのに必死なのか?


じつは政治生命なんてどうってことないんじゃないの?


だって、植木や生命にかけて


とかサラリーマン生命をかけて


って言っても、


そんなの


飯の種、つまり食いっぱぐれるかどうかの決断でしょ。


政治家で食いっぱぐれたってねえ・・・そんなのかけて貰ったって(笑い)


 


それよりも、もっときつい生命をかけているのなあ?


それも本当は幻想の生命なんだけどね。


 


ひとは殺されても死ぬことは出来ません(きっぱり)


 


 


 


 

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ガンを放っておいたらどうなる? 

きょうも朝から雨ですねえ〜


 


しょうがないから、ブログ書くか・・・


(あんたのは書くと言うよりも、貼り付けじゃないの)


 


うるさいハエが出てくる前に


 


 


●がんを放置したらどうなる? すべての治療を拒否した患者たちを追


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


ガンをそのまんま、ほったらかしにして
放置したらどうなる?



追跡調査で明らかになった現代医療という●○●○(伏せ字)の実態!



成人病の真実 近藤誠著/文藝春秋



●がんを放置したらどうなる? すべての治療を拒否した患者たちを追跡調査


を追跡調査


甲状腺がん>検診での発見率は3.5%(「内分泌外科」14巻181頁・ 1997年)。この論文の著者たちは、発見率があまり高いので疑問をいだき、手術しないで様子をみることを始めました。細胞診で「がん」と確認した10人 (腫瘍の直径は6〜12mm)の結果は、三年から六年の観察期間中に、腫瘍径が1ミリ増大したのが一人。2ミリ増大したのも一人。七人の腫瘍は逆に、 1〜2ミリ小さくなりました。残る一人ではがんが消えた。著者たちは、10ミリ以上のものだけを精査の対象とするよう方針を変更したとし、こう結びます。
「現在では検診でそのような病変(注・10ミリ未満のもの)を見つけても何もせず、本人に病変があることを告げることもしない。積極的に甲状腺がんを見逃しているわけである」と。そうしたら、発見率は○・九%に下がりました。

「潜在がん」という病変があります。生前症状がなく、他の病気や事故で死亡したとき解剖して初めてわかるがんです。いろいろな臓器にかなりの頻度でみつか ります。甲状腺についての日本の調査では9%から28%です(Canser、36巻、1095頁・1975年)。もし微細な病変まで検出できる方法があれ ば、3人に一人は甲状腺がんを指摘される。これに対し甲状腺がんによる死亡は、総死亡の0.1%で、あなたが甲状腺がんで亡くなる可能性は1000に一 つ・・・

これまでの知見を整理すると
?検診をすると、がんを多数発見できる。
?それらは大部分が潜在がんないし無害がんである。
?実際に放っておいても増大しないか、消えてしまう、
となります。

神経芽腫>という>小児がんがあります。それが尿中に特有な物質をだすことを利用して、乳児期に尿を調べる検診が、全国の全乳児を対象として行われています。発見される神経芽腫は比較的早期のものが多い。
検診がない時代に症状をだして発見されていた数と、新たに検診で発見されるようになった数がほぼ同じなので、発症して見つかる神経芽腫はゼロ近くになるは ずでした。ところが実際には、発症してくる数はいっこうに減らなかった。それに検診で発見されたものが加わり、神経芽腫の全国総数は倍増してしまったので す。

検診で発見した神経芽腫を手術することに疑問をもった、日本のある研究グループが、発見しても手術せず、様子をみることを始めました。
患児26人を4〜73か月様子をみています(J Clin Oncol」18巻3021頁.2000年)。
それによると、尿中物質の量が減ったのが19人(うち18人は腫瘍が縮小、4人は消失)。尿中物質が増加し、もしくは腫瘍が増大したのが7人。
増大や親の希望で手術したのが10人いたが、病理検査の結果たちの悪いがんはなかった。もう少し様子をみていれば、縮小に転じた可能性があります。
したがって、こういうことが読みとれます。神経芽腫には少なくとも二種類ある。一つは尿中物質をだして乳児の頃に発見されるが、放っておいても、増大しないか消えてしまう。
別のタイプは、乳児期には存在していないか、発見するには小さすぎる。しかしその後、急に育って進行がんになり、症状を引きおこす。

神経芽腫の検診を始めたことは間違いです。少なからぬ数の乳児が手術・放射線・抗がん剤で治療され、そのため発育障害などの後遺症で苦しみ、治療死する子 も少なくない。それなのに、進行した神経芽腫の発生を防ぐことができないのですから、無益というより有害です。それでも検診関係者たちは、検診をつづける構えでいます。



●早期胃がん>はどうか


・・・手術したくないという本人の意向に従い、・・・なにも治療しないで様子をみています。そのなかから、・・早期胃がんの経過を紹介しましょう。注意し てほしいのは、患者本人は、好き好んで放置しているわけではありません。とっても不安だけれども、胃を切りとられたら、後遺症や日常生活がひどいだろう。 思案を重ねたうえでのぎりぎりの選択です。

早期胃がんをみていると、じょじょに増大するものがあります。なかには進行がんといわれる状態にまでなるものもあり、痛みや、食事がとれないなどの症状を 引きおこすことがあります。その段階で、手術に意味がありそうなら、手術の相談をします。これまで二人が、胃がんを発見して数年後に手術をうけました。
・・・
検査から三年後に手術した一人は、腹膜や肝臓への転移ははっきりせず、胃がんを取りきることができました。痛みなどの症状はおさまり元気で、このまま治る可能性があります。

様子をみているなかで圧倒的多数は、大きさが変らないか、変ったとしてもわずかに大きくなるものです。
がんが消えてしまう人もいます。一人は拙著『患者よ、がんと闘うな』で紹介したKさんで、病変はいったん消えました。しかしその後、前と同じ部位に胃がん があらわれ、最後の検査では、最初のときの大きさに戻っています(二〇〇〇年までの経過は、柳原和子著『がん患者学』晶文社刊に)。胃がん発見以釆、今年 で八年になりますが、胃がんに由釆する症状はなく、体調良好です。

別の一人は、担当医に胃の三分の二切除を申し渡され、「 "#cc0033" size="4">切らなければ二年から五年で苦しんで死ぬことになる>」といわれました。セカンドオピニオンを求めた国立がんセンターで も、同じ言葉を聞いたといいます。彼はわたしに相談したあと、 "#cc0033" size="4">切らないことに決めたのですが、一年後の検査で、がんは消えていました。その後ずっと元気で、検査以来丸五年になります> (体験談が「現代」二〇〇一年六月号に)。
それにしても担当医も、国立がんセンターの医者も、なぜ二年から五年で死ぬといったのか。「早期胃がんが六〜七年も変化しないことは専門家の常識」であ り、一般人もふつうの医者も、そのことを知らないだけです。それなのに、五年以内に必ず苦しんで死ぬかのように脅すとは。・・・うがって考えると、早期胃 がんがなかなか成長しないことを、患者や世間に知られたくないのかもしれません。病変が切除されてしまえば、大きくならない事実を確かめようがないわけで す。
・・・
寿命の点はどうか。スウェーデンの大学病院での擬似くじ引き試験の結果。胃・十二指腸潰瘍の手術(胃を残す)をした人の希望者に、内視鏡検査を繰り返し 17年間観察。検査群(354人)では、胃がんが32人に、放置群(484人)では19人に発見された。頻度にすると、9%対4%。検査群では32人中 18人が早期がん。放置群では早期がんは2人でした。
従来のがん理論からすればこのくらい差があると、胃がんで死亡する人が放置群で多くなってしかるべき。ところが実際に胃がんで死亡した数は、放置群が14人(死亡率2.9%)、検査群では12人(3.4%)と変らなかった(「Scand J Gastroenterol」26巻1020頁・1991年)。したがって検査群で余計にみつかった胃がんは、放置しても大きくならない病変である。検査で発見された胃がんが大きくならないか消えてしまうのは、必然ないし自然のようです。



●ニュージーランドの疫学調査


子宮ガンの検診で、子宮頸部の上皮内癌(早期の癌)と診断されながら
 治療を受けなかった女性(750人)を20年間追跡した結果である



◆資料 医者が薦める不養生/遠山高史、新潮出版より

癌の中で取り扱かいが容易とされる子宮頸癌は早期の癌と診断されると、通常はことごとく手術となってしまう。取ってなくなってしまうので、早期の癌に自然 消滅があるなどと確かめられない。集団検診によって、子宮頸部の上皮内癌(早期の癌)と診断されながら、治療を受けなかった女性を、20年間追跡した ニュージーランドの疫学調査がある。このような女性750人のうち、子宮頸癌となった者は、10人(1.3%)しかいなかった。しかも、検診で見つけられ た上皮内癌から本当の癌に進展したと認められたのは2例しかなく、他は、当初の上皮内癌とは関係なく起こったものと考えられたという。  

このことは別のことからも裏づけられた。子宮の集団検診をしている地域の子宮癌罹患率と、していない地域の罹患率はほとんど変っていなかったのである。
 上皮内癌の病理所見(視覚的形態的診断)と発達した子宮癌の病理所見が似ていたことから、おたまじゃくしはなまずに似ているからなまずの子式の発想で、上皮内癌は子宮頸癌の子供と思われたのではなかろうか。  上皮内癌といわれて、それが本当の癌に発達するのは750人中2人しかいないとしても、子供を後々望まないのなら、子宮を取ってもいいのだろう。
 ただ、日本の婦人科医がこの確率を頭に入れて、患者に手術を勧めてきたとは思えない。
 むろん、ニュージーランドの疫学調査を100%うのみにはできないにしても、日本の癌学者がこの論文を否定しうる根拠を示し得ないことは確かなのである。従って、日本の癌医学は定量的に未来の予測をなし得ておらず、科学とはまだいえる段階に達していない。



●この追跡調査のまとめ


治療を受けなかった女性750人の中で、20年の間かかって本格的な子宮頸癌になった人はたったの10人(1.3%)です。
その10人のうち、検診時に見つけられた上皮内癌が進行したものは2例(0.3%)
他は検診時の上皮内癌とは関係なく出来たガン(1%)だけ。

検診を受けて、ガン宣告された人のうち、上皮内ガンと宣告された750人中、2人しか本ガンが進行した人はいなかったことになります。
この確率はすぐに摘出手術を受けた人たちも同程度の確率なはずです。

子宮ガンの発見率からすると13万人が検診を受け、その内約3000人にガン宣告がされた事に相当します
宣告された3000人のうち、本物の進行性のガンを見つけてもらった人はたったの8人!
750人は治療拒否なので2200人余りが不要な手術を受けたことになります。
この計算で行くと子宮癌検診でガンが見つかったとされるガンを放置して死ぬ確立は13万分の8人となります。
ところが、この計算は単純計算であり、50代で検診を受けて発見されたとするならば20年経てば70歳ですから、発見された子宮ガンが大きくなって悪化して死ぬ頃には、天寿を全うしているというわけです。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


 


 


 


 

病気呼ぼう接種とは

病気を予防ではなく、将来の病気を呼ぼうという意味。


予防接種の原理正体がわかれば、すべてのワクチンの意味が分かる。


ゆえに、A病もB,C,D病も個別にある予防接種(ワクチン)の区別も関係なくなる。


 


まず、免疫


疫病を逃れる、疫病から免除される。


疫病・・昔は原因が分からなかったから疫病


いまは原因の大半を微生物群にした。 ウイルスや細菌類


 


それに対抗する為の予防方法を考えた。


予防するために接種するもの  予防接種。


ワクチンと称した。


 


で、ワクチンを体内に入れると「抗体」が出来るという:


抗体が免役してくれるというのだ。


たしかに抗体ができるらしい。


しかし、その抗体は


免疫としては役に立たない。


なぜか?


 


そのまえに免疫、つまり病気を逃れるという意味。


身体の中にある毒素を無くすことが大原則。


その毒素を出す、排泄する力を免疫力。つまり病気は浄化作用という意味。


 


その毒素浄化の働きたる免疫力を弱めてしまう。


 


つまり、毒素を出さないようにして押し込めてしまう。


これを岡田茂吉は「固める」と称した。


ホメオパシーでは「抑圧」と称した。


 


おなじこと。


ようするに、病気の源である体内毒素を外に出そうとするのが


自然免疫力。


体内にある毒を外に出さないで内に押し込めるのが


人工的免疫力。


 


その違いは似て非なるモノ。


借金を例にすれば一目瞭然だ。


借りたモノを返すか、また借りて借金を貯め込むかの違いだ。


 


予防接種の正体は後者だから。


 


「よく効くワクチン」ほど「借金を増やす」ということだ。


これは医学者先々達に呼んでもらいたい。


あ、読んでね。


 


でも、ワクチン会社から景品もらってたらダメかな?


 


ワクチン、ワクチン、ワクチン、ソチン


みな似たようなものだ(爆)


 


 


わたしんちの医学革命と岡田茂吉研究 : 免疫と抗体論 ホメオパシーより


 


音声読み上げ: ホメオパシー論から「免疫と抗体論


 


やあ、風邪引いていますか!? インフルエンザ? おお〜よかったですねえ


 


 


ついでに


電子書籍版のご案内


 


 

最後の切り札、延命装置。 それは私です(癌細胞からの伝言)

毎日、まいにちぼくらはてっぱんの〜〜


 


じゃねえ。


まいにち、まいにちぼくらは癌細胞〜〜


 



毎日無数の癌細胞が産まれるという


だが世界免疫機構が働いて消してくれるという。


だが、だが、それにも限度があることがある。


 


ついにはその癌細胞に全面的に任せるという段階に入るときだ。


 


究極の延命装置


 


そう、それが癌細胞免疫システムの再稼働だ。


 


いや、原発じゃないよ。


 


もう少々の癌細胞システムじゃ間に合わない時。


 


全面的に大々的に任せられる。


 


少しでも縁命してもらいたい。


縁のあるかぎり・・・


 


そこで縁とはこの身のこの世での体験期間とも言うらしい。


(ほんとかどうかは知らんが)


 


 


最後の切り札、ガン細胞の全面介入。


 


それがガン縁命装置の全面起動開始だ。


 




あなたの免疫細胞ががん転移の手助けをしている


 


免疫システムとは


 


できる限り身体を長持ちさせるために作動している。


 


この最終的な免疫システムと言われるガン免疫システムを


 


人間は逆にとってしまった。


そこに悲劇を生みだして


 


人生の華を生み出そうとしたのかも知れない。


 


そこには悲劇という


舞台を創り出して


そこから


感動という


 


この世でしか味わえない劇を演じられるから・・・


 


 


あの世では決して味わう事の出来ない


感情という最高のパフォーマンス


 


 


嗚呼、このくだらない素晴らしい世界にかんぱ〜い(缶コーヒーの宣伝か!)


 


 


 つい、つい、追記


リンクの記事、あれは最初からガンが短命にしているという視点から見ている。


 


ところが、免疫システムというは、あくまで縁命にある。つまり生きるべき時まで延命させる


という意味だが、最後までそれを裏切るわけがない。


そう、ガン細胞にその延命(ガン細胞が無かったらもっと早く逝っただろう)装置として


の役割をさせているのだ。


 


そんな事も知らない土素人医学者が「免疫システムの裏切り」とかなんとか逆にとっている


だけのことだろう。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

縁命治療

まったまた〜〜誤字でしょ〜〜


 


縁命じゃないでしょ。 延命ですよ。


 


困った文じゃ焼き、ま、小学生以下の人には通用するかもねえ、このブログ


 


でも、猿には通用しないぜ。 


よく「猿にもわかるナンチャラ」ってあるでしょ。


あれ、猿に分かるわけねえ。  


猿に分かるとすりゃあ、にんげん猿波にbakaってことでしょ?


 


猿にも分かる・・なら、あんたでも分かる・・っていう意味なんでしょうけど


 


よく考えてみたら、猿って超bakaでしょ、にんげんから言えば。


超bakaでも分かる、ナンチャラって


おいら、超bakaっていわれてんだな。  


 


昨日のわい鏡、「おれは頭悪いからな・」


と言ったので、


「そうそう」


ってあいづち打ったら


どうもそれがカチンと来たのかもしれない。


 


bakaでもわかるナンチャラなんて言うけど、あんたがそれだひょ。


なんて言われたら、たとえ自称bakaと言っても、許せないな。


 


なら、おいらはbakaだなんて言わなきゃいいのに(爆)


おいらはbakaだ。 


けど、他人から言われたくない。


特におめえからはな。


 


なら、おれの前で言うなよ!


つい相づち打っちゃうよな。


そして、怒っていりゃ、ほんとに猿だよ。 


 


そういえば、おまえは兄弟の中で一番頭がいいな・・・


と二人の兄貴がおいらを褒めていたっけ。


けど、


おい、おまえどうしたんだ!?


ダイジョウブかな?


 


おいおい、おまえらよりオイラは頭よかったんじゃないのかい?


ほなら、おいらより頭の悪いお兄さん達よ、おまえらより頭の良いオイラの心配


してどうする?


 


おれに分かるようにオマエの言い分を聞かせろ!


そいつはオレは頭が悪いと自称していながらオイラに言う。


 


もう、人の原質を知ると、


なんだ、


頭の悪い人、良い人の意味がやっと分かってきた


 


 


頭の(形の)良い人


頭の(かっこうの)悪い人


 


なんだ、勘違いしていたおいらの頭が悪かったんだ・・


 


ただし


 


頭のかっこうの悪さだけどよ。


 


A


何を書こうとしていたんだろうか?


 


だいぶ間をおいて


 


 


患者の死ぬ権利を尊重しよう (06/10)


 


まあ、死も生もバーチャル空間の疑似体験だというから、


死んだ気になって、生きた気になる


ってことでどうかな?


 


このまえ聞いた話


 


「せんせい、どうかこの人は私にとって大切な人なんです。


どうか、どうか、精一杯長生きさせてください!


 


 


かくして、愛されている夫は延命治療と称して


配管工事(人間水道工事、じゃない。チューブ繋がれて)は施され


本人は「はやく逝きたいよ〜〜」


と。


 


しかし


 


愛する妻は


「はいはい、生きたいのね、一時間でも一分でもね」


 


と。


 


ただ、心臓は動いている内は死んだように生き続けるのだった。


 


しかし、


それも世のすれ違いはつづく


 


その心臓、いただきま〜す〜0


と。


脳死という新たな死を創り出したそうな。


 


 


 


あ、もうおいら逝きそうだから


こんな無責任な放言、イクラでもなんでもウニでもなんでも持ってこいってんだ!


ういぃ〜〜


 


もう、末期だな・・


 


ひとは縁で生まれ縁で逝く


 


その縁ってのは?


命さえも縁の内


もともと縁命なんだな、その「縁」により「縁」により逝く


 


もっとも逝くのも疑似体験だそうだけど。


 


 


 


 

塞翁が馬にんげんは今日も突っ走るぞ〜〜

なあ、  友蔵よ  


世の中はおもしろいものよ のう〜


 


悪をなして   善となることもあり


善となして  悪となることもある


 


 


 


そのまんまのセリフじゃ無いけど、鬼平シリーズ


鬼の平三が泥棒の友蔵に しみじみ語っている小舟の上でのシーン


 


 


これを ときどき 思い出し


 


なるほどなあ


 


悪という役割、善という役割


 


この世は、超リアルゲーム体験空間


とかいう「魂のインターネット」論と照らし合わせてみる。


 


このゲームはなんと、おいらの感情を揺さぶるんだろうか・・・・


これじゃあ、きっと本当の真の現実世界では決して味わいないんじゃないのか?


 


どうして、こんなウソとねつ造と虚構の多い世界に生まれてきたのか?


それも「わざわざ」選んで、進んで・・・とかいう。


 


先日幼なじみと久しぶりに呑んだ。


 


そして、いつものようにくだらない議論(これは議論じゃないな、ただの与太愚痴)


になり、


相手は怒って「ばかやろ〜〜、おれは帰る!」


 


今回はやつが怒って発狂した(笑い)


しかし、なんどか合って呑むとき、この様に怒ってしまうのはオイラの方が多かったかも(苦笑)


 


 


相手は自分の鏡だと言うことは知っている。


しかし、実際に鏡をみて冷静に見ていられる事はほとんどない。


 


例えばお面をかぶって鏡を見るとする。


そのお面がすごくきれいな顔のお面だったら、すごく気持ちがよい。


だけど、


醜い、しわくちゃじいさんでしかもすごく頑固で低脳のようなお面だったら


鏡を見た途端


 


こいつはオレじゃない!!


トンデモないこいつがオレの目の前にいる


バッカヤロ〜〜出て行け〜〜〜


 


とわめいて非難しまくってやったら、


向こうも同じようにわめいているじゃないか。


 


ますます、頭にきて、ばっきゃろ〜〜


そしたら、相手も捨て台詞を残して去って行った。


 


ふう、


おいらは鏡を後ろにして、お面をかぶっていたのを思い出して


しずかにそれをとった・・・


 


しばらくはその余韻に酔っていた。。。


 


もうあのお面を見ることはないだろうなあ・・・


 


一ヶ月もすぎただろうか・・・


 


携帯がなった


 


「おい、どうしてる、いきているかあ」


「ああ、ひさしぶりに呑むかあ」


「おお、よしこれから行くぞ」


 


そして、その日もまた鏡を見ることになった。


こんどはおいらの方が先に切れて


 


「ばっきゃろ〜〜」


と叫んで逃げていった。


 


「おい、逃げるのか〜〜、一生逃げているのか〜〜おめえは〜」


奴の罵声が追い打ちをかけてきた・・・


 


ところでこの鏡という話はまったく実感できない。


知ってはいるが(爆


 


それも個人だけでなく、


自分が見る世界はぜんぶ自分の責任範囲だというのだ。


 


絶対信じられない!


そこで、音が聞こえてきた・・


 


トテカントントン


 


↑、太宰治(正確じゃないかも)


 


なんだこの音は


 


あんたの見ている世界で感情移入するのもいいけど・・
あんたの創造範囲を超えないんだよ・・


 


自分でもよく分からないまえがきを終わりまして、、


 


いま正義は、、こうなった   


感謝と決意 にわやま由紀


さてはてメモ帳様より


しかし、


こちらも


[ネタ]桐生市のうんこたれ発言議員


さてはて赤あげようか、白あげようか、赤下げて白下げようか・・


ええ〜い、ママよ!


これ縫ってチョウダイ


って  裏表に赤と白貼り付けてあげちゃった。


 


 


なあ友蔵よ


こんなこともあったらしいぞ


 


「悪い奴」、「あくどい奴」=「悪奴(あくど)」は世間にはゴマンといる。
みんな楽しくHappy♡がいい♪』というブログが、楽しくない情報をスッパぬいているが、関西電力大飯(おおい)原発3、4号機の安全性を確認したという福井県原子力安全専門委員会は、なんとなんと、委員の半数近くが電力業界から寄付を受けていた! というのだ。


 


はは、平三様  泥棒世界では当たり前だのクラッカーでして、、へへへ


 


そうよのう、学者、専門家と名乗る泥棒もいるとは聞いていたが・・・


へい、まあ江戸の庶民はそういう肩書きによわいもんでして・・
よく使うんですよわしらは。
普段呑ませたり、芸子さんつけたりして手なずけておくんでヤス。 友蔵


 


いざというときに役に立つ・・というわけか(鬼平)


へへへ、


ところでのう、ともぞうよ


幕府の方でももっとすごいことが行われているのを知っていたか?


へえ、わしら泥棒なかまはいろんな情報を集めているプロ集団ですから・・・(笑い)


そうよのう〜〜
泥棒家業とはいえ、ウソやねつ造、相手をだまくらかして、盗み家業がなりたつわけだからのう〜〜。たとえ個人独立事業主のおめえであっても、基本は同じということか。。


 


へえ、小も大も同じなんでございますよ〜〜鬼平さま、いや、平蔵様
しかし、わしらはあこぎな悪党はしませんぞ。
相手はいつもあくどい金持ちばかりを狙っているんでございました


 


そうよのう〜〜泥棒にも三分の理か・・泥棒のなかでも正統派ってことか・・


 


へえ−^^〜〜わしらはまっとうな泥棒でございますから。


はっははは〜  


鬼の平蔵は高らかにわらってたばこをくゆらした・・・


 


)あ、もう、こんな時間だ!  時間かけてシマッタ!(   ←括弧悪い


 


今日のきわめつけだ、よく読んで見ろへいぞうよ


 


へえ。  あ、わし文字読めないんでした  もうしわけありません〜〜


 


なに〜〜獄門さらし首じゃ。


 


ポンとキセルを叩き、鬼兵は怒って立ち上がった。


 


6/20 「日本がアメリカに占領される」・・・菅氏が抱いた不安は当然である


人力でOG様↑


 


これ視点の違いから言うと


ひじょ〜〜におもしろい内容です。


 


鬼平好みでございます。


善とか悪とか  なんチャラ言っても


ぜんぶ塞翁が馬  ひひ〜〜ん  ニンジン前にぶら下げるな!


いつまでも突っ走るにんげん塞翁が馬   


鹿もいるぜよ


 


 

毎日病院で起きている地下鉄サリン事件以上の毒ガス兵器犯罪の被害

おお〜すごい題名になっている!!


 


ご紹介すますた(たまきん師をまねている)


この動画は音声を主としているようですね。


画像の切り替えがあんまり速く・・・・


 


ねえ、もっともっと〜〜〜


いや、そうは逝かない、どんどんどんどんながさないと・


 


いやあ〜もっと集中して〜〜〜


ほんと、うつりかわりが速すぎてしゅうちゅうできないわよ〜〜


 


おらおらおら〜0 これでもかあ〜〜〜〜


 


だめよ、そんなに速くては。


やっぱりアンタとはもう疎遠ね。


 


え?


 


(この↓動画と上の文はぜんぜん関係ないことをあらかじめお断りしておきます。)


 


 


毎日病院で起きている地下鉄サリン事件以上の毒ガス兵器犯罪の被害

にんげんと健康について  あの世からの伝言

 ごぞんじシルバーバーチの伝言です。


にんげんと病気について


ずっと昔の伝言が現代になってようやく理解できるようになりました。


 


健康のためなら死んでも良い!?族にお薦め


 


人生の目的は健康じゃない


 


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


 




 肉体は霊の道具

 健康はいつの時代においても人々の大きな関心事である。霊訓の中にも健康についての箇所が多く見られる。霊訓に示される“健康観”は、従来のものと比べ格段に優れている。
 地上の人間は霊肉両面(霊体と肉体)から成り立っている。そしてその間には密接な相互関係があり、お互いに影響を及ぼし合っている。霊体はわれわれ人間の“永遠の実在形態”であり、肉体はその霊体に対する“地上の道具”とも言うべきものである。どこまでも優位にあるのは霊的なものであるが、地上にいる以上は、肉体という道具なくして存在することはできない。この意味で、地上人にとっては肉体は重要不可欠な道具である。
 この大事な道具に対し、シルバーバーチは、「よく手入れして大切にしなさい……」と言っている。 
 
 だが勘違いしてはならないのは、人間全体として最も大切なことは“霊の成長”である。その霊(魂)の成長を無視して、身体の健康のことばかりにとらわれるとするなら本末転倒である。霊をないがしろにし、肉体だけを健康にしようとしても無理である。
「地上で、できる限りの奉仕をするために道具である肉体を健全にしたい!」とか、「心の状態をスッキリさせるために肉体を健全にしたい!」という、高い気持が先行して身体の健康を願う時、結果的に肉体の健康は保たれるのである。
 少しでも長生きしたいという動機から肉体だけを健康にしようとしても、決してよい結果は得られない。余分なストレス・心配をつくり上げるだけである。
 物質的に豊かな世になると健康産業が花盛りになり、医学に莫大な金額をつぎ込んだり、健康法マニアが現れるが、本質の忘れ去られたところで、そうした努力が実を結ぶことはない。
 
 
 心と肉体の調和

 前述したように、地上の人間の霊体と肉体はお互いに影響を及ぼし合っている。肉体の調子が悪ければイライラし精神状態も悪くなる。適切な運動・正しい食事・適度な休養という身体の手入れを通して体調を良く保つように心がければ、心・精神の状態も当然良くなる。また霊的真理に基づいた考え方・心の持ち方をし精神が安定していれば、霊体は肉体へ良い影響を及ぼすようになり肉体も健康になる。このように、心と精神と肉体は密接な相互関係に立っている。
 地上人生においての真の健康とは――『心・精神・肉体の三者がともに健全であり、お互いが良い影響を及ぼし合って全体として調和がとれていること』である。(※近年「心身相関医学」という新しい分野が確立されたが、それは、心の持ち方・精神状態が身体の健康と大きな関係があるという“霊的法則”に合致したものと言える)

 
 
 心の力を無視した現代医学

 一般に現代医学では、心が肉体に及ぼす影響を過小評価している。これは霊的真理に対して無知であるためである。心が肉体に及ぼす力は、実はどんな薬や医学的手段よりも強力なのである。ゆえに“霊の影響力”を無視するところに全体の調和はもたらされない。肉体のことだけを考え、その領域の中だけですべて対処しよう(薬・栄養・運動)としても病気は治らないし、健康にはなれない。
 そうした“唯物的観点”に立った医学観は、さらに進めば、臓器移植や無意味な延命処置といった方向へ進んでいく。

 
   
 心の調和が健康の第一条件

 心・精神の正常化を計らずして、病気は治らないし健康にはなれない。エゴ的思い・取り越し苦労・不安・イライラ・ストレス――これらは心と精神を不調和にして、肉体へ悪い影響をもたらす。心・精神が喜びに満ち、安定し調和がとれていれば、肉体の恒常性機能・免疫機能は健全に働き、ほとんどの病気は癒されるのである。現代病の最大の原因は、実はストレスであると言われるのはこのためである。
 もし、心・精神が健全なら、物質的悪条件(悪い食べ物、汚れた空気・水・環境)から肉体に異常が生じても、その悪影響は最低限度にとどめられるであろう。
 霊界通信は、「現代人の病気の最大原因は、心の不調和(ストレス・不安など)による心身の不調和である」と述べている。

  
 ※――ホリスティック医学 
最近、ホリスティック医学という新しい医学の考え方が為されるようになってきた。これまでの現代医学は徹底した唯物論的観点に立って、人体を機械のように多くの部品の集まりと見なしてきた。それに対しホリスティック医学では、「人体のすべての部分は有機的関連性を持ち、全体が一つの強力な有機的身体をつくり上げている」という見方をする。
 治療もこれまでのような、臓器主義や薬物・手術を最優先する唯物主義ではなく、身体全体の生命力・治癒力を高めるという、根本治療を重視する。現代医学が成人病などの全身退化病には全くお手上げであるのに対し、ホリスティック医学では、全身の機能向上を計る治療法を用いて大きな効果を上げている。
 霊的観点から見れば、ホリスティック医学は従来のものに比べて大きく進歩している。が、いまだ霊体の実在を大前提とはしていない。また死後の世界の実在を、確固たる事実として認定するまでには至っていない。
 こうした点でホリスティック医学は、「将来の霊的真理に立った医学に至る過渡的プロセスを歩んでいる」と言えるのである。

 
 
 カルマによる病気

 地上世界は悪因縁の償いをするための、さまざまな苦しみを体験する場所でもある。その苦しみが病気という形で現れる場合がある。こういうケースでは、一定の苦しみをへて意識の変化が生じ、その悪因縁が切れるまで、病気はどのような手段を講じても治らない。将来どんなに医学が発達しても、この種の病気は治らない。またどれほど優れた心霊治療家にかかっても、その病気は治らない。
 このように――『因縁的にどうしても治らない病気もある』ということをしっかり知っておかねばならない。病気に対するこのような認識は、霊的真理があって初めて分かることであり“最も深い医学観”の一つと言える。この事実が分からないと、有名な心霊治療家を次々と渡り歩き、奇蹟を求めて血まなこになる、ということにもなりかねない。
 しかし因縁による場合は、何が何でも病気を治そうとするより、苦しみを受け止め、そこから何らかの教訓を学び取ろうとすることが必要なのである。

 
 
 霊的事実に立った医学

 永い闘病生活の末、死亡するという事態を迎えると、大半の人々は死を悲劇的出来事・悲惨な結末と考えがちである。が、何度も述べてきたように死は悲劇的出来事ではない。それどころか、病気の苦しみからその人を解放してくれる喜ばしい出来事である。本来は、医者が遺族に対してそうした事実を述べて、心の持ち方を整理してあげるべきなのである。
 また生命は神が与えたものである以上、死への旅立ちのプロセスは自然の成り行きに任せるべきである。死ぬ時がくれば必ず死ぬのである。だから“安楽死”といって、わざわざ生命を断ち切るというようなこともしてはならない。外見は植物人間として蘇生不可能であるとしても、その状況下で、当の本人の魂(大きな意識)は、必要な苦しみの体験をしていることもある。また植物人間の状態で、霊体が肉体から自然な形で徐々に抜け出ていることもある。
 本来は医者自身が、こうした霊体と肉体両面にわたる事実に立って、正しく対処すべきことなのである。
 
 ※――人の死の瞬間は、霊体と肉体をつなぐシルバーコードが切れる時である。従って、シルバーコードを見ることのできる霊能者がその場にいた時、はじめて死の瞬間の判定が可能となる。現代は脳死の問題が盛んに取り上げられているが、厳密な意味での死の判定は、脳波とは食い違うことがある。
     
 
 
 地上サイドから見た健康条件

 以上、地上人の健康の問題を、霊界人の視点から見てきた。ここで健康・医学の問題を、別の角度・地上サイドから見てみよう。
 肉体の驚異的なシステムを見る時、われわれの肉体は、神が最高の知恵を結集して造ってくださった作品であることを認めざるを得ない。しかも肉体はただ精妙に造られているばかりでなく、その精妙な肉体が狂いなく維持される仕組み(恒常性機能)も与えられ、さらに肉体が間違った使用法によってこわれた時に、それを修理するシステムまで、あらかじめ与えられているのである。このように神の英知と配慮が、われわれの肉体にはぎっしりと詰まっている。
 ゆえにわれわれ人間がかなり不自然な肉体の使い方、酷使をしないかぎり、健康を維持できるのは当たり前のことなのである。が、現在、地上人生を送る人間の中で健全な肉体を持
っている者が極めて少ないということは、いかに肉体を間違って使っているか、不自然な取り扱い方をしているか、ということなのである。
 霊的真理が普及するにつれ、摂理に添った自然な生き方が分かるようになり、それと同時に肉体の使い方・扱い方も正しくなっていく。当然、これまでの健康観・医学観も根本から変化するようになる。将来の医学は、正しい健康生活のための養生法(予防医学)が重要視され、治療法としては自然治癒力を活用する方法が当然中心となっていく。免疫治療法などの方法が主流になっていくことは間違いない。
 
 摂理に添った自然な生き方が、そのまま“健康条件”となる。そしてそれは病気になった時の治療法でもある。なぜなら健康条件が欠けた時、病気になるのであるから、その欠けたものを補えば健康になるということは当然の理である。
 その健康条件イコール治療法とは、具体的には次に示す四つの条件から成り立つ。この四つの条件が満たされた時健康は維持され、病気は防がれ、たとえ病気になったとしても免疫力を最大限に発揮して、すばやく治すことができるようになる。免疫などの恒常性機能をつかさどる、自律神経系、ホルモン系、さらには気の系統までが最も良い状態におかれるからである。

 
 
?   健全な精神状態(明るく、生きがいを持って、前向きで、安定した)
 ?   正しい食生活
 ?   正しい休養
 ?   適切な運動

 
 これらを簡単に説明しておこう。四つの条件の中で一番大きなウエイトを持つのが、?の精神状態であることは言うまでもない。マイナスの精神状態や感情、さらに不安・心配・絶望といったマイナスのストレスは免疫力の働きを著しく落としめる。元来明るい性格の持ち主もいて、そういう者はがいして健康である。とは言っても性格的なものだけでは、人生を根本から変えるような大きな苦しみの峠には対処できない。深い価値観・人生観に立って、
広い視野を持てた時こそ、人間は地上の苦しみを大きいところから眺め下ろし、冷静に対処することができるのである。知性的な土台の上に立って、精神をコントロールすることが必要となる。
 その意味で、霊的真理ほど心を広く、深く、安定させてくれるものはない。霊的真理ほど強力なものはないと言える。その上で精神状態を良くする他の方法を併せて用いるとよいであろう。(呼吸法、瞑想法、ヨガ、運動法など)
 精神状態と免疫の関係は現代医学の前線分野のテーマである。「精神・神経免疫学」という新しい医学分野も生まれている。
 
 ?正しい食生活。霊性が鈍り、本能のおもむくままの生活は肉体の質の低下をもたらす。その結果、現代人は、肉体に良い食べものが何なのかも分からなくなってしまった。物質文明の進歩と同時に飽食にいっそう拍車がかかり、全人類半病人と化してしまった。これまで一般に、ぜいたくな食べ物、高価な食べ物ほど栄養価が高いと言われてきた。しかし最近の栄養学は、こうした食べ物ほど栄養価が低く、むしろ従来からの粗食(伝統食)こそ栄養価が高いことを明らかにしている。肉欲を満たすことは、結局、自分自身の首を絞めるようになることを証明している。
 栄養学は現代医学の最前線の分野である。ビタミン・ミネラルといった微量栄養素の研究、食物繊維の研究、油の研究、免疫強化物質の研究など、めざましいスピードで進歩している。肉体の健康の研究は、今日では分子レベルにまで掘り下げられている。栄養素の働きが分子レベルでとらえられるようになり、「分子矯正医学」という新しい分野が登場した。そして人間の健康について、多くの栄養学的知見をもたらした。その結果、人類の食生活は急速に改善されつつある。
 ただし、こうした研究のアプローチは、どこまでも肉体的・物質的側面からのみのものである。食生活は健康全体の一パートにすぎない。ゆえに万全の食生活・栄養条件が満たされたとしても、それだけで完璧な健康がもたらされるわけではない。
 
 ?正しい休養。価値観を変え、優先すべきものを人生の中心にすえたら、肉体の健康を損ねるほど働くこともなくなるであろう。地上の仕事で、健康を犠牲にしてまでしなければならないものはない。現代人の大半は、どちらでもいいこと、さして大切でないことのために多くのエネルギーと時間を費やし疲れ果てている。また、この仕事は自分以外にはできないという思い上がりや、独りよがりの思い込みによって、身体を無意味に酷使していることが多いのである。
 疲れたら休み、エネルギーを蓄えるというのが摂理に叶った在り方であるし、正しい身体の管理なのである。それによって恒常性機能も正常に働くようになるし、精神と肉体のバランスを取り戻すことができるようになる。
 
 ?人間は体を動かし、汗を流して、全身の機能が正常に働くようになっている。怠惰な生活、横着な生活から健康は得られない。運動法の必要が説かれ、多くの人々が運動をしているのは良いことである。適度な全身運動は自律神経のバランスを取り戻し、ストレスを解消して免疫を強化したり、全身の恒常性機能を高めるなど大きな効果がある。
 この際、大切なことは“適度”ということである。プロスポーツやオリンピックの選手などは、身体を酷使しこわしてまでも能力を高めようとするが、それは何の意味もないことである。「肉体は霊の道具である」という肝心なことを全く無視した発想である。これはエゴ以外の何物でもない。
 が、たとえ適度な運動をしたとしても、それだけで健康を手にすることはできないのは言うまでもない。 
 
 以上、健康の条件について述べてきたが、ここで忘れてはならないことは、どんなベストの健康生活をしても、因縁から病気になることもある、ということである。『病気による苦しみの体験が、その人の魂の成長にとって必要ならば病気になる』ということである。地上での肉体の健康よりも、魂の成長の方がより大切であるからである。その意味では、われわれ地上人の健康の一番深いところは“因果律”によって支配され、影響を受けているということなのである。




ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー



TITLE:健康・医学について
DATE:2003/09/10 11:33
URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/essece-kenkou.htm

神は呑んで雄叫びを上げる  (こともある)

堕落したねえ〜


 


はい・・・


呑んでばかりいるらしいけど?


はい・・・・


 


宗教辞めてあんた堕落ひとすじかい?


はい・・・


 


それで宗教嫌いになった?


いいえ、嫌いじゃ無く、波動が合わなくなったんです。


 


でも、「宗教が要らない」とか言ってるじゃん?


いえ、わたすのことはいいんです。


よくないよ。


じゃあ、なんで宗教要らないなんて言うの?


いえ、脱じゃなく、卒なんです。


 


ほほう・・・うまく表現したね。
でも、どうみても君の生活は堕落ひとすじだよな?


 


だからあ〜〜、ワシのことはほっといてくださいって!


そうはいかないよ、それだけ偉そうなこというからはな。
そうとう偉い人物になってから言うぞ、そういうこと。


 


だからっ!  わすを見るなって言ってんだい!!


 


じゃ、なぜ岡田茂吉研究の分類にこれを入れた?


 


そこが意味深長なんでひょ。


じつは・・・教祖さんがこれ入れろってあちらの世界からせっつくんですよ。


 


なにい〜堕落元信者が何を言う!


向こうの世界に逝くと、本当の事を知るんでしょ?きっと。


そうなってから、「あ、ちみぃ〜〜これ訂正ね。」などと、言っても誰も聞こえない。だから誰かの意識に働きかけて代わりに言って貰うんでしょ?


そうかなあ? それにおめえに働きかけるとはとても思えない。
だいいち、人格が・・・低次元すぎる!!


 


しかたないでしょ、偉そうな立派な人格者さんたちは「勘違い」しているから、聞く耳持たずなんだから。


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


「ニュー・メタフィジックス」(new Meta-Physics)

宗教(religion)
                                第2節



この節でも宗教と政府という概念を統合する立場から見ていきます。
皆さんが無条件の愛を通して自分の力を取り戻していく時、すなわち自分が宗教や政府と対等である
ことを認め、そして大いなる全てと対等であると認め始めた時、社会の中においても、
性格の部分を通して、皆さん神聖さを創造的に表現することが可能であることが理解できるでしょう。
(「性格」自体は肉体をもつ以上存続するものですが・・・・)。
このようにして皆さんのいう地上の楽園が創られるのです。
ここでは皆さんの宗教によって創られてきたシンボル(象徴)全てを見ていきます。
それらがいかに地球上に形となって現たかも見ていきます。シンボルのメカニズムも理解できるでしょう。
自分自身の典型的なエネルギーに触れそれが意識の奥深くに地下水のように流れているのを
感じるかもしれません。そして、元型エネルギーが潜在意識の中でいかに幻想とシンボルを
創りだしているかを見るでしょう。このエネルギーは、皆さんが周りの世界と関わり合う手段として、
元型からの全てのシンボルを創造するために使われているだけなのです。その関わり合いの相手が
本当は自分自身、すなわち創造主である大いなる全てであると気づくまで、これが続きます。
元型のエネルギーから一度この分離を創り出すと、今度はその分離を強化するために必要な
シンボルを常に使い始めます。これは皆さんが心理学呼んでいる一つの考え方を通して理解できます。
実際にはすでに、心理学が宗教に取って代わり始めているのです。

このようにして、自分が分離した存在であるという考え方から創造した、多数の意識の流れが
あることが分かります。皆さんは自分の意識の中を、表層意識、無意識、潜在意識、超意識、
集合意識、そして皆さんの性格の様々な部分にと分離してしまいました。

今まで(といっても2万5千年サイクルの中ですが)これらの様々な性格に分離してしまった部分が、
悪魔、天使、その他の宗教的なシンボルを生み出してきました。これらのシンボルの背後に、
実際の意識エネルギーがまったく無かったとはいえません。しかし、皆さんの新しく統合された
観点をもってすれば、これらの概念の多くが自分の高次の意識の一部の反映であり、
人工的な人格化を施すことによって、いかに自分自身の目にとまるようにしていたかを理解するでしょう。

自らが創りだした分離の中で、元型のエネルギーを用いることによって、自分たちが理解できるような
シンボルを創造してきました。大いなる全て、「知恵」、ワンネス(本来のあなたであるすべてに
ひとつである状態)、これらから分離帯したいという望みがあったために創りだした「怖れ」を
強化するために、これらのシンボルを創造したのです。

皆さんの心理学や精神医学と呼ばれる道具を用いて、これらのエネルギーの流れや考え方を、
自分や他の意識のもつ様々な側面に関わり合いというスクリーンを投影していることを理解し始めています。

ひとつの例としては、皆さんは複数の次元にまたがって演じている全てのドラマ、
全ての人生を見始めるでしょう。救世主と思われていた人々の様々に行為は、単に物理次元に
限られた行為ではありませんてじた。それらは超自然的な行為でもあり、物理次元のみならず、
多くの異なるレベルにわたってなされた行為でした。
このようにして「ひとつの意識」がもつ数多くの側面の相互関係を理解し始めるでしょう。
例えば前述したように、キリスト意識は、皆さんがイエスと呼んだ人物を通して表現された
だけでなく、預言者エリヤ、洗礼ヨハネ、そしてユダの三人の関係が、同じく洗礼ヨハネと
イエスとユダの三人の関係と重複しながら表現されたのです。この二つの三角関係は
同じ意識から派生したものです。エリヤは町で叫びながら、皆さんの言う予言をし、それから
行われるドラマがスムーズに演じられるよう事前に準備していました。大いなる全てからの
分離というドラマの中で、その時代の人々が創造していた元型のエネルギーのすべての側面を映し出すために
必要な鏡となるドラマの幕を開けるために。

これらの分離のサイクルを通して、目に見えないところで常に起こっていた相互関係やつながり、
そして共時性(シンクロにシティ)のパターンが皆さんの目に見えてきます。これらの出来事は、
常に、明らかなつながりを持っていたにもかかわらず、皆さんが創造した性格や制限、
そして、意識の分離がちょうど曇りガラスの役目を果たして、皆さんの目に届かなかったのです。

今、皆さんは自分自身より透明にする作業を行っています。皆さん自身の人生においてて、
透視能力が身につき始めている言っていいでしょう。透視とは透明に見ることができるという意味です。
ですから、心理学者や精神医学と共に、今度は超能力も表面に浮上してきます。
これは皆さんが、時間と空間を越えて存在するすべての意識と自分自身のすべての側面とが、
常にコミュニケーションしていることに気づくことを許し始めているからです。
これが精神医学を生み出すのと同じエネルギーで反対の極をなす、超能力(サイキアトリー)という
側面なのです。超能力(サイキック)と精神医学(サイキアトリー)は同じエネルギーの両極です。
自己を物理次元に創造する限りに極性は常に存在します。これが次に皆さんに理解してほしい
もうひとつの見方です。すなわち、物理次元を定義付けるものとしての二極性なのです。

分離した自己を融合させていき、再び大いなる全てとなる統合の立場からのシンプルなものの見方が、
すでに皆さんが宗教と呼ぶものから何百歩も先に進んでいることを理解してください。
このエネルギーが、地球上の他の全ての求道手段といかに自然に融合していくかという基礎を、
すでに創り始めてます。これから、各章に進んでいくにつれて、これらすへてがどのようにつながっているか、
そして基礎となる考え方が以下にすべてこの統合という観点から作られているかがわかるでしょう。

ここまで来ると、哲学とは、統合されて宗教と呼んだ方がいいかもしれません。そして、
哲学のその二極性を伴った表現が物理的次元を定義付けしていることを、皆さんは理解するでしょう。
最初に宗教から派生して皆さんが体験するものはが、先に述べた超能力と精神医学です。
同様に原子構造が、原始の雲状の性質から粒子を生み出すのも同じようなメカニズムに基づいている
ことを理解することができるでしょう。

ある意味で単純なひとつの原始の雲のような性質から粒子が生まれるのと同様に、
皆さんの社会が、より深い気づきをもって現実の持つ性質を定義付けしていることを学ぶ時、
この精神医学と超能力という分極された考え方が、宗教という曖味な雲の状態から出ていることがわかります。
このような二極性の並んでいる状態、または(原子の例で言えば)粒子の並んでいる状態は、
話を簡単にするというよりは、より混乱させるかもしれません。しかし、自分自身や自分の考え方を
見ていく方法を通して、ちょうど皆さんの物理学者が「統一場」と呼ぶ基本的なものの見方に
到達しようとしているように、二極性のエネルギーそのものに関しての基本的な理解を
深めることが出来るでしょう。

ここで取り上げた例には、直接的な関連性があります。すなわち、超能力と精神医学は、
哲学より統一場的な場から派生する二極化された二つの成分なのです。そして、この基本的な概念が、
この見方が、皆さんの社会学的な考え方のものの見方を融合し統合する基礎となるだけでなく、
皆さんが科学そして経済と呼ぶものまで融合、統合する基となるのです。

こうして以前に述べたように、皆さんが統合というものの見方を持ち始めれば、
どのような分野においても、分離の中で創り出された間が赤宝非常に速く離れることが出来るようになります。
そして、特定の概念の中に存在する多くの特徴を捨てることができます。
超能力と精神医学は、自分の外にある慈悲の力にすがり、自分が判断される立場にあるという、
宗教のもつ大きな特徴を最初に失います。超能力と精神医学は、両者共に自分自身を、
そして大いなる全てと自分との関係を理解する試みのひとつです。ます、自分の力を取り戻すこと、
コントロールする力を取り戻すこと、すなわち自分の人生の全ての面において、自分が選択権を
もつていることを知ること。大して理解のできない外部の力や判断に、そして、神秘的な神、
女神、神々などの非合理的な行為の慈悲にすがるのではなく、皆さん個人個人がそして集合的に、
自分で望む社会を作る道具として、このコントロールが使えることを知ることです。

私達が神という言葉を使う時、皆さんが社会の中で創り出した制限のある神について話していることを
理解してください。私達は、創造とは、単に「大いなる全て」そのものだと考えています。
この大いなる全ては、全てを包括し、それ自身ですへべてであり、そして自ら大いなる全てであることを
知っている存在なのです。
ここで気づいてほしいのは、神、女神、神々などという言葉の違いも、大いなる全てという
概念に何らかの制限を与えてしまうということです。「神は全能である。しかし、どういうわけか
神は私ではなく私の外にいる。そして私は神の外にいる」などという矛盾が出てきます。
定義からすると、神はすべてであり、すべての場所にいるならば、皆さんは神の外には存在しないことになります。
神も皆さんの外には存在しません。皆さんが神なのです。定義からして、神が皆さんなのです。
ですから私達は、大いなる全てという言葉をこのんで使います。この呼び方にはそれほど制限はありません。
皆さんは、神はすべての中に存在するという考え方の中でさえ、どういうわけか自分の内にだけは
存在しないということを考え出してたしまいました。

融合という観点から見ていくと、皆さんの定義づけにも制限があること、また、それらの定義は
皆さんの現在の価値観や、これなら安全だと思っている観点を反映しているだけだと気づくでしょう。
皆さんが怖れの観念を創り出している限り、皆さんの性格、観念、感情または知性のどこかに
危険な部分が潜んでいと考えてしまいます。皆さんの歴史に常にあったように、それが融合された時、
異端者が出てきます(異端とは、皆さんの社会がそれまで認めていたもの以外に、個人の気付きが
起こったときに対する社会の反応です)。皆さんが寄り基本的なことで、すべての宗教のカノン
(キリスト教信仰および行為の基準)など現在までの分離主義に反するものです。

このようにして、二極性そののは、皆さんの融合された新しい観点から見ると、時間と空間と同様に、
この物理次元の定義付けのひとつだということがわかるでしとょう。し遊興と融合された観点から見た時、
分離主義という性格を失い、そして皆さんが科学と呼ぶ概念により近づいていきます。
こうして、第2章の「科学」へとつながっていきます。
第2章は科学ですから、分主義の時代に創造されたため、他の様々な学問の融合または統一できなかった
多くの概念についても見ていきます。科学自体の統一化を通して、その統一化等定義の性質上、
これ待て長い間科学の分野ではないとされていたものすら、その中に組み込まれ始めていることを見ていきます。

それではこれから、各章の最後に毎回行うように、代表的な質問を受けることにしましょう。
それぞれのテーマについて、この本を読んだり、もしくは人から読んでもらったりしている意識の中に
浮かんでくる様々な考えを整理するために、質問を受けましょう。
いま、質問してくれてもいいですし、各章の終わりに皆さんの社会からのコメント、もしくは個人としての
コメントを私達と共に、この宇宙連合の精神にのっとって共同創造するのもいいでしょう。

ここでは、皆さんの文明に私たちの宇宙連合の一部として参加する機会を提供していと思います。
それによって、ステップ・バイ・ステップ、一歩一歩、一章一章と、手に手をとって融合という考え方を
共闘創造し、皆さんの文明、私達の文明、意識のすべてのレベル、そしてこの本を共に創造してくれている
巣へ手の人のカタルシス(感情の浄化)となるようにしていきたいと思います。
今は、私達の文明は皆さんの文明とは異なるという考えの上に、この共同創造をしていきます。
しかし、この本の終わる頃には、わたしたちはすべてひとつの文明という見方を始めることができるかもしれません。
手に手をとって、共に探求し、助け合いながら新しい考えを創り、私達の探求する大いなる全てを、
より深く認識する機会を私たち自身に与えていきます。言葉を変えて言えば、新たな宗教と
読んでもいいかもしれません。しかし、これは皆さんが現在宗教と呼んでいるものとはまったく異なるものでしょう。

それでは、この章について質問を受ける、分かち合いのときにしたいと思います。


 



ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


はっきり言って、わたすは全然分かっていません↑


 


でも、これは伝えるべしと、救世主(メシヤ)さんが・・・


 


うん、2まん5せん年も経ったら


自堕落もしようってもんじゃい! ウイィ〜〜(呑んでくだ巻いている)


 


そのうち目が覚めて神聖なる自分を思い出すでしょ〜〜(と、また呑んで)


 


だれだ、こんなヤツを紹介アフィリエイターに選んだヤツは!!


 


うぃ))〜〜   あしたこそ、呑むのやめよう・・・


はやく 紹介料ほしいなあ・・・・・・(こういう私も神である)


 


 


 


 

創造主(救世主)の皆さん江

どこかの食堂に飾ってある額に「○○さん江」のたぐいか・・


「創造主」?


神のことかい?


 「救世主」?


ああ、わが教祖様のことだろ・・


いや、これから現れるという世界を救うおひとのことだぞ。


いや、それが我が教祖様なんだ!


ちゃうって!


いあ、ちがわない!


どっちでもいいからさあ〜〜、そんなひと早う出てきて欲しいもんだなあ〜(頭の後ろに両手を組みながら、聞いていた第三者さん)


 


 


おめえもそのあらわれのひとりである・・・(どこからか、ささやき)


 


え?あ、おれもか?


おれも創造主のひとりか?


どうりで、いろいろ想像するわけだ・・・(おまえのは妄想という  妄造主・・・)


 


いま、オウム返しが盛んですね。


浅はか昇降さんとか、醤油さんとか・・・このまえ、テレビに出演していたし


逃亡していた信者とか・・・


 


なぜ、あんな者に?


とか


オウムという言葉は大昔からあったのにあれで台無しにしてしまったとか・・


 


そんな軽蔑されているあの宗教、この宗教・・・


大も小もある宗教


 


そんな宗教にのめり込む人(あ、おいらも昔は・・)


名前聞いただけで反吐を吐くかの様に毛嫌いする人


 


救世主という言葉、メシヤという言葉・・・


 


ずっと使われてきました。(あ、おいらもある人をそう呼んで、そう信じていたっけ  爆)


 


まあ、この世は幻想世界とはいえども、あまりにもリアル世界。


ほっぺひねってみても、イテテテエ〜  どこが幻想だあ!


 


だから超リアル感たっぷりに創ってあるんじゃ、バカモン。


 


だって。。


あたしは弱いの。神のまえにはなすすべも無い弱い存在なの。


こんなあたしを救って!  ああ、メシヤ様


 


あたしは(あ、皺、じゃない! 儂は)そういう人生をおくってきました。


こんな不幸なあたしを、もとい、しわを救って下さい、つるつるお肌に戻して下さい!


おう〜〜む(←あーめんでもよい)


 


bakaいってんじゃねえ!!


あ、baka じゃないバシャールさま


 


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


 


「ニュー・メタフィジックス」(new Meta-Physics)

 
  
宗教(religion)


                                第一節


それでは皆さんの星で宗教と呼んでいる概念について話を始めてみましょう。
このテーマを最初に選んだのは、宗教が、人類が地上で肉体を持った存在として自らを認識した
初期の状態から派生したものだと言っていいからです。それ以来様々な変化は、
創造主であることから自らを分離することによって創り出されました。皆さんが本来宗教と呼ぶ
考え方のすべてがそこから生まれてきたのです。

皆さんの時間にすると約2万5千年前、皆さんがアトランティスと呼んでいる場所で
(彼らの言葉で「Atalundi[アタルンディ]」と呼んでいました)、創造主であることから
自己の分離が正式に始まりました(地球上に何らかの形で分離が姿を現したのはもちろんそれ以前のことですが)。
その時代の人々にも集合意識レベルで「大いなる全てと自己との統合が必要ではない」という選択が
あったことを 皆さんは理解するでしょう。
自分こそが創造主だと思い込めるように、統合の変わりに大いなる全ての完全性から自らを分離し、
物質的な形に投影することによって自分の力を直接に振るうほうを選択としたのです。そして
この投影を続けるに従い、ある意味で物質的な形そのものが分離であり制限であることがわかってきました。
その結果、魂が物質的な形態または肉体次元を体験すればするほど、ゆっくりと、しかし確実に
肉体次元のエネルギーパターンに慣れていってしまったのです。
彼らは次第に、非物理次元では出会ったことのないような概念、感覚、感情、して概念を感じ始めました。
そして、この制限という魅力ある観念を創り始めたのです。大いなる全てが非物理的次元の中でできる
さまざまな体験と同様に、この物理次元の中で可能な全てのものが体験できるように、
この次元に自らをがんじがらめにしてしまいました。こうして彼らは「知恵」からの表現よりも、
感情、思考、そして概念を通して物質的な方法で表現することに慣れてしまいました。
もしくはそういう習慣を創り出したと言ってねいいでしょう。
この習慣がある程度進んでしまうと分離がいくらか完結したことに気づきました。この頃には
内なる「知恵」のからはだいぶん離れてしまってました。そして自分たちが輪廻転生という
肉体のサイクルを創造したことに気づいたのです。地球のエネルギー場にどっぷりと
つかってしまったと言ってもいいでしょう。地球の意識の一部になったのです。地球が彼らの
意識の一部地なったのです。

彼らは地球と同じ波動になり、時間と空間が作用し創り出されているこの特別に凝縮された
濃度のゆえに、この強度なエネルギー密度のゆえに、地球を取り巻く一番表面に近いエネルギーの
様々なサイクル、輪、または層の中に閉じ込められてしまったのです。そして、この種のエネルギーに
対する魅力に勝てず、統合なくしてこれらの輪やサイクルを破ることができなくなってしまいました。
このように、彼らは自ら、輪廻転生による道を創り出したのです。

魂が物理次元に現れたのは、皆さんの時間で2万5千年よりももっと以前のことでした。
初めの頃、人々は魂が「知恵」の部分とつながっていることに気づいていました。
その後、地球上で様々な現実が創り出されました。地上の楽園または天国と呼ばれるものを
現実化できるエネルギーや物質のコントロールが盛んに行われたのもこの頃です。
しかし、内なる自己を見失ってしまうほど繰り返しのサイクルが進んでしまうと、人々は、
環境や周りの人々を自分の思い通りにできなければ元の状態に戻れないと思い込み始めましたる
お互いのつながりが感じられなくなり、もう実際にはつながっていないのだと思い込むようになりました。
自己のうちに存在する自然なつながりを感じられなくなったために、代わりに、環境と周りにいる
人を支配すればそのつながりを永続できると思い込んだのです。

このようにして情報という概念が始まりました。全体に属さない考えをひとりで心に抱くことが
可能であるという考え方、そしてそれをあたかも個人にとって価値のあるものだというフリを始めたのです。
この結果、ある特定の個人が他を支配しコントロールすることをもたらしました。
これは、自分の力を感じられなくなって人々が、その力を他人の中に見ることによって感じながら、
自己の成長を体験するひとつの方法に過ぎませんでした。
この分離から(すなわち、全てはつながっているという考え方ではなく、物は隠したり、
離したり、判断したりすることができ、しかもそれらは永続することが可能だという考え方から)
宗教、そしてある意味では政治という概念が創造されました。こうして人は自分を守るために、
敵がいるぞといっている人たちに力を預けてしまう繰り返しのサイクルを創り出したのです。
敵が実際に存在するかしないかまったくわからないまま、過去2万5千年間様々な形でこれが繰り返されてきました。

皆さんの言葉で「キリスト意識」と呼ばれる高次元から意識が投入された時も、
分離のサイクルがあまりにも完全であったためによく理解されませんでした。
その「キリスト意識」が伝えていたメッセージは、簡単に言えば、人はそれぞれ
キリストのような意識を持っているということ、実際には、人はキリスト意識そのものである
ということでした。しかし分離のサイクルは皆さんの意識の中にあまりにも深く習慣となって
根をはり、意識自体を硬直させ、その防壁を強化してしまいました。そのため、
自分自身が実践者や指導者になる代わりに、これらのメッセージを受け入れるためには、
すべての力をその個人(キリスト)に委ねて信奉者となるしかなかったわけです。

気づいてほしいのは、キリスト意識は決して他人の指導者になるという望みを持っていなかったのです。
決して指導者的立場を望んでいませんでした。彼は単にイエスという個人を通してひとつの鏡と
なることを望んでいただけなのです。すべての個人が神または大いなる全ての延長もしくは
(聖書的言い方をしたければ)子供であるという考えを反映する鏡となることでした。

ですから皆さんが宗教と呼ぶものはすべて(すなわち、人々は指導者を必要とし、自分が神聖なる
者以下の価値しかなく、そして神聖なる者に審判される立場にあると思うことを探求する概念)は、
常に大いなる全ての内部における分離なのです。この宗教と呼ばれる概念はすべて、
指導者自身が無意識の中に存在する無力感の真っ只中にもかかわらず、その力を維持してほしいと
あなたに望ませることによって、他人や、自分もしくは指導者を大きく見せることを通して行います。
人々は、自分は無価値であり、神聖なる物の一部ではないと思い込んでいるのです。
しかし、自分が神聖なる者の一部であることを知ることは全ての人のもつ特権です。

宗教に人が集まり、その上おびただしい数となるの、おおいなる全て(すなわち本来の自分)より
事故を分離することから生じる混乱の自然の結果だということがわかります。
「知恵」が放棄され、性格(物後に対する考えかたが肉体次元に表現されるメカニズム)だけに
焦点をあわせる時、すなわち、様々な概念が知的部分によってのみ解釈される時、
このような多様化されたものの見方が創り出されます。

これは、宗教が発生したことに対する批判ではありません。皆さんの文明が選択したのです。
皆さんの文明の意識がグループとして、大いなる全てから事故の分離を通して、
あらゆる否定的な表現を探求してみることを選択したのです。これも大いなる全ての中の偉大な創造であり、
それ自体には、大いなる巣へ手が自分自身をそのようにも見ることもできるという事実だけを考えれば
別に否定的なものではありません。
大いなる全てにとって、自らをあらゆる方法で表現するために究極的な目的は必要ないことを理解してください。
大いなる全てはあらゆる表現をすることが可能であり、そしてそれをただ行っているだけなのです。
これは存在自体のひとつの定義でもあります。目的という考え方が生まれた以前に存在していたものは、
その存在を続けるために、目的は必要ありません。これは本来そういうものだというだけのことです。

現在、宗教団体や静止組織そして社会組織の中で、統合や変化が頻繁に起きているのは、
皆さんが2万5千年前に始めた分離サイクルの終わりに近づいているからです。
そして今、「自分」というものもひとつの概念であり、ひとつの均一な現実であり、
ひとつのエネルギー、ひとつの意識である徒を理解し、怖れをも自分の一部だと認めています。
自分の人生は自分で創造しているという責任を取り戻し始めているのです。

皆さんはその昔、この物質次元に自らを投影し、この惑星の輪廻転生のからくりの中に
自らを委ねた時代の意識へと再び目覚め始めているのです。皆さんは今、始めにした同意を
思い出すところに来ています。そして、自分をただの信奉者にしてしまい、自己の本来の神聖さを
それ以下に見てしまい、
自分がすでに完全であり何者からも救われる必要がないことを知る価値が
ないと思わせてしまう宗教と、全ての分離から目覚め、真の自分を認識し始めました。
大いなる全てが創造した本来のあなたを認め始めたのです。

いわゆる救世主という概念、それがイエスであれブッタ(仏)であれモハメッドであれ、
または、皆さんがそれらの意識に名づけているどのような名前であれ、地球上の肉体次元に
具現化されたこれらのすべての存在の高次な見方たのすべては一致しています。
皆さんが救世主と呼ぶ概念を通して表明された意識のエネルギーは、元々食い違いはありませんでした。
救世主が一番最初に知っていることは、彼らが誰をも救いに来ていないということです。
救われるべきものは何もないということです。様々な文献に見せれる食い違いは、皆さんの
文明に存在した人々の個性と、その人の自身の考え方を通してみた救世主の解釈の産物なのです。
それらの文献の食い違って見える部分はすべて、それらが伝えられた時代に存在した人々の
個性を通して表現された結果です。

このように、大いなる全てから自己の分離という否定的な側面を見せてくれる「救世主」という考え方も、
自己の完全性を計る物差しとして、その目的を果たしているといえます。皆さんが
救世主と四手いる存在が説いてきた生き方を、実際にいき始めることを自分に許していいことに気づいてください。
彼らについて行くのではなく、自己の内なる存在に耳を傾け、宗教と政府(怖れているものすべてから
個人を守ってもらい、案全を保ち高級の平和と安らぎと保証を得るために自分自身の怖れと
力と強大な力に委ねるという意味で、政府も宗教のひとつと見ることができるでしょう)と
呼ばれる組織は、人々が自分自身の怖れと責任を自分のものとしてみようとする意志の欠如から
創り出されたものだということに、気づいてください。
一度怖れから創造されたものは、それ自身を維持したいという欲求を持ちます。
怖れから創造されたものが、自らの存在を維持するただひとつの方法は、更に怖れを創造していくことなのです。
本来の自分から分離し、そして、より痛いなる力を持つ者と比較し、自分には価値がなく、
責任を取る力もなく、自分の人生すら自ら生きることのできない幼い子供なんだと信じ続けることなのです。

ここでわかってほしいのは、皆さんが組織を創造することを自分自身に許したとしても、
その組織が皆さんに代わって皆さんの人生を生きることはできないというとです。組織は、
皆さんに奉仕したいという意志を持った人々により提供される皆さんへのサービスであり、
皆さんが組織に奉仕するためのものではありません。組織を動かす人々が、心に内在する
「自分は無力である」という無価値間を認めないですむように、力があるんだと思い込ませてあげるために、
皆さんが優越感を増す助けをするのが組織の目的ではないのです。

自分の力を取り戻しましょう。自分自身が自分の政府、宗教となることを許してあげましょう。
皆さんは社会の中に存在するこれらのどの概念にも自らなれるのです。説教する牧師も皆さん自身です。
自分の説教に耳を傾けそれに従うために、皆さん自身が頭の名が手創り上げるだけなのです。

これを覚えておこうと決めたものは、皆さんの中に存在する牧師の部分の一部となります。
あなたが耳を傾けることを選択すれば、この部分が常に「自分は無価値な存在」とか
「自分を創造した聖なるもの以下の存在」ということを繰り返し思い出させてください。
皆さんを創造した聖なるものは、皆さんのことを低い存在とはまったく考えていないことを理解してください。
皆さんの真の姿を知っています。聖なる者は、自らが意識であることを知っています。
それと同時に、すべての意識の集合体であることを知っています。そして、皆さんの間に存在する
「関係」という概念を理解しています。この「関係」が、分割することのできない完全性の中に
存在する多数の対立する極、そして意識の多面性を創っているのです。そこには「関係」のみが存在し、
また「関係」が多面性を持つ神、そして唯一絶対神と言う概念の定義となるのです。
この「関係」そのものが実はおおいなる全てなのです。それがあなたなのです。あなたが「関係」そのものです。

皆さんが肉体次元鳥輪廻転生のサイクルを自ら選択したにも関わらず、皆さんの全ての宗教、
そして、全ての分離の概念は、この「関係」というひとつの考え方によって、すなわち何万年も何十万年も
昔に皆さんが気づいていた知恵と理解の中へと溶け合い、融合していくのです。
これが全ての救世主やメッセンジャーが皆さんに一番伝えようとしたメッセージでした。
すなわち、「自分自身を知りなさい。自分自身を知ることによって神を、
おおいなる全てを知ることができる」ということなのです。

ここで指摘しておきたいのは、地球上のどんな宗教で使われている文献や経典にも、
実際に述べられたことをすべてを記述しているものはないということです。いかなるメッセンジャーが
述べたことも、その完全な記録はありません。部分的なもの、乏しい記憶、おおざっぱな記録、
そして大半が実際に述べられた何年も後に記録されたものです。これらの文献はすべて歴史を
描写しようと書かれたものではなく、「救われたければこれを信じなさい」と人々を納得させるために、
もしくは納得させる試みから書かれたものです。

宗教の教えの大部分は、自分が無力でゆえに、他人を自分の宗派に改宗させることによって
自分の力をもっと感じられるということに関連しています。

性格の構造を通して皆さんの存在の完全性を外に表現するには制限があるのと同様に、
逆に性格を通して来る「ものの見方」もすべて、文献も含めて、それがどんなに創造的で素晴らしいものであれ、
皆さんが宗教と呼んでいる、宇宙と自己との関わりの中でおきた大いなる全てからの分離という
雄大な歴史ドラマを、どれだけ完璧に代弁しているものであれ、制限は避けられません。

宇宙とのかかわりの中で自己を振り返ること、これが宗教となりました。ただこれは、
宇宙と自己が分離しているという考え方や見方を通しての観点であることを、忘れないでください。

この章の後半では、宗教と政府という障壁が解決した時に地球上に何が出現してくるのか、
そして、皆さんのうちに存在する「知恵」の部分との融合に伴って、
自己や性格の大いなる全てに対する新たな関係がどのように変化していくかを見ていきます。

ここで言う「変化」は、力や暴力、そして憎悪による変化ではないことを理解してください。
すべては今、皆さんが自己の内に気づき始めている大いなる全ての無条件の愛からおころ変化となるでしょう。
宗教とか政府に対する皆さんの考え方に関係なく、そこに存在する障害や人工的な境界や仕組みを
昇華してしまう愛です。
この融合によって、宗教や政府が、皆さんの性格というフィルターを通して何通りにも分けてしまった
全能の哲学のうち、たった二通りの概念に過ぎないということと理解できるでしょう。
いわゆる、「唯一の道」はないことも理解できるでしょう。もし「唯一の道」があるとしたら、
地球上に人間が一人いれば足りてまいます。
地球上に存在するすべて、大いなる全てのひとつひとつの異なる面なのです。すなわち
皆さんは、「ワンネス(ひとつであること)」の中に存在する全ての異なる面を通して自分自身を
見ているだけなのです。

この章の後半ではそれに加えて、大いなる全ての無条件の完全性とサポートという立場から
皆さんの社会全体、そしてその社会の中に存在する個人を楽しみながら見ていきたいと思います。
その過程で、皆さんは大いなる全てに奉仕していることが分かるでしょう。
そして、これはとりもなおさず、大いなる全てが皆さんに他なりません。皆さん自身も大いなる全ての
一部なのですから・・・・。もう分離は必要ありません。自噴には救いが必要だと感じる必要もありません。
皆さんが救いそのものなのです。皆さんがすでに天国なのです。楽園そのものなのです。





TITLE:Mozilla Firefox
DATE:2012年6月19日(火)
URL:http://page.freett.com/sterdast210/meta-7.html


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


 何も解説しないと申し訳なく


「しかたなく」追記で入れました


 


 


岡田茂吉師の世界メシヤ教もそういう幻想の世界から創られたものなんでしょうかねえ。


  にんげんの共通意識として確りと組み込まれたわけか・・


宗教そのものがこの幻想世界には必要だった。


なぜなら、


「あたしは無力よ」


が絶対条件だから、このゲームには。


 


医学としては


「あたしには治る能力が無いのよ」


が必須条件になるのだろうね。


 


ここでは「政府」も入っているようだが、


要するに「私は無力よ。だれか助けてチョウダイ」


の叫びがこの世界を動かす原動力となってしまった。


 


そういえば、シワも、じゃない!! ワシも


「あたしはびんぼうよ、だれか助けてチョウダイ!」


って常に叫び続けている。


 


根本は同じ


「私には病気を治す力が無い」
「私にはお金持ちになる力が無い」
「私には自分を救う力が無い」


わたしには・・・わたしには・・・ああ、わたしには・・・・


た、たすけて・・・ああ、わたしを助けてチョウダイ!  だ、だれか・・・


 


いいかげんにせい!


痔爆撃はやめろ!   あ、自縛ね。


ひとは縛られるのを好む。  逆に縛るのを好む (これは両極性に見えるが同根だな)


 


自分で縛って、ああ〜〜だれかたすけてえ〜〜〜


あたしはか弱いおひめさまよ〜〜  おうじさまあ〜〜


 


おい、おい( ポンと肩を叩かれ)


じいさん、のってるねえ・・・・みていてもあきれるほど、芝居がうまい!!


 


え、みてたの〜 いや〜〜ん。


 


まだやってる・・・


じいさまのひとり芝居つまらんから、よそへいってみよう・・


 


あ、まって。


みられてなくちゃだめなの、あたし・・・


 


 


・・・・・


ということで(なにが!)


自壊はもう少し突っ込んでお話ししたいと


(おめえの話はイイ!)


 


あ、ご紹介引用だけだと申し訳なくて、ついつい・・・


 


  

生きている世界と死後の世界の構造

宗教でよく言っている、肉体と霊体の関係ですが、とても分かりやすく解説してくれています。


と、言ってもその人にとって「分かりやすい」か「分かりにくい」かの差は千差万別でしょうが。


 


もう宗教の教祖ひとりの教えにずっと従う時代は卒業しましょう。


 


死んだ人に、とくに「愛する人が去った私に」とって人類共通の想い


「あの人はいまどうしているのかなあ?」


死んだ後はにんげんどうなるんだろう?


 


それは今までは宗教の独占地帯でした。


しかし、これからは科学でもその分野が出来るでしょう。


もっとも「科学=唯物」の結界を破る必要がありますけど。


 


本来、科学とは自然の仕組みを解明しようとするものでしかありません。


 


だったら、自然界とは見える世界と見えない世界があると認識するのが本来の科学です。


それをいま量子学とかいう分野では盛んに解明しようとしているようです。


 


それを三流の自称科学者達が否定しまくっているだけのことで、彼らは「唯物」という


ひとつの「宗教」、「結界」をはっているから否定するだけのことです。


 


ホンモノの一流の科学者なら、非物理的な世界をちゃんと見つめています。


一般人のほとんどが非科学的だなどと、見えない世界を否定するのは「三流以下の科学者」たちの、口まねでしかないわけです。


 


ちょうど、癌医療の世界で、トップ級の人たちは既に気づいて知っている。
「現代医学の癌治療は無効だ。むしろ害がある」


ということに対して、


一般の三流以下の医師達はそれを知らないようなものです。
(もし知っていたとしたらいまの癌治療はできない、しないはずです・・・・もっとも、知っていてやっている強者も居るらしいですが)


 


要らぬお節介説はこれくらいにしてと。(本人もよく分かっていないくせに書いていたりして爆)


 


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


カフェ『夜明け』







2012年06月17日(Sun) 22:37
 

忙しい中申し訳ありません。
また疑問が湧いてきました。
よく霊界関係の本で見るのですが、
一説には人間には肉体、幽体、霊体が重なっていると言います。
また現界、幽界、霊界と三層がありそこを行き来しているとも。
「魂のインターネット」はこれらに触れてませんがdawn-watcher様はどの様にお考えでしょうか。


Re:教えてください


dawn-watcher


データNo:781


2012年06月18日(Mon) 14:36
 

人間が肉体、幽体、霊体という三つの身体を持っているということは昔から言われているし、私もそのような言葉を使って話をすることもあります。

ただ、「魂のインターネット」の中で、そのようなことまで説明をすると、話が複雑になると思ったので、直接的には触れていません。

そこで、私の世界モデルの中で、霊体や幽体がどこに位置するかを簡単に説明しましょう。

「魂のインターネット」の第2部に「死後の世界」という章があります。その中に、「魂のインターネットと死後の世界の関係を表す図」が描かれています(第6図)。それを見てください。
http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/99_blank006170.html


 



その中に、インターネットにつながったパソコンを表す楕円形がたくさん描かれています。これが、それぞれの意識が覗きこんでいるパソコンであり、その意識がネットワークの中に作りあげている存在物のイメージ(情報)を示しています。たとえば、「生きている人たち」とコメントが付いている楕円は、地上に生きている人が持っている「自分」のイメージであり、それを、自分の心の中のスクリーンに映し出してみることで、その魂は、自分が肉体を持って生きているという経験をするわけです。

いま、この図の中で、「地上の世界」という四角で囲まれた領域にある楕円全部の中に、縦棒を2本引いて、楕円の中を三つの領域に分け、それに「霊体」「幽体」「肉体」というラベルを付けてください。

つまり、私たちは、インターネットの中で、地上に存在するということのイメージを作り上げているわけですが、それが、このような三重構造になっている、ということです。

地上の世界の中には、地球の意識という少し大きな楕円も描かれていますが、この中も同じように三つの領域にわかれます。地球も、肉体(=物質的な地球)と、幽体、霊体を持っています。

肉体、幽体、霊体というのは、最近スピリチュアルの世界でよくつかわれる言葉では、3次元、4次元、5次元に相当すると考えてください。

肉体が死ぬと、私たちは「死んだ人たち」になるわけですが、その時は、肉体がないので、死んだ人たちの楕円の中は、霊体と幽体の二つの領域しかないことになります。最近は、死後の世界の中でも変化が起こっていて、幽界はなくなったと言われていますので、そうすると、死んだ人は霊体だけになっているかも知れません。

同じ変化が、地上の世界にも起こります。まず、地球の意識を表す大きな楕円の中が霊体だけになります。これが地球のアセンションです。

そうすると、地球の上に住む「生きている人たち」も肉体、幽体を捨てなければ、地球の上には住めません。私たちも霊体だけになります。これが、人間のアセンションです。

どうしても、肉体や幽体を捨てたくない人は、そういうものが存在できる別の星に行って、地球のゲームの続きを続けることになります。

肉体、幽体を捨てると言っても、死ぬわけではありません。生きている状態のままで、肉体、幽体が抜け落ちて行って、霊体だけになるのです。炭素の肉体からクリスタルの肉体に変わるとか、光の身体になるなどと言われているのは、このことを示しています。


これで、霊体や幽体と魂のインターネットの関係が理解できるでしょうか。


なお、別の表現との関係を付け加えておきます。アセンションに関係して、「振動数を上げる」という言い方も使われます。振動数という表現を使えば、肉体(物質)が一番振動数が低くて、幽体、霊体となるにつれて振動数があがっていきます。「振動数を上げるとアセンションする」と言われるのはこのためです。


もう一つ、生きている者の世界と死後の世界の区別についても触れておきます。現在は、生きている者は、肉体、幽体、霊体の三つを持っていますが、死んだ者には肉体がありません。霊体と幽体の二つしかないのです。そのため、生きている者の世界と死んだ者の世界がはっきり分かれています。

けれども、アセンションしてしまうと、みんな霊体しか持たなくなります。地球も霊体の地球になります。生きている者も、死んだ者も、霊体しか持っていません。そのため、生きている者の世界と死んだ者の世界の区別がなくなるのです。アセンションすると、昔死に別れた家族と再会することができると言われていますが、その理由は、二つの世界の区別がなくなるからなのです。したがって、肉体を捨てる「死」という現象もなくなります。

このようなさまざまなことをこの図から読みとっていただければ幸いです。



TITLE:カフェ『夜明け』 -
DATE:2012年6月19日(火)
URL:http://members.jcom.home.ne.jp/cgi-bin/board.cgi?ID=dawn%2Dwatcher&MSO=jcom&action=message&res=780


 追記あり


Re:教えてください
    

dawn-watcher
        2012年06月19日(Tue) 10:57
          

>地球自体が幽体霊体など三体からなるとすればこの地上にある植物や鉱物も三体からなるのでしょうか?

もちろんです。ありとあらゆるものに霊体、幽体、肉体があります。

そもそも、人間、動物、植物、鉱物あるいは生物、無生物などと区別しているのは、人間が勝手につけた分類であって、本当は、そんな区別は存在しません。人間の目に、あるものは大きく、あるものは小さく、あるものは生きているように、あるものは生きていないように見えるというだけのことであって、存在するもの自体には何の区別もないのです。

>それと魂とはどのようなものなのでしょうか? 魂と霊体の違いが判りません。

魂というのは、「魂のインターネット」のたとえで言えば、「パソコンを覗き込んでいるもの」になります。

この魂たちは、パソコンの中に「宇宙」という巨大な仮想世界をつくり、その中に入り込んでさまざまな体験をするという遊びをしているのですが、どんなにパソコン少年が「仮想世界」のゲームにはまり込んだとしても、少年自身がパソコンの中に入り込むことはないように、魂は、どんなにインターネットゲームの世界にはまり込んでも、やはりパソコンの外にいます。

これに対し、肉体、幽体、霊体といった階層構造は、パソコンの中につくられたキャラクターが持つ属性です。魂とは全くレベルが違います。

要するに、私たちはパソコンの中に自分として動かすためのキャラクターを作り、それに肉体、幽体、霊体という三つの属性を持たせたと考えればいいでしょう。そのキャラクターが死ぬと、肉体という属性が空になります。どこかに生まれ変わると、また肉体という属性の中にデータが入ります。

これでイメージがつかめますか?



 ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


なるほどお〜〜〜〜(←わかってんのか・・笑い)


 


どうでしょうか?


ボクもにわかには信じられないのですが・・・(苦笑)


 


でも、アセンションという意味とその現実化することには非常に興味がありますね。


もしそういう世界になると


 


宗教は不要になりますね。


ほんとうはもう不要な世界なんでしょうが、気づかない世界。


気づくとはああ、もう必要なくなったよ、明るくなったからね(懐中電灯じゃあるまいに!)


 


 まさにこの世は


 


まとりっくす〜〜〜


 


 

ばれはじめてきた? 現代医療の真実

先回の船瀬俊介氏のお話大量殺人 化学療法(化学猟法)の卑劣な発ガン作戦の罠 船瀬俊介


のあと、土橋先生のお話を聞くと


 


医療と健康の本質が分かってくるかも知れない。


 


これは岡田茂吉の医学論をも超える話も含まれるだろう。


 


奇跡は外からじゃない、内から起こるという


 


 


 


 


 


原発は安全、クリーン、一番安上がり・・


ばればれになってしまいましたね。


 


ひとは教えられたとおりに信じる。


オウムも私も似た経験がある。


そして、「どうしてあんな事を信じてしまったんだろう?」・・・


 


と。


ところが、ほとんどの人が同じような事を体験している。


そして、今現在もそれを継続中のものがたくさんある。


 


その中でも一番分かりにくいのが現代医学に基づいた医療。


現代医療


 


それを船瀬俊介氏の動画で少しは理解できたであろうか?


 


あんなの信じられない・・


 


そう、いちど信じたことはなかなか解除できないのがにんげんなのだ。


理屈や理論じゃ分からない。


 


そうして福島の原発事故の様に、


 


安全とは「危険が起こらないまでは安全だ」という


じつに単純明快な事実によってしか多くの人は目覚めなかったのだ。


 


「どうして?どうして教えてくれなかったの?」


 


こんな「言い訳」は通用しない。


 


なぜなら、情報はずっと前からあったのだから。


 


 


気づく


というのは確かに時間がかかる。


ほとんどの人は


何かが起こって不都合が気づきを与える


 


だが、その不都合を待っているだけなら、それは猿並みだ。


 


土橋先生の長い医師の経験から本当の事が見えたという。


 


治療で病気を治すのでは無い。


 


そのひと自身が病気を造り、その人自身が病気を治すのだという。


 


それは手段方法では無い。


病気になるのも、治るのも治らないのも


 


すべては自分にあるという。


 


なるほど


 


どんな療法でも万能は無い


 


その意味は


療法は「主人」ではない


だから万能ではない


 


主人公は自分だから・・・・か。


 


時にはあの毒薬抗がん剤を飲んでいても、癌治癒が起こることがある。


 


その不思議(普通の人は抗がん剤が治したと思うだろうが、あんなのはタダの劇薬、毒薬でしかない。 普通細胞まで攻撃してしまう役立たずなのだが・・)はどうして起こるのか?


 


それがにんげんの不思議さ。


抗がん剤を飲んで癌が治ったという奇跡!


 


そこにもヒントがありそうだ。


 

06.14 参議院 内閣委員会(専門家と呼ばれる素人集団?)

06.14 参議院 内閣委員会 山谷えり子議員(自民)


 


プロ、専門家、学者・・・・・ じつは素人集団だった・・・


 


などと言ったら、バカたれと怒られるだろう


 


がわたすはあえて言う。


 


魑魅タチは自然界からみたら、ズブズブの素人だよ。


 


この厚生省とか科学技術庁とかの古い名前の時代からすでに痴呆は始まっていた


 


おお〜〜なんと大胆な批判をしているんだね、魑魅は!


 


ワクチンというトンデモないしろものをさも


ありがた〜〜い ものの様にしてしまった人類の愚智


 


どんなに論議してももう無駄なんだろうな・・・


なら、


起こることが起こるまで勝手にどうぞ!


 


この人たちは土素人集団だからね


 


ただし、世間からは専門家とか有識者と言われ続けてきた。


 


それはそうだ。


魑魅タチは


 


絶対的教育を受けてきたからだ。


これを医学洗脳教育という。


 


しかし、ボクから言わせると、


これは濁脳教育だな。


 


なんと大胆不敵な発言だろう!


自分で書いていて、その恐ろしさに身震いしている・・ぶるぶる


しかし、


これはおもしろおかしく加工として書いたものではないのだ。


 


ほんねなのだから。


 


それをオブラートに包んで書いたら分からないだろうから


正字生命をかけて書いた。


 


あ、誤字だらけ?


 


追記


もっとハッキリと加工


 


ワクチンは業界では大変儲かるのだ。


利益、利権で繋がっているワクチン業界で意義を唱えたこの議員さん。


なんとわたすが嫌いだった痔民党だった。


おお、罠主も嫌い、高名も、協賛も嫌い・・


だが、党よりも議員をみる必要がありそうだな、これからは・・・


 


党なんて要らない!


あとは野田となれ山となれ  (もうどうでもいいっていう意味で)


 


ワクチン業界も


ガン医療業界も


精神医療業界も


原発マネー業界とそっくり、相似系だね。


 


「厚生省は素人集団ですよ」


 


こんな発言を薬害エイズ事件で元担当課長が某NHK放送でしていたが


まさに正直、真実をついていたのだった


かれらは素人集団なんだから


 


無理は無いんだ。


彼らは教育され尽くしたのだから、もう頭は変えられないだろう。


それに


マネーが絡んでいる世界だ。


原発辞められない世界とおんなじだよ。


 


あ、もう外歩けないなこりゃ。


 


正字生命かけているからねこちとら。


 


 


 



 


 


 

大量殺人 化学療法(化学猟法)の卑劣な発ガン作戦の罠 船瀬俊介

最初に追記です


ひまわりがひまありになっていたので訂正しました。


(ほとんどどんなに誤字脱痔、分の乱れなどがあっても訂正はしない姿勢でしたが、こんかいばかりはさすがに重要事項だったので。2012/06/11の朝、訂正しました。あ、巷に言われている6月11日ですね)


 


 


久しぶりに船瀬俊介さんの動画ですね。


いつもおなじ事を言っている?


そりゃそうですよ、本当の事は何年経っても変わらないのですから。


 


わたしゃくるくる気が変わる性格です。


箸つかんでいながらスプーンを持とうとするくらい気が変わる。


むかしひまわりさんと言われた時がある。


(会社の名前です↑)


しかし、あるとき


 


ひがわりさん


 


と呼ばれた!


 


え?


ひまわりですよ、ぼく・・(と言っても会社名ですが)


 


だって、まいにちまいにちチガウ種類の仕事しているじゃん?


 


そうか・・・あのときからボクは日替わりさんになっていたのだ・・


しかし、いまじゃ、himaariと称している・・・


 


暇があってこその人生だ。


そこに金つけておきゃあよかった・・・


お陰でヒマ無しに陥ってしまうこともある


しかし、ぼくは


 


ひまかねあり


 


です。


なんてのもね。


こういう ワタクシめが変わらないものがひとつだけある。


ひまありびんぼう


じゃない!!!


薬は毒だ。病気は天啓の浄化作用


これだけはかわらんなああ


1980年に知ってから、はや何重年?


あの頃は若かった用紙も


いまじゃわら半紙


じゃない!


リッパに持ちこたえている和紙じゃ、丈夫な儂、30年前の一万円なみじゃなあ。


しかし、しわくちゃに・・・


 


うるせえ!


 


大量殺人 化学療法(化学猟法)の卑劣な発ガン作戦の罠 船瀬俊介

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