豚インフルエンザワクチンの目的はバレバレ

豚インフルエンザの仕掛けにすっかり乗ってしまったニッポン!アチャチャチャ〜

どうもこの国のお偉方は乗りすぎですよ。

国際的な空気を読まなければならないと思いこんでいるんでしょうか。

KYと言われたくない?

でもね。乗って良いことと、悪いことあるくらい判断力を持って欲しいものですが・・・

岡田茂吉の医学論を少しくらい読んで貰いたいんだけど、どうも宗教という垣根が邪魔をしているのかも知れませんから、他のところから引っ張り出すしかないですね。

まずはマシュー君のメッセージ

ホントかどうかは判りませんが、仕掛けがあったということの様です。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

水曜日, 4月 29, 2009

マシュー君のメッセージ(20)
今月初めにメキシコで発見されたとされる豚インフルエンザは、あっと言う間に世界中のトップニュースになりました。もうテレビやラジオや新聞も連日この話題でいっぱいの観があります。昨日、じつにタイミングよくこのことに関するマシュー君からのメッセージが届いたのでまずは、読んで下さい。

****************************************

マシューのJPG
2009年4月28日

今日はマシューです。心からのご挨拶をするとともに、短いメッセージがあります。それは、最近のイルミナティの企みである”生物兵器戦争”は、必ず失敗に終るだけでなく、それがあなたたちの世界に依然として残っていた彼らの最後の足掛かりを崩すことになるだろうということです。ジーン・ハドンが、世界的大流行の発生だと騒がれている豚インフルエンザについて僕のコメントを求めて来ました。それで、僕のジーンへの回答を僕の母に頼んで彼女の配信リストに送り、このウイルスについての真実を、一般の人々の反応に対する僕たちの観察についての僕のコメントを加えて、なるべく広く伝えるようにしてもらいました。

また再び、権力ある地位の人間たちに強力な支配を及ぼしている闇の影響を受けた者たちが、その名にぴったりの”断末魔” のあがきに出たのです。

その最新の戦略というのは、実験室で発案され、造られ、放出された豚ウイルスを発注することなのですが、以前と同様に、これもその計画の一部である支配されたマスコミによってけしかけさせて、大流行だと宣言させることなのです。僕たちにも不可解なのは、この闇の連中がSARS菌そしてその後の鳥インフルエンザ騒動の惨めな失敗から何も学んでいないことです。そのどちらも同じような世界的流行が予測されて大きく報道されました。あげくに、その病気で亡くなった人はわずか数人しかいなかったので、その報道は次第に減って行き、ついに線香花火のようにまったく消えてしまいました。

今回の豚ウイルス騒動もおなじ結果になるでしょう。他の星の国々からやってきている僕たちの家族たちのテクノロジーが、ちょうどSARS菌や鳥インフルエンザの流行を防止するためにやったように、この病気を流行させる目的のワクチンをすでに中和してしまいました。

この新しい恐ろしい計画はアメリカ政府指導者の知らない内に実行されました。これは、その政権内の最高幹部たちの承認を得て捏造された以前2回あった世界的流行の謀略とは異なるものです。

この最近の病気発生報道のタイミングを考えてもみてください。ウイルス製造を許可し、それによる世界的恐怖を煽ることに加えて、闇に傾いた人間たちの目的は、人々の高まる平和的解決の交渉を求める声から、その関心を逸らせることなのです。それらは、虐待を許可したアメリカ政府の責任者の追求。”9・11” の真犯人についての真相。世界経済の崩壊をもたらしたもの。数十年にわたる政府の地球外生命体存在の隠ぺい。不正な麻薬産業を支配している者。ケムトレイルと気象操作の真の目的。世界中のシオニスト運動の目的。そして、世界中のテロの背後にある”闇の作戦”があります。

単にこの国がその多くの腐敗と嘘の元になっていて、現在徹底した調査が進行中だからという理由で、アメリカ合衆国市民だけの気持ちを逸らせば充分というわけではありません。

違うのです。それは世界中で起きなければいけないのです。なぜなら、真理を、平和を、再生エネルギーを、医療と教育の改善を、女性の平等のための正しい法制と正当なる承認を、他の各国政府の市民たちが一緒になって声だかに要求し始めているのを、世界中にいる闇の企みを持った人間たちが見てパニックになっているからです。

それらの起きている状況はすべて闇の目指す目標とはまったく反対のことで、それらはすべて闇の人間たちにとってはのろうべきものなのです。でも、世界経済の崩壊によって、だれがそれを操作していたかという真理が明らかにされているように、この豚インフルエンザの企みもイルミナティやその傘下の同じ闇の連中によってしでかされた他の悪巧みを暴露してくれることでしょう。真実を”明るみに出す”ことが進展し、あなたたちの惑星にぐるりと巻き付いて支配していた闇のエネルギーが急速に枯れて行くこの証拠を歓迎しましょう。

ジーンからの要請に応えて、僕がこのメッセージを送って以来、一般の人たちがますます製薬会社のトップにいる人間たちの考えていることについて疑いを抱きはじめているという確かな徴候があります。また新たな品種のインフルエンザがこの時期に突然発生して、”偶然にも”ワクチンに生きたウイルスが見つかるなんてことありますか?そうです、確かに恐れもありますが、イルミナティが意図し期待していたにはほど遠いですね。


そのまったく逆です・・これは彼らにとって手痛い大失敗ですよ。人々の反応はその意識が拡大していることを示しています。これは広範囲の怒りを引き起こすことになるでしょう。それはまた何百万人の人々を感染させ世界をパニックにさせようという謀略に対するものだけにはとどまらないでしょう。他の数多くの領域でも光の活動が進んでいますから、あなたたちの世界を長い間締め付けて来た闇の支配もなくしてくれるでしょう。あなたたちの光をしっかりと支えてください。そうすれば、ダイナミックな展開へのもう少しの辛抱が十分に報われることでしょう。
                                              
_______________________________

スザンヌ・ワード著
原文:Matthew's Message
訳文責: 森田 玄



TITLE:玄のリモ農園ダイアリー: マシュー君のメッセージ(20)
DATE:2009/04/29 21:43
URL:http://moritagen.blogspot.com/2009/04/blog-post_29.html
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


さらに「ガン呪縛を解く」の著者である稲田さんの解説です。
ほんと、僕が言いたいことを余すことなく書いてくれています。(なんてエラソウニ。ほんとは知らない事まで書いてくれているんだけど)

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



豚インフル対策の愚-2(ワクチン)

2009-04-29

ワクチンが伝染病に素晴らしい威力を発揮した…
というのが幻想であったことは、すでに書きました。
英国発表のグラフを見れば一目瞭然、
ワクチンが開発される前に、95%もの発病減少が起きているからです。

なの�






豚インフルエンザ対策の愚-1

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

後はそこに飛んでいってちょうだい。

さてはてメモ帳さんのところも

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

レオナルド・ホロヴィッツ博士とのインタビュー by リック・マーチン 3b [2009-04-29 18:34 by oninomae]
レオナルド・ホロヴィッツ博士とのインタビュー by リック・マーチン 3a [2009-04-29 18:27 by oninomae]
レオナルド・ホロヴィッツ博士とのインタビュー by リック・マーチン 2b [2009-04-28 20:53 by oninomae]
レオナルド・ホロヴィッツ博士とのインタビュー by リック・マーチン 2a [2009-04-28 19:57 by oninomae]
豚インフルエンザは陰謀か?バイオハザードに関係したトラック運転手からの手紙 chemblog [2009-04-28 07:09 by oninomae]
レオナルド・ホロヴィッツ博士とのインタビュー by リック・マーチン 1 [2009-04-27 21:15 by oninomae]
イルミナティの弱点 & 公衆の拒否機構 by Svali  + Svali の記事目次 + 豚インフル [2009-04-25 19:22 by oninomae]

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

世の中
闇の勢力のお役目は終わりに近づいているんでしょうけど、それでもこのニッポン!

あまりにもノリノリの政府と学者さん達が扇動に荷担してくれている。

日本の厚生省(労働省は別として)はどうもトップ官僚さんがおかしいようで、マスゾエ先生しっかりしてくださいよ〜〜


風邪(インフルエンザ)は天恵の浄化作用。

ああ、ありがたやありがたや。

岡田茂吉の医学論、宗教を抜きにしてもっと研究してちょうだい。


僕は脱会信者だから好きな事言えるけど、現役の信者さんならもっともっと社会に貢献できるでしょう。

ここでやらなかったら、あと出番ないですよ。(笑い)


追記。

風邪(インフルエンザもその一種)は受けるべきもの。
かかってこそ、血液の汚濁は清浄化されるのだから、そもそも「防ぐ」などと言う発想はナンセンスなんですよ。

マスクとか手洗いとか人に近づかないとかいう、防止の方法を説くこと自体が反自然的なんで、喜んで受け入れるものなんです。

風邪(インフルエンザもその一種)は一番簡単で効率よく出来る浄化方法なんですから、それで死亡するなんてのはよほど間違った逆療法を施すか、その人の土壌が汚れきっている体質によるものでしょう。

くどいようですが、外からどんなウイルスをばらまこうが、源は内にあるという事で、必要あればいつでも「自然発生」してくれるウイルス。

しかも浄化促進の役目という太古から地球の守護神的存在ですから、抗ウイルス剤とは大自然に反抗するという意味ですね。

もちろん、予防という大義名分も大自然(神の法則)から見れば大儀どころか、不義になるわけでしょうね。

義とは大自然の法則に乗るというわけで、本当に空気を読むという意味は大自然界の法則を読む(理解する)ことなんです〜・



スポンサーサイト

医学革命の書  「結核の病原」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

結核の病原

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆



 今最も日本で難問題とされている結核について、徹底的に説明してみるが、結核は大体感冒から始まるとしているがこれは誤りで、実はこういう理由によるのである。既記のごとく感冒に罹るや、液体毒素すなわち痰が一旦肺臓内に停滞する場合、医療はこれをあらゆる手段をもって排泄させないようにする。そのため解熱し咳というポンプ作用も停止されるので、痰はそのまま肺臓内に残り固り、治ったように見えるのである。そこで安心しているとまた風邪を引く。何しろせっかく出ようとした痰を固めた以上、再び浄化作用が起るからである。その時医師に診て貰うと、風邪の症状の外に肺内に痰の固まりがあり、ラッセルも聴え、レントゲン写真にも溶けかかった痰が雲翳(うんえい)状に映るので、ここに結核初期と診断するのである。これによってみても分るごとく、初めから肺に病はなかったのを、医療があらゆる手段をもって作った訳である。それを一層詳しくかいてみるが、元来体内各局所に固結した毒素が浄化作用発生するや、一ケ所ないし数ケ所から溶けはじめた痰は、間髪を入れず肺を目掛けて浸入するのである。そうして毒素固結個所としては、頭脳を中心に首の周り、肩、肋骨付近、背部、腹部、股等の順になっており、これによってみても結核の根本は体内全部といってもいいのである。この発見こそ全く世界的のものといってもよかろう。
 以上によって肺臓なるものは、言わば痰排泄のための取次所の役目をしているのである。ところがこれを知らない世人は、よく胸の病などというが、これはナンセンスで全然的(まと)外れであり、全く医学が胸部疾患に作り上げたものであるのは明らかである。そうして何といっても医学は、結核問題の焦点は結核菌とされている。これについては医学の盲点を充分開明しなければならないが、右のごとく肺内の痰の固りが古くなって、腐敗するから菌は湧いたのである。腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、しかも体温という好条件が拍車をかけるにおいてをやである。その結果菌は益々殖え、肺胞を蚕食(さんしょく)するに至り、空洞が出来るので、それが写真に映るや医診は悪性と断ずるため、それをいわれた患者は精神的大打撃を受け、失望落胆急に悪化するのは誰も知る通りである。以上のごとく、最初の風邪から真症結核になるまでの経過をよく検討してみると、全く誤れる医療によって作られた事は、余りに明白である。
 また肺浸潤は肺の外部にあった薬毒の固りが溶けて、肺に浸入し痰になって出ようとする病気で、これも自然にしておけば出るだけ出て完全に治るものを、医療は固めて出さないようにするから、結核にまで進展するのである。また肺門淋巴腺と肺尖加答児(カタル)は、首肩の凝りが溶けて肺の上部から浸入する、それをいったもので、これも自然なら簡単に治るのである。また肺壊疽(えそ)は肺の内部から外部へかけての腫物であり、粟粒(ぞくりゅう)結核は肺胞に出来た湿疹であるから、放っておけば血膿が出るだけ出て必ず治るのである。その他喀血及び血痰は濁血が出るので、結構な浄化作用であるから、医学でも喀血性は治りがいいとされている。こうみてくると結核は治るに決ったものであって、治らないのは医療が治さないようにするのである。この事が分ったなら結核医学は百八十度の転換とならざるを得ないであろう。今日結核が益々増え、その対策に腐心し、莫大なる国費を支出しつつあるその無益なる努力は、到底黙視し得ないのである。
 ここで菌について徹底的に説いてみるが、医学においては菌の感染を恐れ、菌さえ殺せばいいとして、全世界の学者は殺菌の研究のみに耽(ふけ)っているが、この考え方こそ抹梢的浅薄(せんぱく)極まるものである。というのは菌の感染は結果の問題であって、根本は菌そのものの発生原の探究である。何となれば菌といえども突如として空中に湧いたものでもなく、どこからか飛んで来たものでもない。湧くべき理由と湧くべき根拠地があって湧くのである。従ってたとえ菌だけ全滅させる事が出来ても、その根拠地すなわち原地がそのままであるとしたら、無意味であるのは分り切った話である。では菌の発生原地とは一体どこにあるかという事が問題の根本であり、それが分ると共に、原地の潰滅(かいめつ)も可能であるとしたら、ここに結核問題は解決するのである。それらを以下詳しくかいてみよう。
 これを説くに当っては、まず人間の霊に発生する曇りを知る事である。本来霊の本質は無色透明にして、最も稀薄な一種のエーテルである。このエーテルはその密度の高い事は、今日の顕微鏡の何百倍でも見る事を得ない程の超微粒子であって、それへ発生する曇りというのは不純水素の集合体であって、すなわち純粋水素中に異物が混合しているのである。では右のごとき不純水素がなぜ発生するかというと、これこそ濁血の霊化したものである。既記のごとく人間は霊主体従であると共に、霊体一致でもあるからである。この曇りが日を経るに従い、ある程度濃度化するや、それへ一種のバクテリヤが発生する。このバクテリヤの本質は植物性無機物であって、これがまた日を経て有機化するので、これがすなわち黴菌の幼虫であり、育って一人前になったものが顕微鏡で見得る菌である。従ってウイルスとは幼虫から菌になるまでの中間粒子であるから、顕微鏡では見得なくとも、確かに在る事は医学でも認めている通りである。こう分ってくると右の霊の曇りこそ、実に黴菌発生の原地である事は余りにも明らかな事実である。
 以上によって、たとえ、医学によって予期のごとく菌を殺し得たとしても、肝腎な発生原地がそのままであるとしたら、後から後から無限に発生する以上、笊(ざる)に水汲むようなものである。それは今日まで殺菌薬や殺菌法が現われても一時的で、いつか消えてしまうのもそれをよく物語っている。では根本である菌の原地を潰滅するにはどうすればいいかというその方法を次項にかいてみよう。


-----------------------以上引用終わり--------------------------------

医学革命の書  「浄霊の原理」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー


浄霊の原理

未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆

 今日世界広しといえども、真に病を治す方法としては、我浄霊を措いて他には絶対ない事は断言するのである。そこでこの原理を説くに当って、前もって知らねばならない事は、一体人体なるものの構成である。これに対し科学は唯物的にしか判っていないから、それを基本としているのが現代医学である。ところがこれは半面であって、本当は見えざる霊と見ゆる体との二原素の結合から成立っているのである。この理によって病気とは体に現われた現象であり、根原は霊にあるので、つまり表と裏との関係になっているので、この事が認識出来ない限り真の医学は生まれるはずはないのである。では霊とは何かというと、これこそ無色透明一種のエーテル体であるから、科学で把握出来ないのも当然で、科学はまだそこまで発達していないからである。しかし神示によれば立派に実存している以上、将来科学が一層進歩した暁、把握出来るのはもちろんである。この理によって治病の場合、病の本体である霊の方を治さなければ、体の方が治る訳はないので、浄霊とは霊には霊をもって対するという、この平凡な理屈にすぎないのである。
 ところが科学は唯物理念である以上、体のみであるから治らないのである。この意味において医学がいかほど進歩したとても、結局無意味で徒労でしかないのである。ゆえにこれから生まれた医学としたら駄目に決っている。また医療以外のあらゆる療法もそうであり、ただ灸点だけはいささか異(ちが)うが、これは刺戟によって一時的患部の毒素を誘導し、苦痛緩和させるだけで、化膿をよいとするのも、それだけ毒素が減るからである。ここで浄霊の根本原理を徹底的に説いてみよう。
 前記のごとく病気は霊に発生するという事は、最初局部的霊に曇りが生ずる。曇りの原因は薬毒が一旦体内に吸収され、血液が濁るのでこの濁血が霊体一致の法則によって、霊の方では曇りとなる。すると曇りは自然浄化作用によって、漸次局部的に濃厚分子が出来る。これが体へ移写して固結となる。これが神経を使う所程集るのであるから、人間が神経を使う所といえば上半身で、頭脳を主とし眼、耳、鼻、口、咽喉(のど)等であるから、そこへ集中する場合、一旦一歩手前である肩、首の周囲に結集する。体では固結である。今日いかなる人でもその部を探れば、必ず固結やグリグリがあるのがそれである。ところがこれに自然浄化が起ったのが感冒であるから、感冒に罹るや発熱によって固結は溶け液体となり、これが痰、水洟(みずばな)、汗等であって、痰を排泄するためのポンプ作用が咳であり、鼻汁が出るための嚔(くしゃみ)であるのはこの理によるのである。
 また、頭痛は頭脳内の毒素が熱で溶け、いずれかに出口を求めようとし、神経を刺戟するためであり、中耳炎、淋巴腺炎、扁桃腺炎、眼疾、歯痛等、ことごとくそうである。また、彼(か)の神経痛、関節リョウマチスもそうであって、人間が手足、指等を屈曲するため、その部に毒素固結するその浄化の激痛である。以上ザッとかいたのであるが、要するに病気の苦痛は各局部に集溜固結せる毒素排除作用であるから、何ら恐るる必要はないどころか、これによって健康は増すのであるから、喜んで我慢すればいいので、しかも病気苦痛は誰も知る通り、その半分以上は恐怖が手伝うので、右の理を知れば苦痛は半減する訳である。
 そうして特にかかねばならないのは、彼の結核である。この原因は最初浄化発生するや、体内各部に固結せる毒素が、熱で溶けてたちまち肺臓内に滲透し、一時停滞するや、間もなく痰になって排泄される。これが自然原則であって、それを知らない医学は、一時的肺臓内に停っている痰を、肺から病が発生したためと誤解し、極力停めようとする。それで固まるだけは苦痛が減るから治ると思うのである。そこで御注文通り痰の固りが出来、レントゲン写真に雲翳(うんえい)となって写るので、医師は結核の初期、肺浸潤と診断するので、以上の経過にみても全く医療が結核を作る事がよく分るであろう。元来肺臓なる機能を分り易くいえば、液毒すなわち痰が排除される場合、中間駅の役目といってもいいので、それを医学は終点駅と間違え、中間駅に汽車を停めるようなものである。その結果出るべきものを止め、結核を製造するとしたら、これほど恐るべき誤謬はないであろう。
 次に近来恐れられている病気に赤痢、疫痢がある。この病原も意外なところにある。すなわち頭脳特に後頭部から延髄付近にかけての固結毒素が、熱によって溶解、下痢となって排泄されるので、その過程として液毒は一旦腸に溜り、下痢となって出るのであるから想像もつかないであろう。しかしこれは事実が立派に示している。この病気の予後は非常に頭脳明晰となり、学童などは俄然として優良児となるにみて明らかである。そうして医学は結核に限らず、すべての病原を黴菌感染のためとしているが、実は菌なるものは、毒素が古くなれば自然発生するもので、これが物質の原則である。しかも体温という好条件が拍車をかけるにおいてをやである。しかし感染しない事もないが、それは問題とはならない。要は無限に自然発生する事である。この菌については後に詳しくかく事となる。



-----------------------以上引用終わり--------------------------------





医学革命の書  「浄霊治病」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

浄霊治病

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆


 病気は体的症状であり、その本原は霊にある以上、霊を治さなければ病気は治らないのは、前項までに大体説いたが、これについてなお詳しくかいてみよう。
 それはまず、霊と体との根本であるが、人間なるものは既に述べたごとく、霊体は結合一致していると共に、万物の法則としては霊が主で体が従となっている。卑近な例だが人間の五体が動くのは、体が勝手に動くのではない。霊の命によって動くのである。としたら霊が主人公であり、体は従属者である。従って病気の場合、最初霊に発生し体に映るのであるから、体のみを治そうとしても、一時的で根本ではないから、もちろん霊を治してこそ根治となるのである。ところが科学は唯物理念である以上、いかに進歩したといっても治らないのは当然である。度々言った通り医療は一時的、外部的治癒でしかないので、必ず再発するのは、この理を知ればよく分るであろう。
 右のごとく病気は、最初霊に発生するというその経路をかいてみるが、それには薬毒の作用である。薬毒が体内に入るや一旦血液中に混入されて濁血となる。この濁血が多量の場合は全身的に拡がるが、少ない場合はそれだけ局部的に集まる。そうして濁血は霊体一致の法則によって霊に写ってそれだけ霊を曇らすのである。ところが人体なるものは不断に浄化作用が行われている以上、濁血を浄血にする浄化活動が絶えず行われている。そうして濁血が腐敗し変化したものである。これが霊主体従の法則によって、霊の曇りが減っただけは、体に映って濁血及び膿は減る事になる。この過程が病気である事はすでに説いた通りである。
 この理は天然現象にみても分る通り、地上の霊界に汚穢が溜れば、低気圧が発生し、風で吹き払い、雨水で洗い、天日で乾かすと共に、消滅するという作用が自然発生する。これが天地間の浄化作用である。従って人間の病気でも霊の浄化が発生し、体に映るや発熱によって毒素を溶解し、種々の排泄物にして体外へ出すのである。この理によって汚物は出れば出る程、人体は清浄化し健康となるのであるから、浄化作用を援(たす)ける事こそ、真の治療法である。しかるに何たる事か、それを逆に解し、汚物を出さないで元通り固めようとする。というのは既記のごとく浄化に伴う苦痛を病と称し、マイナス的危険作用と解したのであるから、まことに驚くべき迷盲であった。この考え方が医学を生んだのであるから、これに目醒めない限り、人類は病の悩みからいつになっても解放されないのである。では次に浄霊の原理をかいてみよう。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------

豚でもないインフルエンザ騒動はじまりはじまり〜

インフルエンザは風邪です。

過去記事でも探してみてください。

風邪の原理はくどいほど書いて来ましたので、もう鳥でも豚でも何でもいいんです。

岡田茂吉の医学論を読めば分かるんですが、宗教家の言うのはどうも・・という方には千島学説、またホメオパシー理論の「予防接種トンデモ論」などを読んで理解することですね。

しかし、世界の洗脳(濁脳)状態は深いですからねえ。


今回こんなに大騒ぎするののは、既に長年かかって準備がされてきたわけでした。
そんなことも紹介記事に書いてあるわけで、いまさらここでどうこう言って見てもしょうがないわけでした。


で、後はもう、みんながどういう事で気が付くのかを高見の見物ですね。

いくら言ってもこんなに浸透した医学の洗脳(濁脳)状態は世界人類にがっちりはまっているわけで、もう理論とか理屈じゃ解けない様な気がします。

まあ、行くところまで行って、大騒ぎしてとことん騙された結果で個々の立場で気づくというしか無いようですね。

ほんと、バカ騒ぎをしている世界中ですが、意外にさめて見ている人たちも多いのかも知れませんね。

各国の政府も見識者と言われている人たちでさえも本質を知らないで騙されているのですが、名も知られずにいるショミンの方が意外と冷静に考えているかも知れません。

新型インフルエンザなどと言っているけど、風邪の一種に過ぎないのです。
その風邪の原理をまったく分かっていない現代医学の総本山WH男君が世界を先導しているんじゃ、どうにもこうにも対処しようがないようで、お後はもうさんざんパニックに陥ってなるようになるしかないのかも。


それも人類にとって必要な過程なのかも知れないのでしょう。

ウイルスは神の申し子、地球の守り神的存在としたら、それをもしも生物兵器として仕掛けたと仮定しても、それは大自然界の法則の範疇を超えられないものですから、風邪の原理原則からして人工だろうが自然発生だろうが、

インフルエンザ(風邪)は天恵の浄化作用でしかあり得ないのです。

ああ、ありがたや、インフルエンザ様々。


おいおい、ウイルスは頭に侵入したんじゃないのこのしと。


ご心配ご無用です。

わたしゃ、インフルエンザにかかっても、それが豚由来であろうが、鳥由来であろうが、そんなの関係ない、甘んじて受けますよ。

インフルエンザ(風邪)は神の恩恵ですから。


そして、今回の大騒ぎには裏もあるとして、もっとその奥には地球の浄化作用の力が増したということですね。

だから、これに対して迎え撃つとか撃退するとか、防衛するとか言う思考法は大自然(神)に対して人類が立ち向かうということですね。

神と人間のいくさをしてどちらが勝てるか、それこそ興味津々の想いです。

人体に入れてはならない毒物(ワクチンやタミフルなどの抗ウイルス薬剤)が結局は自分自身を奈落の底に陥れるのではと、よけいな心配をしているのもよけいなお世話なんでしょうね。


そればかりか、恐怖心が引き起こす人的交流を遮断してしまう社会の閉塞状態の方が心配です。

世界の貿易がストップしたら、日本の食やエネルギーなど枯渇状態におちいってしまうでしょうから、いや、それがきっかけになって食糧自給やフリーエネルギーに対する認識が一挙にアップするかも知れない・・とすると、この大騒ぎがかえって結果的に好結果をもたらすのかも。


なるほど、すべての事は悪の様に見えても善の結果を生み出すというようで、近目で見ていては分からないのかも知れませんね。

ああ、それにしても

風邪(インフルエンザも含む)はありがたいものですねえ。


え、脳がやられてしまっているって?


はは、おっかあがいつも言っているから免疫がついちゃった〜〜

医学革命の書  「Xの説明」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

Xの説明
『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆


 前項によって治病上最も重要なのは、今日まで地球上になかったX(エックス)なるものであるが、ではなぜ私を通じて発揮される事になったかという理由をかいてみるが、前項にかいたごとく神は人類不幸の原因である病なるものを絶滅するについての必要な条件としては、病理の開明と確実な治病法が生れなければならないのは言うまでもない。すなわち病理は浄化作用であり、治病法は浄霊であるのはもちろんである。
 そこで神は私を選び、智慧と力とを与えられたのである。これがさきにかいたごとく私の文字で作られる御守を使用する事であって、換言すれば無形の原子爆弾であって、しかも霊界における火素が日に月に増量しつつあるため、それに伴い霊の曇りも溶け易くなりつつある事は、私に伝達されつつある火素が漸次増量強化されるからである。それは私始め数万の弟子達の浄霊の力が日に月に強くなりつつある事によっても分る通り、治病力も著しく増して来たのである。
 ところが面白い事にはこの影響は医学の方へは反対に現われてくる。というのはすでに説いたごとく医学は溶けようとする毒素を固める方法であるから、火素が増えるに従い段々固まらなくなるから、固めるには漸次強い力が必要となる。それにはこれまでよりも薬の毒を強めなければならないが、これもある程度以上強めると副作用が起るから、この副作用を起らないようには毒素を加減しなければならないから、これがまた厄介であって、これが薬剤の進歩である。従ってこの進歩はもちろん病を治す進歩ではなく、病を一時的固める進歩である事はもちろんで、これによってみても医療の逆である事が分るであろう。以上の理によって新薬の進歩とは毒素を強めた割合に副作用がない事で、つまり固め方法の進歩である。その結果結核などの死亡が減ったというのもこのためであって、それは事実が示している。というのは死亡率が減った割合に患者及び発病者はいささかも減らないのにみるも明らかである。これについてもこの際私は警告すべき重大事がある。


 それは霊界が昼になるに従い、浄化力が旺盛となるから毒素が固らなくなる。そこで薬の毒素を益々強烈にしなければならないのは当然で、最早この限度に来ている事であって、これ以上は危険線に入る以上、固める力よりも溶ける力の方が勝つ事になるから、そうなると結核を始めあらゆる病気は飛躍的激増となり、患者と死者の増加のため、空前の修羅場(しゅらば)が現出するであろう。

これこそ私が以前から唱えている恐怖時代である。こうなったら最後医師が手を触れるや、たちまち悪化または死となるから、医師の恐怖時代ともなろう。

ここに至って医師が医療を放棄せざるを得なくなる。

そこでこの惨害から免れる道を求める事になるから、ここに至って私の説が初めて光り出し、万人救いを求めるべく、本教目指し蝟集(いしゅう)するであろうから、その時の多忙なる到底想像がつかないと共に、漸次世界的となり、神の御目的である救世済民の大偉業が達成するであろう。


-----------------------以上引用終わり--------------------------------

この論文は公開されていなかったと聞くと、なるほど、あれから半世紀たってそんな事になっていないじゃないか!と言われてしまいますね。


こんな論文はちょっと世間には出せないというのはもっともな事です。

ちょうど第三者が取捨選択するように、信者さん側でもこっそりと取捨選択していたというわけでしょうか。

これが悪いとか良いとか言うのではなく、時期からみるとそのちょうど良いと感じる時期が今なのではないかという事でよいのじゃないかと。


予言と言うよりも予測としてみると、これはこうすればこうなるという位に思えば納得できることです。


薬を言う毒を体内に入れ続けると体内に毒素蓄積するから浄化(病気)する。

水俣病という水銀中毒にしても魚が毒素蓄積、それを人間が毒素蓄積という繰り返しがついには重難病を生み出した様に、別に不思議でもなんでもない、当たり前のことでしょう。

毒を長い間使い続ける医学の結末はその薬(毒)によって最後の重難病を生み出す。

こんなのは当たり前の話です。

だから、最近の鳥だの豚インフルエンザ騒ぎなどもまったく当然の結果が起こっているだけのこと。

癌が増えている日本の医療もそういう事をしているからそうなるだけのこと。

昼にならなくとも夜のままでもいつか必ずその結果が出てくるだけのこと。

しかし、もしも夜から昼への転換という事象が実際に起こるものなら、それは急激に変化が起こるわけですから、もしもそうなったら大変な事に見えるわけです。



しかし、しかし、そうでもならないと多くの人は気づかないのかも知れません。

今の医療産業体はがっちりとスクラムを組んで世界をシッカリと管理しているとしたら、一般人が気づくという様な気配は見えない・・どころか、ますます医学信仰に陥っているわけですから、結局は最後には医師が怖くて医療を施すことができなくなるほど、原因(薬毒)と結果(急性症状)の関係が急速にならないと理解できないのかも知れませんね。


怖い話ですが、と言いつつ、昔30年弱くらい前か、その事を強調して世間を騒がせていたオオカミおじんの張本人です。

反省材料として、今は家内の浄化を10年続けております。 苦苦苦笑


火素(カソ)とは太陽の霊的な面での光のことですね。

火素が増えると浄化が強くなる。

そうなると、最近の黒点活動はウイルスとかの感染症に影響してくるのでしょう。

黒点活動とウイルスの発生は関連しているという観測結果があるそうですから。

まあ、当たり前でしょうか、ウイルスは地球の守り神的な浄化担当役ですから。ウイルスも細菌も人体ばかりじゃなく、地球環境に浄化をやってくれているそうです。

それなのに、どうして人体においてだけウイルスや細菌の浄化活動を忌み嫌うというか悪者扱いにするのか? 

不思議ですね。

いや、不思議でもなんでもない、医療産業が儲かるには病人が減ってはならないからでしょうか。

もっと遠大な視点で見ると、病気は人類にとっての大きな障害物レースの内の重要な要項に入っているから、これが無いとうまくない  なんて考えるほど楽じゃないよ!

とにかく、夜の間は必要悪として、昼の世界には無必要だと分かれば病気は自然と消えて行くものでしょう。

愛でたしめでたし

医学革命の書  「科学で病気は治らない」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

科学で病気は治らない

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆


 科学の進歩は、科学発見以前の世界と較べたなら、比較にならない程素晴しいのは今更言うまでもないが、さりとて向後(こうご)百年、千年後を想う時、それは想像も出来ない程の超驚異的文明世界である事ももちろんである。そこでよく考えてみると、今日までの科学の進歩は、端的にいえば光学の進歩でしかない事である。すなわち小さなものが拡大して見える硝子(ガラス)玉の進歩である。大は天体観測の望遠鏡から、小は微生物発見の顕微鏡に至るまで、つまり大と小の極端の進歩で、中間はほとんどないといっていい。そこで医学に関する面を主としてかいてみるが、現在のところ電子顕微鏡で見得る限度は二十万倍とされている。この限度内で把握された微生物すなわち黴菌、またはウイルスを病原としているのが医学の考え方である。そこで医学はこの菌を殺滅すれば、病は治るものと信じ、それを建前として研究を進めているのは言うまでもない。
 ところで考えねばならない事は、右のごとく二十万倍以下の菌を対象としており、それ以上の菌を重視しない事である。としたらここに問題がある。それは真の病原は二十万倍どころではない。百万倍か、一千万倍か、科学者は想像もつかないであろう。それのみか仮に一千万倍の菌が見えるようになったとしても、それで根本的治病が可能なるかというと、これも分りようはずがない。あるいは真の病原は菌の大きさどころではなく、無限であるかも分らない。としたら科学がいかに進むとしても、病気を治す事は絶対不可能であるのは断定しても間違いはない。それについて言いたい事は、医学は紀元前彼(か)のヒポクラテスが創始したものであって、すでに二千有余年を経ている今日、今もって病気は解決出来ないのである。しかし言うであろう。十八世紀後半俄然として科学が勃興(ぼっこう)し、それに伴って医学も発達したのであるから、このままで漸次進歩の暁、理想的医学となるに違いないから、それを期待しているのである。
 ところが医学の病理のごとく、病原はことごとく黴菌としている以上、前記のごとく顕微鏡がいかほど進歩し、微生物の極致まで発見されたとしてもそれで解決出来ないのは右によっても明らかである。また別の面から見ても、人間の生命は造物主が造られた万有中、最も神秘極まるものであって、他の物質とは根本的に違っている事を知らねばならない。これは説明の要はないほど高級な存在である。言うまでもなく智性、思想、感情等の思想的面は他の動物には全然ない。この意味において人間以外の一切は、科学によって解決出来ると共に、益々進歩発達させねばならないのはもちろんであるというのは一切の物質は人間よりレベルが低く、従属されているものである。
 従って人間が同一レベルである人間を、自由にする事は真理に外れているから、どうしても人間以上であるX(エックス)の力でなければならない。だとすれば人間が作った科学をもって、人間の病気を治そうとするのは、いかに見当違いであるかが分るであろう。ゆえに治らないのが当然である。標題のごとく科学で病気の治らない訳は分ったであろう。また次の例を挙げてみると一層ハッキリする。昔から至大無外(しだいそとなし)、至少無内(ししょううちなし)という言葉がある。もちろん大も小も無限という意味である。例えば大空の無限大と共に、微生物の本質も無限小である。これを人間にたとえれば想念の無限である。宇宙一切、森羅万象いかなる事物でも想念の届かぬところはない。これによってみても人間はいかに高級であり、神秘な存在であるかが分るであろう。
 従って人間の病気といえども、有限である科学では治し得ないと共に、無限の力によらなければ治し得ないのは明々白々たる事実である。この理によって医学の誤謬の根本は、人間と他の物質との違いさを知らないところにある。としたら、その幼稚なる未開人的といっても過言ではあるまい。以上思い切って科学にメスを入れたが、現在のところ私の説は到底信じられないであろうが、科学の理論物理学が実験物理学によって確認されると同様、私の唱える理論が実験上確認されるとしたら、これこそ真理である。ただ私の説が余りに飛躍しすぎているので、直(すぐ)に受入れられないだけの事で、承認されるのは時の問題でしかあるまい。
 以上のごとく無限の病原を、無限力によって万人を救う例として、現在日々数万の患者が救われている。例えば医学では絶対不治とされ、死の宣告まで受けた患者が、医学の医の字も知らない人々が数日間の修業によって得た方法をもってすれば、たちまち起死回生的に全治する。また彼の盲腸炎の激痛でも、術者が数尺離れた所から、空間に手を翳(かざ)すだけで、二、三十分で痛みは去り、間もなく下痢によって排毒され全治する。結核菌を呑んでも感染しない、感冒に罹る程健康は増すとしての喜び、目下流行の赤痢、日本脳炎など、数日間で全治する等々、例は何程でもあるが、これだけで充分であろう。従ってこの著を読んだだけでは余りの偉効に到底信ずる事は出来まい。ちょうど幼稚園の児童に、大学の講義を聴かせるようなものである。この大発見こそ夢の現実化であり、不可能が可能となったのである。私は断言する。何人といえどもこれを身に着ける事によって、完全健康人となり、安心立命の境地になるのは断言する。
 ゆえにこの事が全世界に知れ渡るとしたら、空前の大センセーションを捲き起すと共に、文明は百八十度の転換となるであろう。その時になって臍(ほぞ)を噛むとも間に合わない。この例として明治以後西洋文明が国内を風靡するや、今まで嘲笑され下積みになっていた人達が、一挙に新時代を受持つ栄誉を担うに反し、旧思想に捉われ頑迷な丁髷(ちょんまげ)連中は、慌てて後を逐(お)うとも追いつかなかったのと同様である。しかもこの大発見たるや、それよりも幾層倍、否幾十層倍大であり、永遠性があるとしたら、徒(いたず)らに躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)バスに乗遅れないよう敢(あえ)て警告するのである。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------


この頃の浄霊法の威力はかなりのものだったわけでしょうね。

そして、現在それほどの威力は無くとも数ある後継団体で行っているだろう浄霊法も決して効果がないわけではないと思います。

しかし、今の時期になったらもう宗教に関わらなくとも誰でもそれをやる気になればやれる事かも知れません。

ぜひ実験をどうぞ。

食と運動と自分の心の調和

それを土台にしての浄霊医術なら神様も文句ないでしょ。

文句言うような神様はぎゃくに怪しいかも(笑い)


癌で稼ぐ医療産業体(政官業にマスメディアが加担)を暴く船瀬さんの対談

癌産業体に厚生省が加担したとしか思えない、あの国会証言シリーズでの新学説の実験検証の実質的拒否と隠蔽であったが、あれが40年も前のこと。

40年以上も経って未だに正しいとか正しくないとか議論されているという馬鹿馬鹿しさ。

あの時、国家で実験検証するって発言をしていたお役人さん、いま生きているのやら死んでいるのやら?

そこに出席していた中曽根先生はまだ御存命だけど、果たして覚えているのかどうか?

なにしろ賤しくも国家公務員やら国会議員さんたちだから。

あ、間違い! 卑しくも じゃない、 どうもすみません、「いやしくも」で訂正します。





そうして、癌は3倍あまりも増えて34万人が年間の死亡者という。

癌にかかる者はもっと多いとして、年間どれだけの癌患者に対しての医療費がかかっているのだろうか?

医療費高騰、医療費抑制、病院経営悪化、医師不足、医療崩壊などと一般的に言われている事の根元は何か。

それは病気が治らない、病気が増えている からだろう。

その反対になっていたら、逆現象を起こしていたかも知れない。

ただし、
病人が減るから病院経営悪化は避けられないだろうけど、医師不足もないし、医療費も減るし、国民健康保険どころか全員無料にまでなるかも知れない。


そうならなかったのは、癌産業機構体を見ればよく分かる。

現代医療の実態の代表の様なものだからだ。

しかし、「お任せモード」的国民は知る事もないだろう。

なぜか。

「知る気がない」からだ。(苦笑)

原子爆弾を落とされてこてんぱんにやられた後でないと納得できない国民は放っておいて(笑いというか苦渋まじりの笑い)、今や癌産業体の裏側を知って本当の医療を考えようという賢明な方にのみ、期間限定でお届けする。

あの原さんのスタイルFM より

船瀬俊介氏の癌産業体の裏側発言よりみる癌の真実。

はじまり、はじまり〜〜

http://www.768.jp/ondemand/viproom/archive/24.php


期間限定だそうですよ。

僕はリアルプレイヤーでダウンロード出来ましたので、後でもう一度見ます。

リアルプレイヤーってありがたいですねえ。


なんかおかしい??あっちもこっちも・・

草薙つよしくんの件でもそうだったけど、なんかおかしいこの頃の報道は?って感じる人が増え始めたと思う。


もちろん、重要犯罪人とばかりに逮捕した警察も変な感じがするし。


「最低極悪人」とばかりに総務大臣が発言したというのも、おいおい、それを最低というなら、超超超最低人間はどれほど山のごとく居るじゃねえかあ〜〜。


なんだか針小棒大って言葉あるけど、僕のモノのことを言おうとしているんじゃない、こちらはもうバレバレだからな(爆)


小さな事をものすごく大きな事のように工作、いや、策略というのかな、そうして大きな事を隠してしまうという様な、あそこのモノが大きいと人物も大きいとかパワーがあると錯覚させるようないんぽ論、じゃない、陰謀論まがいな話がまかり通っているんじゃないの。


しかし、どうもそれはおかしいと気づく人が増え始めているんだ。


いつまでもだまされっぱなしという人は死ぬまでそうしてろ!っては言えないけど。


すっかり「お任せモード」一辺倒の人は上から来る情報にはバッタのように頷いて、下から来る情報には顎をあげて見下してしまう。


こんな奴はずっとそうしていろ!


そのうち、目が白黒して、どころか点になってしまうからな。


 


と毒づいて気持ちよくなったところで、


ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー


国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」 RSSを登録する より一部抜粋。


全文はリンクへどうぞ。


 


今回の、草なぎ君報道は多くの点でおかしな点がある。



<なぜ、こんなささいなことで、大マスコミが大々的に報道したり、
わざわざ自宅を捜索するのか?>
<なぜ、こんなささいなことで、「公然わいせつ罪で逮捕」と悪意ある報道が
なされるのか?>
<なぜ、「容疑者」として最初から悪意ある報道がなされるのか?>
<なぜ当初の通報者は、会社員だったのに途中で75歳の老人に差し替えられたのか?>

これは、政敵の小沢一郎氏をでっちあげ容疑で逮捕したいともくろんでいる政治勢力の
予行演習ではないかという仮説がたてられる。

というのもしばしば、イメージ戦略を行うのが、亡国の人物側の特徴であるからだ。

いきなり、「善良な人物」を逮捕する前に、似たような「善良な人物」を
ささいなことで逮捕することで「本番への予行演習」をして
一般大衆へのショックをやわらげるという手法が
ある。
しばしば歴史上悪質な政治側はやっている。



TITLE:政治利用されたと推定されるSMAP草なぎ君飲酒逮捕報道 [まぐまぐ!]
DATE:2009/04/27 09:37
URL:http://archive.mag2.com/0000154606/index.html



 -----------------------以上引用終わり--------------------------------


まあ、小沢一郎が善良かどうかなどは分からないけどね。


こんなことをずいぶんとやってきた検察とか警察だと分かってきたら、いったい国家公務員というのはなんなんだ!?


植草先生の件でも、あれはもう完全に国家権力を利用したえん罪でっち上げだろうに、それに裁判官まで加担しているとはまったく情けない。


さらにそこには巨大増すゴミ、じゃない、巨大マスメディアが絡んでいる。


としたら、先の「お任せモード」の類はイチコロだな・・・


こんな構図が医療産業体で行われているとしたら、こりゃあどえらい事になる。


 


いや、ずっとずっと以前からそうなっているんだけど・・・・・


気づかないんだなあ〜〜


岡田茂吉が昭和初期に始めたそれに対する警鐘があの数え切れないほどの論文だったんだけど、のちに宗教としてしまったのが今になってみるとそれが足を引っ張ってしまったのかも。


ここは信者さん達にはきっと批判的に見られるだろうが、足を引っ張ったのが国や医療業界だけでなくマスメディア産業だということは分かるけど、最後には自ら創った宗教団体そのものから足を引っ張られたという結果になった。


神は教団を守る為に教団を創ったんじゃない。何を対象にしていたのか?


その根本を見誤ると、国家も公務員も医療もまったく違った方向に進んで行ってしまうのだ。神でさえもそうなのだ。


いや、神と人は不離なのだろうが、すっかり忘れて分離してしまっているという錯覚がこういうおかしな事を創造してしまうんだろうなあ・・・


 


 

医学革命の書「浄霊とはなにか」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー


浄霊とは何か

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆

 今まで病気の原因と、そのまた原因である薬毒について詳説して来たから、今度は治す方法とその原理を詳しくかく事にしよう。もちろんこれこそ我浄霊法であって、その素晴しい治病効果は言い尽したくらいだが、病原とは霊の曇りにあるので、曇りさえ払拭すれば病気は治るのは当然であって、この理は科学的にも説明出来る。しかし単に科学のように極限された小乗的のものではない。いってみればこの世界は大別して上中下三段階になっており、これが一切万有の実相である。ところが小乗科学においては、前記のごとく唯物的分野に限定されている以上、外形のみに捉われ、進めば進む程皮相的緻密(ちみつ)になるばかりで、その結果生れたのが黴菌医学である。従って病理の根本から益々遠去かり、逸脱してしまったのである。そうして大乗科学の三段階とは上段は神科学、中段は霊科学、下段が物科学となっており、この下段に生れたのが医学であるから、そのレベルが低く幼稚であるのも当然であってそのような程度の低い科学をもって、最高度の人間生命の解決などは思いもよらない話で、むしろ僭越(せんえつ)でさえあり、長竿をもって大空の星を落そうとするようなものである。
 ここで以上のごとき三段階を一層徹底してみるとこうである。すなわち今日までの世界は物科学と霊科学との二段階のみであったがため、人間生命や病気健康等の根本まで分らなかったのである。もちろん独り医学ばかりではない。あらゆる文化がそうであって、永遠性のない一時的間に合せ物がそのほとんどであったのである。という訳で治病方法にしても、前記のごとく三段階中の物科学と、そうして霊科学中の信仰療法のこの二つだけであった。前者は略すが、後者においては治病方法としては祈り、苦行、禁厭(まじない)等であって、医学と同様見るべき効果はなかったのである。またこれは別の話だが彼(か)の釈尊にしてもキリストにしても、なるほど見真実(けんしんじつ)の境地に達したとは云われているが、最高ではなく二段階の上位程度であり、智慧も力もそれ相応であって、絶対でなかった事は歴史の示す通りである。これも時期の関係上止むを得なかったのである。ところが私においては右の第一段階の最高地位に置かれている以上、無限絶対の大本元を把握しており、一切の事物に精通すると共に、病気その他万般に渉(わた)って驚異的奇蹟を現わし得るのである。こんな事をいっても、第三者は直に信ずる事は出来まいが、これこそ真理の具現である以上、何人(なんぴと)といえども結局信ぜざるを得なくなるのは断言してはばからないのである。しかるに今日までの人類はそこまで分らないがため、釈迦キリストを最高神仏として崇敬し信じて来たのであるが、事実がそれに伴わないため、人々は疑雲に閉ざされ、霊の実在を否定し、科学万能時代を生んだのである。そうして『聖書』には再臨のキリストを予言してあり、仏教は弥勒下生を唱えており、ユダヤ教やその他の教派にしても救世主(メシヤ)降臨を待望している。というようにそれぞれ昔から期待はかけられていたが、ただその時が明示されていなかったため、大衆はそれらの説は理想の表徴(ひょうちょう)くらいにしか思わず、いつとはなしに忘れられたのが現在の世界である。
 私は今更自分が救世主だとも、再臨のキリストともいわない。なぜなれば昔から今日まで随分そういう名乗を上げた者もあったが、みな煙のごとく消えてしまったからで、今日それを唱え出したところで、偽キリスト、偽救世主か大山師くらいにしか見られないのは分り切った話であるからである。要は実際問題であって、今後私の仕事の上において、救世主的救いの力を発揮するか、キリスト再臨的威力を表わすか、弥勒や観音の力徳を顕現するか、天照大御神としての光明を放つか等によって、信ずる信じないを決めればいいであろう。つまり全世界の人々が公正なる批判の眼をもって観てくれれば私は満足であり、それ以外の望みはないのである。
 話は戻るが、以上のごとく物の科学、霊の科学、神の科学の三段階の原則こそ大乗科学であるとすれば、これこそ今後の時代をリードすべき最高学問であるといってよかろう。ゆえに今日までの科学がいかに程度の低いものであったかは充分判るはずである。
 従って我救世教こそ、最高最貴の主神が経綸し給うところの神科学の具体化であり、それから生れた浄霊医術である以上、超偉力を発揮するのも不思議はないのである。何よりも事実が遺憾なく証明している。例えばキリストの治病奇蹟にしても、一人対一人であったに対し、私は私の弟子をして、キリストと同様の奇蹟を日々無数に顕わしつつあり、その数も数十万に及んでいるので、言わば現在すでに数十万のキリストが日本に生れている訳である。この神力こそ主神以外にあり得ない事は、常識で考えても分るはずである。
 ここで浄霊について一層詳しくかいてみるが、まず私は一枚の紙片に「光」という文字を書き、それを畳んで御守として入信者に渡すと、それを懐に入れて手を翳(かざ)すや、たちまち掌から光が放射され、霊の曇りは解消し病は治るのである。この光とは私の腹中に在る玉の威力であって、この光は無限に放射され、霊線を通じて御守に伝達する。この理はラジオを考えればすぐ分る。放送局、アンテナ、受信機の関係と同様である。以上長々とかいた事によって、読者は病気の根本が分り、医学の誤謬が明らかとなり、治病の根本も会得(えとく)されたであろうから、これが世界的に拡がるにおいては、病無き世界の実現は敢(あえ)て難事ではないのである。
 右のごとく、黴菌の原地を潰滅する手段としての、術者の掌から放射される光としたら、この光は何かというと、これを科学的に説明してみると、すなわち曇りの中に含まれている不純粒子が光に会うやたちまち焼尽され、純粋水素のみが残るのである。それは光に含まれている火素という熱の力であって、これを説明すると、火素とは光に含まれている太陽熱の精で、言わば陽粒子ともいうべきものである。だが科学では水素はいうが、火素を言わないのは不思議である。しかし火素は熱の霊であって体ではない。体は吾々が使用する熱い燃える火であるが、霊の熱は超稀薄のものであって、体の熱に比べれば比較にならない程の強力なものである事は、実験によっても明らかである。すなわち濃厚な膿に向かって浄霊するや、回を重ねる毎に漸次薄くなり、ついには清冽な水になってしまう。これこそ火素の熱力によって毒粒子だけが焼尽されるからである。この理によって体内いずれの深部にある膿や濁血といえども全然身体に触れずして、浄霊によって溶解し、大部分は漿液となり、濃厚な分だけ排泄物となって出てしまうのであるから、最初手術の項にかいたごとく、機能を何ら損じないで、病気だけを除去する事が出来るのであるから、これこそ最も進歩せる文化的医術でなくて何であろう。そうして私の腹中にある光の玉というのは、仏教においては如意宝珠(にょいほうじゅ)、神道においては麻邇(まに)の玉〔摩尼の珠〕の名によって、昔から知られているものである。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------

ここで僕の見解(などと偉そうに)ですが、

やっぱり岡田茂吉は宗教家ですから、キリスト教からの影響を受けてしまうのです。

というよりも、地球に発生した宗教観が影響すると言っても良いわけで、あのキリスト教でさえイエスが作ったものでもなく、古代からの宗教観が土台となってのちに創作されたもののようですから、太古から続いてきた宗教という一種の足かせは夜の時代の産物なのでしょう。

その宗教の中にある一つの柱となるようなものが、メシヤとか救世主という人類救済の主(神)が現れて最後の世を救ってくれるという思考です。

これがどこの宗教にも見られると思いますし現代の宗教でもそれぞれ誰が救世主だのどうだのと言っているのは想像できます。

しかし
救世主は外から現れるものではありません。
内から現れる・・というより、再発見する・・・もともとあるものを再認識する・・・救世主は内から論。

おそらくこれが真実でしょう。
すると、外からの救いは本物ではなく、仮のもの。

こういう点から考えると浄霊といえども外からの感覚でやっていると本物にならない・・・・浄霊法が当時の様に奇跡の連続ばかりでなくなった意味がなんとなく・・・

つまり内なる神こそ救世主としたら、内なる神とは自己の自然良能力というわけです。

浄霊といえども、外からとすると主でなく、従として「手助け」的に考えると、それはそれで有効な治癒療法に加えられるのではないでしょうか。

誰でも垣根なく出来る浄霊医術  という観念で実験検証をしましょう。

医学革命の書「手術について」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

手術に就て

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆

 近来医学においては、手術の進歩を大いに誇称しているが、実はこれほど間違った話はない。むしろその反対で手術の進歩とは、医術の不進歩を表白する事は私は常に唱えている。従って真の医術とは、患部の機能はそのままにしておいて、ただ病気だけを除(と)ってしまう事で、これが真の医術である。それはほとんどの病気は機能の近接部に毒素が集溜固結し、器〔機〕能の活動を圧迫阻害するからであって、機能自体には関係がないのである。従って治病とは右の毒素だけを除去してしまえば、それで完全に治るのである。ところが医学ではそのような巧妙な事が出来ないため、止むなく機能も共に除去してしまうので、全く無力の結果に外ならないのである。
 従って病気を治す目的のため、患部全体を切り除るとしたら、原始人的方法であって、少なくとも文化的でない事は言うまでもない。しかもその手段たるや肉を切り、血を出し、骨を削るなどの残虐的行為により、患者に非常な痛苦を与えるに至ってはむしろ悲惨事である。なるほど手術中だけは麻酔薬を用いて痛苦を免(まぬが)るとしても、その後の傷口が治るまでのガーゼの取替や日数のかかる事、莫大な費用を要する等を考えたら、患者の負担は容易なものではあるまい。それでも順調にゆけばまだしもだが、中には経過が悪く再手術を要する場合もあり、切開してから誤診が分り慌(あわ)てて口を閉(ふさ)ぐ事などもよく聞く話で、たまには手術の失敗で生命を失う事さえあるのだから、全く一種の冒険である。そればかりではない、外部的病気の場合手や足はもちろん、指を切って不具にしたり、腫物などは醜い傷痕を残す等、一生涯の不幸の種を残す等忌憚(きたん)なくいってみれば、現代医学は野蛮医学といってもよかろう。
 しかしながら医師はいうであろう。「なるほどそれは分っているが、もし手術をしなければ生命に関わる以上、不具や傷痕など云ってはおれないから、止むを得ず行うのだ」との理由もあろうが、これが大変な誤りである。というのは手術を要する程の病気なら、無論固結毒素に強烈な浄化が起ったからで、熱も痛みも相当激しいに違いない。つまり旺(さか)んに治りつつある状態であるから、放っておけば迅速に毒は溶けて、排泄され必ず治るのであって、苦痛はそれまでの期間と思えばいい。それを手術の苦痛に比べたら何分の一で済むのであるばかりではなく、堪えられない程の苦痛であればある程短期間で済む訳で、長くとも数日くらいと思えばいいので、しかも自然療法なら順調に治るから心配がなく、むしろ楽しみとなるくらいだから我慢し易い訳である。ところが世間よく何十日も痛む患者があるが、これは元の病気の外に薬毒を追加するため、その痛みが増したからである。しかも自然治癒なれば不具にもならず、醜い痕も残らず、短時日で順調に治り費用もかからず、生命の危険さえないのだから、この事を知っただけでも大きな幸福を得たのである。しかしこれを読む医師も一般人も、今までの考え方との余りの異(ちが)いさに、容易に信ずる事は出来まいが、これこそ絶対の真理である以上、白紙になれば簡単に分るはずである。それについての二、三の例をかいてみよう。
 手術について最も多いのは、彼(か)の盲腸炎であろうが、この病気の原因は服(の)み薬の毒が胃壁を滲透して右側腎臓部に集溜し、それが少しずつ溶けて一旦盲腸部に移行し固結するので、健康であっても盲腸部と右側背部腎臓部を圧(お)すと、多少の痛みがあるのはそれであって、これがある人は早晩盲腸炎が発(おこ)るとみていいのである。これがある程度に進むとここに浄化作用発生し、高熱に激痛を伴い、右の固結が溶け下痢になって排泄されて治るので、これが順序である。ところがその際溶けた毒素は腹膜を通過するので、医師は間違えて、「これは大変だ。早く手術しないと虫様突起が破れて、腹膜炎を起すと最早手後れで助からない」というが、これを吾々からみれば笑えないナンセンスである。というのは右は順調な経過であって、命に関わるなどは絶対ないからである。従って盲腸炎の場合何ら手当もせず、放っておくだけで、一週間以内に必ず治るのである。しかも盲腸は重要な機能である以上、それが失くなれば他に影響を及ぼすのは当然で、前記のごとく腎臓部に溜った薬毒の移行する個所がなくなるから、その毒は他へ氾濫する。それが腹膜及び腎臓部である。そうなると反って盲腸炎より始末の悪い病気となり、容易に治り難くなるのである。このように放っておけば簡単に治るべきものを、誤れる医療は反って将来の禍根を残すのであるから問題である。次に多い病気に扁桃腺炎がある。これは液体薬を服む場合、それが口内の粘膜から浸入し、膿化し、扁桃腺部に集り固るが、それに浄化が起って熱で溶けて腫れ、破れて膿が出て治るのである。ところが医療はルゴール等の塗布薬で固めるから、一旦治っても必ず再発するというように癖になってしまう。もちろんその度毎に増大し、ついに手術の止むなきに至るのである。
 次によくある病気にひょう疽(そ)と脱疽(だっそ)があるが、この原因はひょう疽は右なら右、左なら左の頸部淋巴腺に固結している毒素が溶けて、指の先から出ようとするそのための激痛であるから、その際頸部を探れば必ず固結と発熱があるからすぐ分る。ゆえに吾々の方ではひょう疽でも指先に構わず、頸部だけを浄霊すればたちまち痛みは去り、長くも数日で全快するのである。ところが医診では指が腐るなどというが、これこそ噴飯物(ふんぱんもの)である。この間違いは最初指先にちょっとした腫物が出来ると、それが段々上の方へ拡がって行く。ちょうど腐れ込むように見えるからである。しかしこれはある程度拡がれば必ず停(とま)ってしまうものである。また脱疽はひょう疽と同様鼠蹊部淋巴腺に溜った固結毒素の浄化作用で、これは略すが、この両方共医療では必ず手術するから不具になるので、これも浄霊か自然治療なら必ず元通りに治るし、その他の腫物や皮膚の湿疹にしてもことごとく薬毒であるから、自然療法に限るのである。すなわちすべての腫物類は放っておけば、腫れるだけ腫れて最後に小さな穴が穿(あ)き、そこから血膿が排泄して全治する。しかもどんな大きな腫物でもいささかも痕跡は残らないから、今後この理を心得ておれば、驚く程の膨大な腫物でも何ら心配はない。しかもこれは非常に結構な浄化で、もし右の毒素が内攻すれば、内臓の病気になるところを外部に排泄されたので、大難が小難で済んだ訳である。また傷や火傷(やけど)の場合よくその部へ膿が集るので、医師は黴菌浸入のためとしているがそうではない。その付近にある毒素が、刺戟のためそこへ集まり排除されるので、それだけ毒が減るからこれも結構である。
 ここで大いに注意すべきは消毒薬中毒である。手術とか外傷の場合消毒薬を不可欠のものとしているが、何しろ何十倍に淡(うす)めても黴菌を殺すだけの劇薬であり、直接筋肉から滲透するので、時が経てば必ずどこからか出ようとする。その場合多くは頭痛、眼(失明)、中耳炎、歯茎等であり、時には下降して肛門(痔)、陰部、手足の関節等へまでも集溜し、腫物か湿疹となり、痛み痒みの苦痛が伴うが、ただ消毒薬に限って激痛であるからよく分る。その場合これはアノ時の消毒薬だなと思うと必ず肯(うなず)くであろう。また近頃膝から下に腫物の出来る人が多いが、これは予防注射の薬毒が下降したもので、放っておけば膿が出て必ず治り、少しも心配はないのである。



-----------------------以上引用終わり--------------------------------


原始時代のやり方を進歩させたのは、手術道具などと検査機器、それに医師の手術の技術というわけでしょうが、根本は手術という「悪いところを切り取ってしまえばよい」という、これが原始人的思考なんでしょう。

ストーブが絶対燃えない様に上の燃焼部分を撤去したとしても、タンクの中に油が残っていると何か火をつける機会があれば燃える可能性を残しているわけで、本当に安全な状態にするにはタンクから油を抜いておくことです。

タンクに油が残っている状態なら、そのうち何かのきっかけで着火してしまう可能性は消えないのです。

手術は身体機能を除去して内的外的障害者を作りだしてしまう大欠点を持っているわけです。

機能をそのままにして病だけを除去する・・・この意味がこの期に続く病気の解剖論です。

医学革命の書「現代文化とは」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー


現代文化とは

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆

 これまで説いた事によってほぼ分ったであろうが、要するに医学誤謬の根本は、自然を無視したところにある。というのは病気というものは、さきにかいたごとく体内機能の邪魔物である毒素を、病気という形によって排除する自然作用であって、そのように神が造られたものである以上、人間はそれに従うのが本当である。この例としては、彼(か)の風雨や雷火である。これは空気界及び霊気界に汚穢が溜り、これが濃厚となると、毒素が発生し、人畜その他に害を及ぼすので、浄化作用が発生する。すなわち風で吹き払い、雨水で洗い、天日で乾かし、特殊なものは雷火で焼尽する。これを小さくしたものが人間の病気であるから、この理を知ったなら病気を止める事が、いかに反自然であるかが分るであろう。
 ここで病気と科学の関係についての誤りについて詳しくかかねばならないが、元来科学の役目は人間生存上人間の意欲を満たすべく、より便利に、より美しく智能を豊富にし、幸福を増進するための学問であって、その分野は自ら定められている。それは形而下(けいじか)的学問であるに対し、人間の生命は形而上(けいじじょう)的の存在であって、科学の分野には属していないのである。すなわち科学は唯物的分野であり、人間生命は唯心的分野であるのが真理である。しかるに近代に至って科学の驚くべき発達によって、人間はそれに幻惑され、科学をもってすればいかなるものでも解決出来るとする科学過信に陥ってしまったのである。それがため己れの分野を逸脱し、唯心分野の領域に侵入したので、その結果人間生命をも自由にしてしまった。この下剋上(げこくじょう)的考え方が医学を生んだのであるから、根本的に誤っているのは今更言うまでもないのである。
 以上のごとく人間生命は、唯心分野にあり、唯心分野を握っているのが神であるから、私が行う治病の素晴しい力も神から発現する以上、いかなる病気も治るのは当然であって、敢(あえ)て不思議はないのである。ところが現代人はこれを見て不思議と思い、奇蹟としているのは実は嗤(わら)うべきであって、逆さになって見れば真直なものが逆さになっているのと同様である。という訳で私が行う神霊治病方法は、見た事も聞いた事もない破天荒(はてんこう)的であるから、容易に受け入れる事は出来ないので、一時は戸惑いするが、しかし根本から判るに従い俄然として、長夜の夢が醒め、医学の迷蒙も分り、ここに安心立命者となるのである。従ってこの著を読んでも、なお躊躇(ちゅうちょ)逡巡目覚めないとしたら、その人は滅びの淵に臨(のぞ)んでいる危険極まる人と言ってもいいであろう。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------



要するに神の分野とは「自己の内に繋がる偉大なる力」のことでしょうね。

その「内なる神の力」が「自然治癒力」のみならず「病気発動力」という浄化装置を働かせるというものでしょう。

神と繋がっている内なる世界へと探求すると、今の量子学という科学と精神世界や宗教で言われてきた霊界の探求が繋がってくるわけでしょうか。

神は外ではなく、内に繋がるという意味が「自己治癒力」の解釈になるかな?」
しかも、物理的身体の裏側には霊的身体まで合わせ鏡のごとく存在しているというまか不思議な世界観。

これぞ、最新物理学の「教義」になるではありませんか!

岡田茂吉の霊界論が完全無欠であるとは思いませんが、この当時においての理解と半世紀過ぎた人類の理解力の進歩に差が出てくるのは当然です。


それと宗教という枠組みに入っている理解力とそれを悦脱?してからみる宇宙的な視点から見た霊界論に理解力に差が出るのは当然。

それにしても、この病気の迷信を昭和初期から解いていた岡田茂吉が信者から「神のごとく思われた」のも当然でしょう。

それをさせたのは、やはり偉大な治病効果をあげていた「浄霊医術」だったのです。

観念ではなく、実効がものを言わせた。

しかし、浄霊医術の実効が失せたとしても、この医学革命の書の病理観は特筆するものであり、第三者が大いに研究検討するべきものでしょう。

特に医療関係者は病気の原理解明に見逃すことのない論文であり、千島学説とともに実際に医療現場に即役立てる基本となり得るでしょう。

と、まあ、また偉そうに。

医学革命の書  「毒素とは何か」

最近になってようやく「毒素」とか「毒だし」とかの言葉を聞くようになったのですが、岡田茂吉論文執筆時代、当時もそうですが、僕がこれを教えられた頃はこんな単語を吐くとおかしな目で見られたものです。

それが今やこんな言葉を頻繁に見かけたり聞いたりするような時代になりました。
医師でさえも「薬が毒だ」と公言する時代です。

まったく長くかかったわけです。
この論文は昭和28年だったということですが、本当は既に昭和10年頃の同様な論文が残されているわけで、事実上は昭和の初期にこの様な説が説かれたそうです。

すると、半世紀どころか一世紀近くかかって、ようやく人類がそれを認識できるほど深く染みこんでしまった医学の呪縛なのでしょう。

毒素排泄が病気の正体だとしたら、そのきっかけになるのは心の問題が関わってくるという話は岡田論と最近の病気ストレス論を合わせて考える必要があります。

ストレスとは魂の目的と顕在意識のズレからくる不調和状態にありそうですが、単に生活上の心身の苦痛を言うのではなく、「受け取りかた」にあるそうです。

おなじ体内毒素の排泄作用、浄化作用が起こりえる条件を持っていても、発症する機会、時期はそれぞれその人の心の状態にあるとしたら、浄化の原理原則は岡田論で学びつつ、心と病気の関係は最近の「心と身体の関係論」を学ぶという様に、ひとつの論だけでなく、総合的に考える時代なのでしょうか。


癌と心の関係は土橋シゲタカ(でしたか?)医師の本などもありますが、松尾みどりさんのお話テープを聴くと、より深く解説されています。


原理原則は病気は浄化作用。薬は毒作用で病気の素になる。そして、その浄化作用のきっかけを作るのは自分の心の状態がかなり関係している。

このように考えると、どんな素晴らしい治療法であっても、心の問題を無視していると根本的な癒やしにならない。どこかに不調和状態のものが残っているゆえに、いずれはまた浄化の機会を魂が作るだろう。

こんな風に考えたら、最近の浄霊医術とこの岡田茂吉時代の浄霊医術の効果の差があって当たり前なのかも知れません。

というのは、むやみやたらに奇跡的治療を行うのは良いが、心の奥の問題を抜きにして「一種の強制的治病」は魂にとっては「迷惑な奇跡」として受け取られるのかと思ったわけです。

しかし、この原則を知っての浄霊医術は自分で出来るし、まったくタダで各家庭で行える癒やしの方法のひとつとして有力な味方になるのではないか。



それはもう、宗教という垣根をはらって各自が癒やしの中心的存在であるという認識が芽生えるきっかけになるとしたら、浄霊医術の方法は心の問題解決とあわせて効用できるものの一つになるでしょう・・・か?

自己治癒のための力強い味方、手助けとしての浄霊医術法はまだまだ捨てたもんじゃないと思うこのごろです。

しかし、それは宗教とは別にしてと思うのは、宗教自体が「内なる神」から離れさせてしまう教義が中心になっているからです。

精神性の束縛と人間の自由意志の関係を宗教自体がある種の呪縛状態にしてしまう。依存性を増やす事は宇宙の法則に違反すると聞きました。

神に繋がるというのは外への依存ではなく、内なる神へ繋がるというのが真実のようですから。

関係ない前書き書いてしまって、またまた実生活と正反対の偉そうなことを書いてしまいましたが、それでも「私は神」と。

もちろん、「あなたも神」ですから、文句あるか!?(笑い)





ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

毒素とは何か

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆

 病気の原因は体内に溜った薬毒の固結が、溶解排除される苦痛である事と、医学はその苦痛を逆解し、溶けようとする毒素を固める事であるが、それには毒を体内に入れて弱らす事である。

というのは毒素排除すなわち浄化作用なるものは、人間が健康であればある程旺盛なものであるからである。そこで浄化作用を停止する事で、それには健康を弱らす事である。

その理を知らない人間は、昔からその毒を探し求め飲ませたところ、からだが弱り、浄化が弱り、苦痛が軽減したのでそれで治ると思い、有難いものとして薬と名付け、病気の場合これを唯一のものとして用いたのである。

これについて有名な漢〔蘭〕方の名医杉田玄白のいった事は、「薬は毒である。治病に薬を飲ませるのは、毒をもって毒を制するのだ」との言葉は至言である。

ただいささか徹底しない点は、毒をもって毒を出さないようにするといった方がなおハッキリする。この理によって毒の排除を止めるに毒をもってする以上、古い毒素の上に新しい毒素を追加するので、古い毒の固りの外に新しい毒の固りが増えるから、最初より浄化が悪性となる。

それに対しまた新しい毒を入れるから、段々毒が増えてゆき、からだは弱る上に弱るので、浄化の力も弱くなる。こうなった人は顔色悪く、風邪引き易く、元気なく、常に医者と薬に浸りきりになり、生ける屍のごとくなって、年が年中苦しみ通しであって、一人前の仕事など到底出来ない哀れな者である。


しかもそうなってもその原因が分らないから、相変らず次から次へ医師を取換え、新薬を探し求め、灸や禁厭(まじない)、民間療法、信仰等に遍歴しているが、それでも根本が分らないため、散々金を使った揚句(あげく)、苦しみながらあの世行となるので、この因はといえば医学の誤りであるから、この罪悪こそ驚くべく恐るべきもので、結果からいえば医学は悲劇の製造元であるといってもいい。



 このように私は思い切って赤裸々にかいたが、これを読んだ医学関係者は何と思うであろう。中には憤慨する者もあるであろうが、全人類救済上止む事を得ないので、小の虫を殺して大の虫を助ける訳であって、これこそ神の大愛によるのであるから、むしろその恩恵に感謝すべきである。その結果病なき人間が増えるとしたら、この世界はどうなるであろうか。

今までの地獄世界は一転して、地上天国、極楽世界となるのは必然で、想像するだに歓喜幸福の希望が湧くであろう。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------

医学革命の書  「固め方法と溶かす方法」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー


固め方法と溶かす方法


『医学革命の書』固め方法と溶かす方法
昭和28(1953)年執筆

 以上のごとく現在までの療法という療法は、ことごとく固め手段であるから、医学の進歩とは固め方法の進歩でしかない事がよく分ったであろう。そうして薬剤以外の方法としては彼(か)の電気、レントゲン、種々の光線療法等、いずれも固め方法であり、氷冷、湿布、塗布薬等も同様であるが、ただ灸点、鍼(はり)、吸瓢(すいふくべ)だけは右と異(ちが)い、刺戟によって浄化中の毒素を患部へ誘引し、一時的苦痛緩和を狙ったもので、もちろん治るのではないから、灸など毎月というように定期的に据えるのはそのためである。このように今日までのあらゆる療法は浄化停止であるから、病を治すのではなく、結局治さない方法でしかないのである。
 この理によって真の病を治す方法は、右とは反対に固結した毒素を溶かして体外へ排除させる事で、それ以外真の療法はないのである。それを理論と実際とによって、これから詳しく解説してみるが、それについて前もって知っておかねばならない事は、人間なるものの実体である。これを医学では一個の物質と見なしているが、もちろん医学は唯物科学から生れたものである以上、そう見るのも当然であるが、この見方こそ誤謬の根本である。というのは人間が単に物質のみであるとすれば理屈に合わない事になる。何となれば人間には意志想念という目にも見えず、手にも触れないものでありながら、確かに存在しているからで、こればかりはいかなる科学者といえども否定は出来ないであろう。とすればこの無なるものが、実は人間を自由自在に操っている本尊様という事になる。近来医学でも精神医学といって、精神的に治す方法を試みているが、これが案外奏効するので、漸次関心を持たれて来たという話である。してみると医師の中にも、人間は物質のみでない事を認識された訳である。以上のごとく人間は肉体以外見えざる心があり、心を包んでいるものを私は霊と名付けている。従って霊と肉体との両者併合によって成立っているのが人間である事は余りにも明らかである。ところが医学は右のごとき人間の本体である霊を無視し、体のみを研究して来たのであるから、一方的跛行的であって、言い換えれば肝腎な主人公たる魂を無視して、その配下共を対象とした訳である。つまり肉体は外殻で中身ではない。中身とは見えざる霊であるから、これを主としてこそ真の医学は成立つのである。医学がすべての病原を細胞〔菌〕のみに持ってゆくのもそのためである。ではなぜ科学は霊を認めなかったかというその原因こそ、霊は肉眼で見えず、機械でも測定出来なかったからである。というのは全く現代科学のレベルが低いにもかかわらず、それに盲目であったため科学を実価以上に信じ、科学で把握出来ないものは一切無と決めてしまった。つまり科学過信の結果である。従って将来科学が幾層倍進歩した暁、霊の確認はもちろんだが、ただそれまでにいかに誤った医学による多数の犠牲者が出るかを想う時、一日も早くこの迷盲を目覚めさせなければならないと痛感するのである。という訳でこの発見が現在科学の水準より余りに進み過ぎているため、容易に信じ難いのである。とはいうもののこの説こそ不滅の真理である以上、遅速はあろうが必ずや、全人類理解の時の来るのは、さまで遠くはないと思うのである。
 ここで後〔前〕へ戻るが、病の根本である霊の病とは何かというと、これこそ霊へ発生した曇りであって、これを除去する方法を浄霊というのである。すなわち霊の曇りがなくなれば、体へ映って濁血は浄血となり、最も濃厚な分だけ種々の排泄物となって体外へ出て病は治るのである。そうして濁血の古くなったものが膿であるから、彼(か)の排泄物には膿と濁血と、両者混合のものとの三種あるのもそういう理由である。

 以上のごとく濁血が霊の曇りの原因としたら、一体濁血は何によって作られるかというと、意外も意外これこそ薬剤であるから、初めて知った人は開いた口が窄(すぼま)らぬであろう。ところが今日までそれを知らないがため、薬剤をよいものとして使用して来たのである。しかし薬毒は医学でもある程度認めてはいたが徹底しなかった。すなわち医学では自然に排除されるとしていた事である。それについて次に説明してみるが、本来人間の食物としては五穀、野菜、魚鳥、獣肉等ことごとくは、人間の嗜好に適するように出来ており、その味を楽しんで食えばそれで必要なだけの栄養が摂(と)れ、生が養われるので、これが自然である。この点生殖と同様で、子を造る目的ではなく、他の目的によって自然に出来るのである。このように食うべき物は自ら決っており、体内の消化器〔機〕能もそれだけを完全に処理するようになっているので、他のいかなる物も処理されないのはもちろんであるから、薬は異物である以上処理されず、大部分は残ってしまう。しかも浄化を停止するだけの強い毒である以上、その毒分は残り血液中に吸収される。これが濁血である。この理を知って医師も患者も既往(きおう)を顧みれば必ず分る。この病気は何年前、何十年前に、アノ病気の時服(の)んだアノ薬、アノ注射のためであったと気が付くのである。というのは薬毒の執拗(しつよう)なる容易に解消するものではないからで、この例として私が五十二年前肋膜炎を患(わずら)った時の薬毒が今も残っており、数年前から私自身毎日のように溶かしており、近頃は大分減ったが、それでも少しはまだ残っている。今一つは三十七年前歯痛のため約一ケ年間、毎日のように薬を塗(つ)けたための痛みも今なお残っており、これも毎日浄霊しているくらいであるから、薬毒の恐ろしさは到底想像すらつかないものである。このように薬毒は一生涯の悩みの原因となるばかりか、全部の解消はまず困難といえよう。この理によって我浄霊法とは薬毒溶解排除の方法であって、現に薬毒が減っただけは快方に向うにみても判るであろう。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------


病気とは浄化作用

この原則から言うと、病気とは濁血(だっけつ)を浄血にする人体の自然良能力の働き。

血液の汚れとは物質的な状態だが、裏面から言うと霊的な曇りであるというのが岡田茂吉論。

結局、濁血=霊の曇り。 霊の曇りを消滅させる方法が浄霊医術というわけ。

これは浄霊法を行わなくても、自然に備わった自信の働きが備わっている事に注目すべき事。

現代医学の根本が濁血療法になっているという指摘である。

故に現代医学的治療方法そのものが病気の原因を造りだしているという驚くべき論なのである。

医学の革命と称する根本的理論が書かれている。


ということで、僕の解釈は終わり。

皆様の研究検討をどうぞ。



医学革命の書  「病気を治す方法」

病気を治す方法

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆


 以上によって病気なるものの実体は大体分ったであろうが、ではそれを治すにはどうすればいいかという事である。

前項のごとく放置しておけば治るのは間違いないが、それでは非常に時日がかかる。
というのは毒素が少量であれば速かに治るが、そういう人は極(ご)く稀(まれ)で、大抵な人は薬毒が充満している。

もっとも政府も医師も小学校時代から薬を服めと教育し、奨励し、これが文化のあり方としているのだからたまらない。今日薬剤特に新薬がいかに売れるかは、新聞広告欄を見ても分る通り、第一位を占めている。かてて加えて先天性薬毒も保有している以上、今日の人間は人間の形をした毒の塊であるから、ともすれば病気に罹り易く、その都度(つど)薬と来る。という訳で戦々兢々として日を送っている。しかもそういう人に限って矢鱈(やたら)に薬を服み、衛生にも充分注意していながら弱々しいのは、昔から養生家程弱いと言われている通りである。また当局は当局で医学の説を金科玉条と信奉している。そのためヤレ帰宅したら手を洗え、含嗽(うがい)をしろ、風邪を引くな、暴飲暴食を慎め、無理をするな、睡眠を充分採れ、黴菌を恐れよなどと注意怠らず、結核検診、各種の予防注射は固より、子供は寝冷をするな、生水を飲むな、食物をよく噛め、よく睡れなどと、ザッとかいただけでこのくらいだから、現在生活の煩雑さは生きているのが嫌になるくらいである。これが文化的生活としたら、一種の牢獄であろう。この最大原因こそ病なるものは、健康のための神の恩恵である事を知らず、逆に病気を病魔と言い、闘病などといって敵視しているのを、吾々からみれば迷信地獄に陥ちて苦しんでいる人々としか思えない。それに引換え吾々の方では病を大いに歓迎している。例えばお陰様でやっと風邪を引きました。先日は酷い下痢と嘔吐があって、それからとてもからだの工合が好くなりましたとか、やっと熱が出たからもう大丈夫だと、仕事に取掛るというような有様を見たら腰を抜かすであろう。これこそ病の根本が分っているためと、必ず治るという自信があるからで、この境地こそ文字通りの安心立命を得た幸福者である。ゆえにこの世界から薬剤全部を海へ投げ棄てるとしたら、その時を限りとして病は漸次この世界から消滅するのは、断言して憚(はばか)らないのである。


 以上は現代医学に対し、大胆率直にその真相を暴露したのであるが、ではこの誤謬を是正するにはどうしたらいいかというと、それははなはだ簡単である。すなわち私の説に従い、病気に罹った場合自然療法か、または浄霊療法を行えばそれで解決するのである。

これについて今までの統計によるも、最も治り難いとされている結核の治癒率が九十三パーセント、他の病気は九十七パーセントという好成績を挙げている。しかも右の少数失敗者の原因は、薬毒が余りに多量のためであるから、そうでないとしたら百パーセントは確実である。また浄霊法の最も誇るべき特長は、施術の場合医療と異(ちが)って、肉体に一手も触れない事である。そうして浄霊の主眼は薬毒解消法であり、薬毒が減っただけは治るからよく分る。といっても医学迷信に固まっている現代人は、容易に信じられまいから、充分納得のゆくよう詳説すると共に、本人手記の百の実例〔略〕をも添えてある以上、理解されないはずはないと思う。


-----------------------以上引用終わり--------------------------------

医学革命の書  「現代医学論」

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

現代医学論


『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆


 この著を編纂(へんさん)するに当って、私は非常な決心をした。
というのは医学なるものの実体を、ありのまま発表するとしたら、何人(なんぴと)も驚嘆せずにはいれないからである。これほど進歩したと思い、世界万民が謳歌し、信頼している現代医学に対し、私は真向(まっこう)から鉄槌(てっつい)を下すのであるから、人類救済のためとは言いながら、まことに忍び難いものがある。
しかしながら神は万人の生命を救うべく、私をしてその大任に当らせた以上、私といえども絶対者の命に従わざるを得ないと共に、現在病魔のために地獄の苦しみに呻吟(しんぎん)しつつある人類社会を見る時、その原因が医学の誤謬にある以上、到底晏如(あんじょ)たるを得ないのである。ゆえにもし現在のままの迷蒙を続けるとしたら、人類の将来は果していかになりゆくや、思うさえ慄然(りつぜん)とするのである。

 そうしてこれをかくに当っては、まずその根本から明らかにせねばならないが、それにはまず現代人の科学至上観念である。序論にもある通り科学さえ進歩させれば、何事も解決されるとする科学過信の思想であって、そのため事実よりも学理の方を重視し、いかなる発見創造といえども、既成学理に合わない限り拒否して取上げないとする偏見であって、これが文化的と思っているのであるから困ったものであるが、むしろこれこそ文化の反逆でしかない。

何となれば文化の進歩とは、定型的学理を打破し得る程の価値あるものが発見されたとしたら、躊躇(ちゅうちょ)なくそれを取上げる、ここに文化の進歩があるのである。

ところがそれを頭から否認するという丁髷(ちょんまげ)思想であって、この代表ともいうべきものが現代医学であるから、偏見を通り越して科学にはないはずの新しい封建である。

という訳でこの著を読んでも、余りの意想外な説に容易に信ずる事は出来まいと思うが、しかし事実が何よりの証拠である。それは今日のごとく医学が進歩したにかかわらず、至る所病人の氾濫である。ヤレ病院が足りない、ベッドが足りないとの悲鳴は常に聞くところで、現代人残らずといいたい程何らかの病気をもっており、真の健康者はほとんど皆無といってもよかろう。

これらにみても分るごとく、もし現代医学が真の進歩であるとしたら、病気の種類も病人の数も年々減ってゆき、病院は閉鎖の止むなきに至り、医事関係者のことごとくは失業者とならねばならないはずであるにもかかわらず、事実はその反対であるとしたら、ここに疑問が生ずべきだが、一向そういう気振(けぶり)はみえないどころか、益々迷路を驀進(ばくしん)している有様で、その危うさは到底観てはいれないのである。従って私はこれから徹底的に説くと共に、事実の裏付をも添えてある以上、いかなる人でも飜然(ほんぜん)として目覚めない訳にはゆかないであろう。


 そうして現代人の病気を恐れるのはなはだしく、一度病に罹るや早速医師の診療を受ける。ところがこれがまた意想外であって、治るようにみえてもそれはある期間だけの事で、根治とはならない。そのほとんどは慢性か再発かのどちらかである。これを常に見る医師は気が付きそうなものだが、そうでないのはこれも迷信のためである。そこで見込通り治らない場合、仕方なしに他の医師に助勢を頼むか、他の病院へ行けと勧める。もちろん入院すれば多くは手術を伴うから臓器は除去され、その病気は起らないとしても、必ず他の病気に転化するのは医師も常に経験するところであろう。右は最も普通の経過であるが、中には医師に確信がないまま入院や手術を勧めるので言う通りにするが、確信があってさえ治る事は滅多にないのに、確信がないとしたら駄目に決っている。その結果患者の方から金を出して、モルモットと同様研究材料にされる事もしばしばあるが、ほとんどは泣寝入りである。


 ところが手術も受け、あらゆる医療を続けつつも治らないのみか、益々悪化し、金は費い果し、二進(にっち)も三進(さっち)もゆかなくなり、果ては自殺を図る者さえ往々あるのは、よく新聞に出ているが、そこまでゆかないまでも病気が原因となって、色々な忌わしい問題を惹起(じゃっき)するのは衆知の通りである。今日あらゆる悲劇の原因を調べてみれば、そこに必ず病ありで、昔から犯罪の陰に女ありを、私は悲劇の陰に病ありと言いたいくらいである。それに引換え我浄霊医術によれば、いかなる重難症でも短期間に、しかも僅かの費用で快癒するので、これを医療と比べたら雲泥の相違であるのは、全く真理に叶っているからである。ここにおいていかなる無神論者といえども、今までの不明を覚り早速入信、文字通りの安心立命を得るのである。



 次に知らねばならない事は、一体人間なるものは何がために生まれ、誰が造ったかという事である。これこそ昔から誰もが最も知りたいと思っている問題であろう。もちろん人間なるものは科学者が作ったものでもなく、造物主すなわち神が造ったものに違いないのは、極端な唯物主義者でない限り、否定する者はあるまい。というのは人間は神の御目的たる理想世界を造るべく生まれたものであるから、生きている限り健康で活動出来るのが本来である。しかるに何ぞや、病気に罹るという事は異変であって、そこに何らか真理に外れている点があるからで、この点に気付き是正すれば治るのが当然である。ところがこれに盲目なるがため、全然無関係である科学に持ってゆくので、治らないのが必然であって、肝腎な造り主を忘れているからである。


 そうして今日までの病理は、大体左のごとくである。すなわち漢方医学においては、五臓の疲れまたは不調和のためであるとし、西洋医学においては黴菌感染によるとしている。このどちらもまことに浅薄極まるものであって、いささかも根本に触れていない迷論である。しかも後者は機械的ではあるが、科学的ではないといったら何人も驚くであろうが、それは事実が語っている。今日医師は患者から訊(き)かれた場合、病理も病原も見込も、科学的に説明が出来ないのは医師も認めているであろう。つまり病気の真因が分っていないからである。そうして医学における誤謬の根本は、何といっても病気苦痛の解釈である。すなわち医学は苦痛そのものをもって人体を毀損(きそん)し、健康を破り、生命を脅(おびやか)すものとしており、苦痛さえ除れば病は治るものと解している。この考え方こそ大変な誤謬であって、今それを詳しくかいてみよう。


 そもそも病の真の原因とは、体内にあってはならない毒素が溜り固結し、それがある程度を越ゆるや、生理的に自然排除作用が起る。これを吾々の方では浄化作用というが、浄化作用には苦痛が伴うので、この苦痛を称して病気というのである。ゆえに病気とは体内清浄作用の過程であるから、これによって人体は浄血され、健康は維持されるのであるから、病こそ実は唯一の健康作用で、大いに歓迎すべきもので、これが真理である以上、この著を読めば必ず納得されるはずである。ところがいつの頃どう間違えたものか、これを逆に解釈して出来たのが医学であるから、この逆理医学がいかに進歩したとて有害無益以外の何物でもないのである。



 右のごとく医学は病気即苦痛と思う結果、苦痛解消には浄化停止より外にないので、この考え方によって進歩発達したのが現在の医療である。そうして浄化作用なるものは、人間が健康であればある程起るのが原則であるから、これを停止するには健康を弱める事である。そこで弱らす手段として考え出したのが毒を服(の)ませる事で、それが薬であるから、薬とはもちろんことごとく毒である。すなわち毒をもって浄化を停止し溶けかかった毒素を元通り固めるので、固まっただけは苦痛が減るから、それを治ると錯覚したのであるから、世にこれほどの無智はあるまい。従って医療とは単なる苦痛緩和法であって、決して治すものではなくむしろ治さない方法である。ゆえに医師も治るとは言わない、固めるというにみても明らかである。


 右の理によって病を本当に治すとしたら、溶けかかった毒素をより溶けるようにし、排除を速(すみや)かならしめ、無毒にする事であって、これが真の医術である。これなら再発の憂いも罹病の心配もなくなり、真の健康体となるのである。ところが一層厄介な事は、右のごとく毒素排除を止めるための薬が毒素化し、これが病原となるので、つまり病を追加する訳である。この証拠として医療を受けながら、余病といって病が増えるのが何よりの証拠である。本来なら治療をすればする程病気の数は減るはずではないか。それがアベコベとしたら、これほど理屈に合わない話はあるまい。知らぬ事とは言いながら、医学はいかに迷蒙であるかが分るであろう。


 以上のごとき逆理によって、毒の強い程薬は効く訳で、服(の)むと中毒するくらいの薬なら一層効くから、近来のごとく注射流行となったのである。また近来続出の新薬も同様、中毒を起さない程度に毒を強めたもので、彼(か)の有名な漢〔蘭〕方医の泰斗(たいと)杉田玄白先生は「病に薬を用いるのは、毒をもって毒を制するのだ」といったのはけだし至言である。従って熱、咳嗽、吐痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿、各種の出血等、ことごとくは排毒作用であり、腫物、湿疹、疵(きず)や火傷後の化膿等も同様であるから、実に結構なものである。ゆえに何病でも何ら手当もせず、放っておくだけで順調に浄化作用が行われ、速かにしかも確実に治るのである。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------


もうこの一文だけで気が付く人は気が付くだろうが、それはたいていの人は元気の時は納得しても、いざ病気になるとやっぱり現代医学というのがほとんどでしょう。


岡田茂吉が宗教にする前に「浄霊医術」という一種の療法の会を作ってやっていたそうですが、その当時でも相当医師会からの圧力があったと思うのです。

今の時代にさえもあの「千島学説」が国会証言で明らかになったように、あの当時も今も厚生省も医学界もまったく認めていない。

実証実験さえも拒否、黙殺したのです。

あちらは科学者が相手でしたが、こちらは宗教家、その前は民間治療家相手ですから、当然のごとくまったく医療界が認めるはずもなく、宗教になる前は医学者もかなりお世話になっていた浄霊医術の治療も宗教になってからは離れていったようです。


古今東西、現代医学から離れた医療は「迷信インチキ程度のもの」と断定されるのはお決まりでしたから、岡田茂吉の医学の革命論など、それだけを読んでも聞いても納得できるほどの理解者は極少なく、やはり、まずは浄霊医術の効果を示してから病気の解明、解剖と進んでいったようです。

宗教になってからは、信仰の中での治療ですから、医療法改正で医師法や薬事法にも触れないでやれたのでしょうが、やはり相当な圧力があり浄霊医術が一般人に対しておおっぴらに行えない状況が続いてきたものです。


その当時としては昭和25年から30年頃の宗教として大発展したのは、やはりその浄霊医術の効果が顕著だった事のようです。

それほどの治病効果があった浄霊法も岡田没後は、おそらく効果は当時より低くなったと考えます。

それゆえか、ほとんど後継団体の多くは現代医学の治療を認めているようです。


それはそれとして、当時の岡田茂吉の発する浄霊医術の威力は相当なものだったようで、それはこの論文や、信者さんを通じての治療成績の報告文などから察せられます。

僕はこの「浄霊医術」を抜きにしても、病気の解説などを読むと十分今でも通用するものと見ています。

また、千島学説やホメオパシー論などを読むと、同じ通用するものがたくさんあります。


ひとはどうしても、治療効果のみを見て選択する傾向がありますが、僕としてはまず「選ばない選択」というものを提唱したいのです。


「やらない選択」というと変ですが、やらない方が良いことをやるという、例えば現代医学の癌治療の三大治療法などはまったくそれに当たるものです。

やらない方がもっと良い」のに、それを選んでしまう。

「何かやらなければならない」という思いこみと、「自分にはその力がない」という思いこみがそうさせるのでしょうか。

浄霊医術の奇跡的効果が消えたとしても、「自分に力」は残っているのであって、やらない方がよい治療はしない方が結果がもっと良いと気づけば良いだけです。

しかし、浄霊法の効果が薄くなったということで、根本的に誤った現代医学的治療にお任せするという信者さんも居ると聞くと、どうも、理論だけでは人は納得できにくいようです。

そう言う意味で「自分自身の力」を信じることと、最後は「死に対する正しい認識が必要」なのでしょうか。

また、偉そうな事をかってに指が・・・

病気に対する恐怖から死に対する恐怖心・・・・・

けっきょく、これが解決できないと、医学の革命は起こりえないのではないかと思うきょうこのごろです。


医学革命の書 「序論」

先回の「序文」に続いて「序論」です。

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー


序論

『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆

 人類は今日まで実に恐るべき過誤を犯して来た。恐らくこれほど大きな誤算はあるまい。それは何かというと医学である。何しろ人間にとっての最も貴重なる生命を、保持するものとしての重要な存在であるからである。しかるにこれが前記のごとしとすれば、これ以上の大問題はあるまい。従って現在文化の素晴しい進歩によって、人間に与えられているところの、礼讃し感謝しても尽し切れない程の福祉も、この医学によってその功績を抹殺しても、なお余りあるくらいである。ところがこれほどの誤りを今日まで気付かなかったという事は、実に不可解というべきである。ところが神の大愛はいつまでもそれを許されるはずはない。ここに医学の蒙を啓くべく、断乎(だんこ)としてその手段を執(と)られ始めた。すなわち医学の革命である。
 昔から革命と名の付くものは幾度かあったが、それは一国家、一民族、もしくは一時代、一思想といったように限られていたが、今私が行わんとするこの医学革命に至っては、全人類の生命を永遠に救うという、その福祉の大きい事は、破天荒(はてんこう)といっていいか、画期的といっていいか、言葉では現わす事は不可能であろう。要するに神は全人類苦悩の根本である医学の過誤に目醒めさせるべく、私に対しそれに必要な智慧と力を与えられたのであって、この事こそ真理の具現であり、救いの基本的条件である。ところが人類は何千年間にわたって真理を知らなかった。否神はある事情によって知らせなかったのである。しかしいよいよ天の時到ってここに真理を知らせ、文明転換という史上空前の偉業は開幕されたのである。これこそキリストのいった「世の終り」であり、「最後の審判」であり、世界的大清算である。
 この時に際して、神の大慈悲は今やこの渦中に巻込まれ、溺(おぼ)れんとする最大多数の生命を救わんとするのである。もちろんこの大清算こそ、既成文明の欠陥を明らかにし、真の文明のあり方を教え、神の大目的たる理想世界を実現せられるのである。これもキリストのいった「天国」、釈尊のいった「弥勒の世」、本教のモットーである「病貧争絶無の世界」であり、その根本こそ何といっても人類から病を無くす事である。
 以上のごとく私は、古往今来夢想だもしなかった大胆極まる宣言をするのであって、これは神言である以上、一点の誤りはないのである。この意味において本著を精読するや、ここに豁然(かつぜん)として目覚むるであろう。

-----------------------以上引用終わり--------------------------------

「最後の審判」という語はキリスト教からの引用でしょうが、岡田茂吉研究においてどうしてもこの宗教観が入っているので、そこは各研究者の取捨選択眼にお任せするとして、僕としては「神は裁きをしない」「個々のひとりひとりが既に神と共にある」という基本があるので、「最後の審判」という意味は、「永年思いこんできた間違いに気づくチャンス到来の時期が来た。それを選ぶのは自分の自由意志だ」という意味にとっています。

ゆえに、医学の革命というのは他人様が与えてくれるものではなく、個々のひとりひとりが自由に選択する意志によるものとします。

神が強制的にどうこうするという宗教観は誤りだったと気づくのが先決でしょう。

岡田茂吉御自身が宗教を道具として使ったのは、その当時としては賢明なやり方かも知れませんが、今の時代になったそれは逆に垣根となっていることに気づくものです。

しかも、宇宙的真実から言えばすでに宗教の役目は終わったと言えます。夜の世界の必要悪(悪と呼ぶと誤解があるが、大局的に見ると神から分離させるものだから)として認めることで、医学がやはり夜の世界での必要悪としての役割として考えるのと同様でしょう。


宗教と医学を同類に見るのも変ですが、現代医学は宗教だと喝破したロバートメンデルスン医学博士の言葉をとれば、医学も宗教の範疇だったわけです。

それどころか、科学と言われているものの中にも宗教と同類なものがたくさんあります。

岡田茂吉研究をする場合に、この宗教論や霊界について今の宇宙情報などを検討して比較したりすると、どうしても捨て去らなければならないものも、僕にはいくつかあります。

それゆえに「わたしんちの」独自の取捨選択をする必要があるわけです。


偉そうに書いた後で、正直、どれが自分にとっての真実かどうか見極める能力がどれだけあるのかそれさえも不明なまま、現時点では20世紀までの宗教を捨てています。


岡田茂吉研究「医学革命の書」より序文

ーーーーーーーーーーー以下引用記事ーーーーーーーーーーー岡田茂吉論文より

序文(医学革命の書)


『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆


 およそ人間としての最大欲求は、何といっても健康と長寿であろう。他のあらゆる条件が具備してもこれが得られないとしたら、何ら意味をなさないのは今更言うまでもない。従って人間生の執着ほど強いものはなく、この執着から離れられないのが人間の特性である。といってもそれを免れる事の不可能なるがため、今日までは諦めていたに過ぎないのであって、もしこの解決可能な方法が発見されたとしたら、これこそ人類にとっての最大福音であり、大問題である。ところが喜ぶべし、その欲求は完全に達せられたのである。すなわちすべての病気は医(いや)され、天寿を全うし得るという実に驚くべき新医術が、私によって創造された事であって、この医術が普(あまね)く世界に知れ渡るにおいては、既成医学は当然革命されなければならないと共に、人類の理想たる病なき世界はここに実現するのである。そうしてまず現在に到るまでの医学の歴史からかいてみるが、そもそも今日の医学なるものは、知らるるごとく西暦紀元前、彼(か)の有名な医聖ヒポクラテスによって創(はじ)められ、その後欧羅巴(ヨーロッパ)においては医療以外、信仰、星占、霊療法等様々な治病法が現われ、東洋においては古代から神儒仏の信仰による医しの業をはじめ、易占(えきせん)、禁厭(きんえん)等の外、支那(しな)漢時代に到って漢方医術が生まれ、支那全土は固(もと)より、特に旺(さか)んに採入れられたのが我日本である。西洋医学渡来前までは、今日の西洋医学のごとく漢方が一般に普及された事は衆知の通りである。
 ところが十八世紀後半に到って、俄然台頭(たいとう)したのが科学である。これが素晴しい勢をもって欧羅巴全土は固より、世界各地に拡がり、ついに今日のごとき科学万能時代が現出したのである。それというのもあらゆるものが科学によって解決され、それまで不可能とされていたあらゆるものが可能となる等々、ついに絢爛(けんらん)たる近代文明が確立されたのである。従ってこの恩恵に浴した人類は、科学をもって無上のものと信じ、科学ならでは何事も解決出来ないとする一種の信仰的観念にまでなったのである。特に医学をもって科学中の最も重要な部門として扱われた結果、人間生命の鍵をも握ってしまった事は、ちょうど宗教信者が神に対する尊信帰依(きえ)と同様で、他を顧りみる事さえ異端視せられるというようになり、世は滔々(とうとう)として科学信仰時代となったのは知る通りである。
 これによって医学は客観的には驚くべき進歩発達を遂げ、人類の福祉は一歩一歩増進されるかに見えるが、一度冷静な眼をもってその内容を検討する時、これはまた意外にも進歩どころか、反って逆コースの道を盲目的に進んでいる有様であって、その迷蒙(めいもう)なるいうべき言葉はないのである。何よりも事実がよく示している。それは病気の種類は年々増え、罹病率も減るどころか、益々増える一方である。その結果人間は常時病の不安に怯(おび)え、寿齢にしても一般人は六、七十歳が精々(せいぜい)で、それ以上は不可能とされている。上代の文献にあるごとき、百歳以上などは昔の夢でしかない事になってしまった。もちろん百歳以下で死ぬのはことごとく病のためであるから、言わば不自然死であるに反し、自然死なら百歳以上生きられるのが当然である。というように人間の健康は極めて低下したにもかかわらず、それに気付かず、ついに病と寿命のみは宿命的のものとして諦めてしまったのである。しかもそれに拍車をかけたのが彼の宗教であって、それはこう説いている。すなわち死は不可抗力のものであるから、その諦めが真の悟りとして諭(おし)えたのである。彼の釈尊が唱えた生病老死の四苦の中に病を入れた事によってみても分るであろう。
 そのような訳で現在の人類は、病の解決は医学の進歩による以外あり得ないとし、万一医療で治らない場合、止むなき運命と片付けてしまう程に信頼しきったのである。ところがこれこそ驚くべき迷蒙(めいもう)である事を、私は神示によって知り得たのである。というのは医療は病を治すものではなく、反って病を作り悪化させ、ついに死にまで導くという到底信じられない程のマイナス的存在であるという事と併(あわ)せて、あらゆる病を治す力をも与えられたのであるから、これによって普(あまね)く人類を救えとの神の大命であって、今日まで不可能と諦めていた夢が、現実となってこの地上に現われたのである。現在私の弟子が日々何十万に上る病者を治しつつある事実によってみても、何ら疑うところはあるまい。万一疑念のある人は、遠慮なく来(きた)って検討されん事である。
 以上のごとくこの驚異的新医術の出現こそ、今日までのいかなる発明発見といえども比肩する事は不可能であろう。何しろ人類から病を無くし生命の延長も可能になったとしたら、彼のキリストの予言された天国の福音でなくて何であろう。これが世界に知れ渡るにおいては、一大センセーションを捲き起し、世界は百八十度の転換となるのは火を睹る(み)るよりも明らかである。最近の大発見として世界に衝撃を与えた彼の原子科学にしても、これに比べたら問題にはなるまい。私は叫ぶ、最早人類最大の悩みである病はここに完全に解決されたのである。ゆえにこの著を読んで信じ得られる人は天国の門に入ったのであり、これを信ぜず躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)、何だかんだといって見過す人は、せっかく天の与えた幸福のチャンスを自ら逃してしまい、いずれは臍(ほぞ)を噛む時の来るのは、断言してはばからないのである。

ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー


上記から

「・・・そのような訳で現在の人類は、病の解決は医学の進歩による以外あり得ないとし、万一医療で治らない場合、止むなき運命と片付けてしまう程に信頼しきったのである。

ところがこれこそ驚くべき迷蒙(めいもう)である事を、私は神示によって知り得たのである。


というのは医療は病を治すものではなく、反って病を作り悪化させ、ついに死にまで導くという到底信じられない程のマイナス的存在であるという事と・・・」




とあり、「神示」というとやっぱり宗教観が強く感じられるでしょうか?

しかし、あくまで本論は病気の解明論にありますから、宗教的観念が嫌いな方はこれから先の行くと主なる病気の原理解明が明かされて来ますからお楽しみに。


現代医学の批判論は心情的なものではなく、病気の原理解明から解いたものですから、単純なる医学批判では無いことです。



医学革命の書の資料で岡田茂吉研究を始めよう

岡田茂吉と言えば断然、「医学の革命」ですね。

後継団体などが「自然農法」やその他を全面に押し出しているかも知れませんが、岡田茂吉が生前において、そのお話などや論文などを検証すると、やっぱりダントツは「間違った現代医学の革命」論が大きな柱であり、中心となっているのです。

ただ、岡田茂吉研究というと他の論文などがあまりにも膨大な為、どれを柱に研究したらよいか迷うほどですが、本当の柱、大黒柱ともいうものが「誤った現代医学の革命」であり、それを実践的に証明しようとしたのが浄霊医術というものだったのでしょう。


しかし、「浄霊医術」という強力な武器?がもしも無くなったとしても、その医学論中には病気の解明論というのが厳然と残っているわけですから、あくまで医学論の中心は「自然治癒の力」を強調しているはずです。

ただ単に自然治癒力だけだとなかなか現代医学から離れられない、不安と長期の期間が必要だということで、そこで「浄霊医術」が生きてくるわけです。

しかし、万が一、その浄霊医術が無くても、やっぱり重要中心的な土台となる「自然良能力」という自身に備わった神そのものの様な中心的存在です。


千島学説にしても、その他数多くある自然療法にしても、最後の最後は自身の自然良能力というものでしょう。


それをどう呼んでいるかは問題でなく、誰にも生まれながらに備わっているその力の偉大さを知るとともに、詳細に病例を元にした「病気は自然浄化作用」であるという病気症状の解明論などは、一般のみならず、医師たち専門家も学ぶところが大なりとと思うのであります。

霊界論か霊的病気なども含まれているため、それだけはどうも・・という方にはそこの納得できない部だけ取り込まないでも良いわけですから、なにはともかく、全文を読んでから研究検討されて頂きたいものです。

岡田茂吉研究とは一口に言えば、現代医学の誤りを解明した論文を第三者が研究することにあります。

その結果がどう出ようと後は研究者諸君にお任せするという、岡田師の強い自信があふれ出ている医学論の集大成的とも言える、また医学論をまとめた論文中の最後のものになっていた様です。


「天国の福音書」=「文明の創造」という形で前にアップしておいた論文集よりも一年後になる著述だったようで、これが「医学論」中心にまとめてあり、これだけ読んでも岡田茂吉研究の骨子となり得る様なまとまりが感じられます。

まあ、ボクとしても今は第三者的立場ですから、一緒に研究して見るつもりでいます。

研究には材料が必要ですから、今回は最初の序文からです。

岡田茂吉研究の重要資料「医学革命の書」の開始です。



と、まあ前書きばかり長くなったので、次から本文紹介に入ることにしました。

「ガン呪縛を解く」と「癌の利権構造」

ガン呪縛を解く」という本を購入しました。

前にも書いたが、この本の眼目は「千島学説」ですね。


また・・やっきになって主張してしまった「国会証言」シリーズなんだけど、あれも斉藤議員が見破った「現代医学のカラクリ」というか、科学というトリックを暴くネタがバレバレになる寸前まで行ったのだけど、それも封印されてしまったというわけですね。

それが千島学説だったというわけです。



実際に証言に出頭したのは松下博士でしたけど、千島喜久夫(男だったかな?)博士は当番出来なかったわけ。

でも、発見者がなんのなにがしであっても、自然界の真実は太古から厳然と変わりなくあったのでしょうから、人類が発見しようがしまいが人体には昔も今も変わりない規則の様なものでしょう。


牛山博士の癌治療薬に対してその当時の癌研究の大御所から「鼻くそ論」扱いされて、それが週刊誌に載り、それがきっかけになっての国会の特別委員会招集となったわけで、これは何度も書きました。

四〇年前の「トンデモ論論争」という場が卑しくも、あ、賤しくも、じゃない、いやしくも国会の場で行われたとういわけです。

だから、今の時代にまだ「トンデモ論」だのと言って騒いでいる輩をみかけたら、この国会証言シリーズを突きつけて笑ってやって下さい。


既に四〇年前に、国も医学界も「そんな事がばれたら大変なことになるから黙殺しちゃえという合意」の元に論争にフタをしたんですから。


言っておきますけど、フタをしたのは「トンデモ論側では無い」ということですよ。


はは、くさいものにはフタをしろっていうけど、その「くさいもの」が「真実」だったわけでして、真実が表に出てしまったらドエライコトになるというのがこころなのだぁ〜


医学界と厚生省、科学技術庁など、それに中曽根さんやら、最近自民党から脱退した渡辺さんのお父上など、かなり高名な国会議員さんが委員として名を連ねていたわけです。

その中で真剣な発言をしていたのは斉藤議員その他数名の与野党議員だけであったわけで、後はいねむりしていたのか、なんにも興味がなかったのか、時の行政官僚先生の適当なイナシにあってうやむやにされてしまったという話です。


その結果が今の癌治療になってしまった経緯なのですが、なんと、40年も誰も疑問を差し挟むことなく、まあ、国民がのんきなのでしょうが、お偉方だけをせめてもせんなきことです。


お互いに持ちつ持たれつの行政、医学界、薬産業界、御用医学者、体制べったりのマスメディア産業と突っ込みを入れたいのですが、それを土台から支えて来たのがわらら、いや、われら一般国民というものでして、ひとの責めは自分の責め。

いまさら責めてみてもどうにもならんのです。

じゃあ、いまどうするかということに尽きるわけでして、ボクの意見としては一番効果があるのはあの「国会証言」をネタにして、現在の厚労省に再審請求をするということです。


まあ、それができるのかどうかは専門家に聴かなければならないのですが、知り得る限り四度も国会の特別委員会を開いており、その最終面で斉藤議員が請求した「公開実験」を厚生省と科学技術庁、並びに国から資金を受けている癌研などが「未だにその実験を行ったのか、また行ったとしたら、その結果を国民に詳細を開示したのか」です。


ここが問題なのです。

ネットやその他の場所で、やれ「千島学説がどうだこうだ」と議論したりしているという話を聞くと、あの国会証言シリーズを突きつけて「やったのかやらないのか。やったならその結果を知らしめよ」と言いたいのです。

まったく!

いやしくも、国会であれだけの発言記録がありながら、四〇年も経っていまだ「トンデモ論」だとかどうだとか言っている輩に、この斉藤議員の発言内容を突きつけてやりたいものです。

先回の記事にまったく反する事を書いているのは、今は山の斜面にいないからですよ。


あっと、肝心なことを書くのをまた忘れるところだった。

要らぬ前書きが多すぎるという批判もありますが、この前書きを抜きにしたらどうなる?

はい!単なる他人様の記事の貼り付けじゃあ〜〜




全部が全部肯定とは言いませんが

人生の大先輩的ブログを書いていられる

心に青雲


よりちょうど良いあんばいに、こちとら書きたくても書けない程の内容です。

まあ、こちらは貼り付け専門家ですから。

記事





何も心配なしのこころだぁ〜〜

今の時期は山の斜面をはいずり回っている。

ヤモリだね。

山菜採りという大義名分を掲げて、春の山を駆けめぐる。

いや、駆けめぐるなどという様なカッコいいものではない。

なんたって急斜面。

足にはいぼいぼ付きの地下足袋を履いて、それでも足りずにヒッシと斜面に両手をつけて、木や大きな草の根にしがみついている姿は、やっぱりイモリかヤモリか。

その山の中にものすごく大きな大樹(大きいから大樹なんだ)がある。

それにしがみついて、まあ抱きつかれた大樹も迷惑だろうが・・・ハグハグしているのだ。

愛してるよ。このワタシに大地のエネルギーをチョウダイ!!なんて言ってる。

まあ、誰かが見てたら恥ずかしくてどうしようもないだろうが、春の山の中、それも急斜面の藪の中。誰がいようか。

一年のエネルギー、春の生命力をいただくには春の山の中をはいずり回っているだけでよい。

巷ではいろんな嘘八百が行われている。

それをどうにかしようなどと考えている内はまだまだあまいのかも知れない。

大地のエネルギーは太陽のエネルギーを戴いて、月の調和エネルギーと三位一体の大調和を醸し出している。

そんな地球の大地の愛を直に感じられるのは春の山にとけ込むのが一番だ。

周りはウグイスが唄っている。口笛でマネするとあちらも呼応して鳴いてくる。

ああ、医学の革命だの地球温暖化詐欺だのと言ってわめいている自分がいかに小さな心配をしているのか。

この春の山深く、急斜面をはいずり回っていると、


「な〜〜〜んにも、しんぱいない」という地球の声が聞こえてくる。

ほう〜〜ほけきょ〜〜〜う。


IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の警告は間違いだ!\

本日は晴天なり。
昨日まで寒くて、まだストーブとこたつを使っている。
今日からは地球温暖化だな。

ところで、卵が先が鶏が先か? 
同じように、
地球が温かくなったのが先か、二酸化炭素が増えたのが先か?

これに対して、世界の見識ある学者諸氏は後者の方を選んだ。

しかし

以前にもここに紹介した映像で「地球温暖化詐欺」を見ると、太陽の活動やら宇宙線が地球の雲の形成に影響するとかとで、温暖化はそういう影響よりおこり、その結果温められた地球は二酸化炭素が増える。

インターネット上から消えてしまったようだが、ダウンロードしてあるのでまた見てみよう。

地球温暖化詐欺という映画までできたらしい。


こういうこと。

何か、ウイルス説と似ているなあ。

体内環境が悪化(血液が濁る原因が増える)すると、そこにウイルスが発生して掃除の手助けをする。

つまり、先に体内環境が悪化して浄化の必要が起こるとウイルスが現れる、もしくは、よそから「取り込む」ことで浄化促進する。

ウイルスは地球の守り神的存在とすると、何か原因を取り違えてしまって、やれ予防接種だのワクチンだの、タミフルだのと騒いでいいる世界の有識者と言われるお偉いさん方はエライ勘違いをしていることになる。


そんな馬鹿馬鹿しいことをさも偉そうに科学的だのと言って、大騒ぎしている各国の政府や議員さんたちを見て、それこそ鵜呑み丸出しに信じている世界のじんみんという構図。


これじゃあ、あの国会証言の記事にちっとも反応が無いのは当たり前か。

あの証言内容から政府国会を追求、いや、要求すれば今の医学はひっくり返るほどの大騒ぎになるというのに。


まったく。

反応無し・・・

この「地球温暖化詐欺」、つまり二酸化炭素が原因じゃない温暖化についても、いまや日本中がちいさな子供にまで教えつけてしまったので、いまさら、「じつは、あれは・・・・」などと言えないほど、国中がそっちに洗脳されてしまった。

ここで個人がいくら言っても無駄な様だが、以下の記事を読んだらそうでもないらしい。

段々と本当の事が分かってきたという学者さんたちが増え始めて来たようだ。


あの国会証言は実は「千島学説」の真偽を討論していたという事なのだ。
それも

国の機関がそれを判定できる絶好の機会だったのに。

それを厚生官僚と医学界の重鎮、大物議員の多数がそれを無視、実質的に潰してしまった大事件だったのだが。


いまの地球温暖化詐欺と似たようなものかも知れない。

世界のトップがそう言えばそうなる。

それが嘘であろうがなかろうが、「真実にしてしまう」力を持っている。

宣伝力や権力を握ってきた勢力が強かった。

そして、もっともそれに加勢しているのがイッパンタイシュウという洗脳(実は濁脳なのだが)される受け身側に一番の原因があった。

しかし、
それも、

宇宙のリズム転換でそうはいかなくなってきたのだから、これからが楽しみだ。

ありとあらゆる巨大な嘘がバレバレになってくるから、覚悟しておかなくちゃあ。

これは自分に言っていることだ。

あっちもこっちも嘘だらけだった!!

なんて、その都度びっくり仰天していたら、腰がいくつあっても足りない。あふんと口を開けて、目が点になる光景が、これから日本中、いや世界中であちらこちらで見かけられるというきょうこのごろになりそうだ。

まてよ、自分もそうなっているんだから、人様の光景など見られるか!

あ、肝心な記事を忘れるところだった。

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー


らくちんランプ


 


<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
xmlns:Trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/Trackback/"
xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
<rdf:Description
rdf:about="http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/archives/8281214.html"
trackback:ping="http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/tb.cgi/8281214"
dc:title=" 「温暖化はCO2の所為ではない」 by 櫻井よしこ"
dc:identifier="http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/archives/8281214.html"
dc:description=" 「らくちんランプ」の管理人スパイラルドラゴンです。今日は、2009年4月16日です。 保守論客の一人である櫻井よしこさんが、先月ニューヨークで開催された「反地球温暖化対策」のシンポジウム『ICCC2009』の紹介と、パネリストとしてこのシンポジウムに参加された赤祖父俊一氏を取材された記事を、週刊新潮の4月9日号のコラム「日本ルネッサンス」に寄稿されましたが、櫻井よしこさんが週刊新潮に寄稿された記事を、先日ご自身のブログに 「温暖化はCO2の所為ではない」というタイトルでアッ..."
dc:creator="スパイラルドラゴン"
dc:subject="環境"
dc:date="2009-04-16T05:44:23+09:00"
/>
</rdf:RDF>
-->

2009年04月16日



「温暖化はCO2の所為ではない」 by 櫻井よしこ


 
 保守論客の一人である櫻井よしこさんが、先月ニューヨークで開催された「反地球温暖化対策」のシンポジウム『ICCC2009』の紹介と、パネリストとしてこのシンポジウムに参加された赤祖父俊一氏を取材された記事を、週刊新潮の4月9日号のコラム「日本ルネッサンス」に寄稿されましたが、櫻井よしこさんが週刊新潮に寄稿された記事を、先日ご自身のブログ
「温暖化はCO2の所為ではない」というタイトルでアップされましたので、以下その全文を転載します。


TITLE:
DATE:2009/04/18 07:13
URL:http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/

-----------------------以上引用終わり--------------------------------

扁桃腺と虫垂の浄化装置的役割(要らぬお節介説)

扁桃と虫垂に見る浄化装置

先回の阿保教授の「扁桃と虫垂の類似性」より岡田茂吉医学論を紹介したのですが、それについて2004年にワタクシメの要らぬお節介論を書いたのがあったので、「せっかく書いてあったので」という理由だけでアップしました。


ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

人体は常に身体の中を清浄化しようと働いている。その働きを自然良能力と呼ぶ。

そして、全身の異物毒素を一部の集溜し、やがてそれに排泄作用が起こるようになっている。

その人体の仕組みの妙が扁桃部と虫垂部である。

主に上半身の毒素を集溜する場所が扁桃部であり、それに対して主に下半身の毒素集溜箇所が虫垂部である。



ある程度毒素集溜したとき、その部が炎症を起こして腫れたりする症状は、毒素溶解排泄の働きの過程である。

発熱によって固結した毒素を溶解して、液状のすることで体外へ排泄しやすい状態にする。そして毒素本来のもつ毒性のために神経を刺激して痛みなどの症状が伴う。

これは毒素が排泄するときの移動によって刺激されるわけである。



今までの医学ではその解明が出来ていなかったために、むやみに発熱を停めたり、薬剤で症状を停めることを良しとしたのである。

果ては扁桃腺や盲腸は不要の物として除去手術を施して来たのであろう。


扁桃腺は以前は切り取る手術が盛んに行なわれていたようだが、近年は減少してきたという事は不要の物でないと認識してきたからだろう。

盲腸の場合も手術によって除去する方法が減ってきたと思われるが、未だにその重要な働きが解明されていなかったため、やはり浄化停止方法、薬剤などで発熱停止や排毒作用停止を行なっている。


人体一部が身体全体の浄化を引き受けているものを、ただ表面的にみての症状悪化作用であると認識しかできないでいる医学は、この治療法自体が身体全体からみて負の遺産を植え付けているようなものであろう。


この様に扁桃腺、虫垂部だけを見ても今までの医学がいかに枝葉末節的であり、上面的対処方法でしかないことが分ってくるだろう。他の病気症状にしても、その症状自体に意味があり、けっして無駄な働きを人体が起こしているわけではない。


結局は医学が最初にインプットしてしまった「病気症状は悪である。この悪化作用を停止することこそ、病気治癒の道である」という方向に進んで、それを進歩発達させることこそ本道であると錯覚してしまったことが今の医療の現実となっている。



土台が歪んだ上に建物を建てれば、上に重ねるほどその歪みが大きくなってくる。
そしてついには倒壊してしまうだろう。

ちょうどこの様に医学が進歩すればするほど、同じ様な現実が現われてくるというのは誰の目にも明らかになってくるのである。呪文の様に唱えられてきた「医学は進歩した」というその言葉の裏にはそういう現実が潜んでいたのである。


ただ、人は一度信じたことはなかなか変更できない。

ちょうどコンピュータの基本情報がインプットされると、それに反する情報が反応しないような状態を保ち続けるのだろう。

だから、それを解除するには一度コンピュータの基本情報を解除することだろう。

 初期状態に戻して、始めから入力し治さない限り、そのコンピュータは相変わらずその基本上がからはずれた情報は入力出来ないか無視つづけるだろう。



人は何世紀もその基本情報を植え付けられてきたし、今も産まれてからずっと植え付けられている。親から、本から、テレビ、映画などのドラマでさえ、そして科学者という権威からも同じ情報を入れられている。

これを白紙に戻すことは困難過ぎるだろうか?
最初の初期状態に戻って、正確な土台から築き直すにはもう進みすぎたのだろうか?

わたしはこれは意外に簡単に初期化できると思っている。

この様に情報として伝えるのもひとつの手段かも知れない。安保教授のような権威ある学説も有効な手段となろう。




しかし、案外と簡単と思ったのは次のことからである。

「陰極まって陽となる」  という大自然の働きを思うからである。


このまま「医学は進歩し続けるだろう」 すると、先に書いた「土台が狂っている建築は高くなるほど歪みが現われてくる」ので、ついには「自壊作用を起こす」ことである。

だれも「医学を倒そう」などと意識せずとも、「医学の進歩の末には自壊作用を起こす」だろうと思うからである。


その具体的な現象という。

「医療を行なった結果がすごく悪くなる」という現象である。

この現象が今までは「時間がかかった」ので誰も「気が付かなかった」のであろう。

これから「医療の結果が悪くなったのに時間がかからない」という現象が誰の目にも明らかになったとき、それは患者ばかりか、医学に基づいて治療する医師にもはっきり判ることになるからだ。



 医学の基本が誤っているなどと、医師の誰もが思っているはずはない。それどころか、一生懸命患者さんの病気を治してやりたい一心で治療を行なっているはずだ。
(もしそうでないない医師ならそれはニセ医師であるだろうが)



そういう善意の医師が自分の行なった治療で患者が悪化する状況を黙って見ていられない事は当然である。しかも結果が悪いと怖くて手が出せないことになる。

すると医師が医療から手を引くというおどろくべき状態が一時的に起こるだろう。



人は衝撃的な状況でパニックなるという。このパニックが人のとっての白紙状態、つまり基本情報が一切消えてしまう時である。

長い間インプットされていたコンピュータの古い情報が消え去る瞬間、その「事実」が見えてくる。異端情報が頭に入ってくるのである。

その時を楽しみ、私は使われるであろう異端情報を準備かつ少し流しているのである。
実に楽しみな作業であるのだ。







扁桃や虫垂に限らずすべての病気をみるについて。

人体は総合体なのである。そしてその働きの神秘は科学が今以上進歩した暁には、その仕組みの完全さに驚愕するだけであろう。そして、人為的に施す治療法がいかにその働きを阻害してきたことかを知って、弁解の一言も出ない時が来るであろう。



医学の進歩とは

 「現代医学が進歩している」という言葉の裏には「未だに完全でない」という意味がある。


つまり「未熟ゆえに進歩しなければならない」ゆえに「医学は未だ未熟」なのである。

 医学は科学だと言うが、「未熟なもの、非完全なもの、未完成なもの」を科学というだろうか?  それなら「科学とは未熟なもの」だから、「科学は絶対なものではない」ことになる。




科学は完全無欠か?

 「安保教授の理論は推論があまりにも多い」という指摘があるが、これは医学そのものがほとんど推論である」と同様なことではないか?


それをさも医学が確率された完成された科学(医学)としてみている我々に、本来の科学という意味を知らずに使っている言葉なのではないか?

 科学と言えば完全無欠かのごとく思っている人は、「非科学的な人」なのではないか?

ただそう言われて来たから「医学は科学」だと信じているだけのことで、これは「信仰者」の類と同じであろう。「科学信仰」「医学信仰」陥っているのも自覚できない「信仰者」であろう。


2004年5月書く  himaari


-----------------------以上引用終わり--------------------------------

「医療が病をつくる」より扁桃と虫垂の役割

「医療が病をつくる」  より 




ーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーー
 扁桃と虫垂の類似

 風邪をひいて、のどがはれるのは扁桃腺やアデノイドの炎症によるものである。扁桃腺は粘膜下にできたリンパ組織でリンパ節とは異なる。リンパ節のようにリンパ管がきていない。この扁桃とよく似たリンパ組織がおなかの中にあり、これが虫垂である。
 扁桃と虫垂はともに独自に進化したリンパ組織で、T細胞とB細胞とから成る。どちらもまったくNK細胞がないのが特徴である。そして、そのB細胞にも特徴がある。自己抗体を産生する@@というB細胞が極めで豊富だからである。
 風邪をひいたあと、つまり、溶血性連鎖球菌の感染が蔓延すると、自己免疫性腎炎などが起こることがある。これは、扁桃と虫垂に存在するC@@B細胞の自己抗体産生に起因することが予想される。
 また、扁桃と虫垂はふだんはリンパ球がほとんどを占めるが、ときに多数の顆粒球が浸潤してくることがある。そもそも、粘膜はリンパ球と顆粒球の括抗関係で防御されているからである。
ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー




「扁桃と虫垂はふだんはリンパ球がほとんどを占めるが、ときに多数の顆粒球が浸潤してくることがある・・」

この二つの機能は後で紹介する論文にて説明されていますが、簡単に言うと扁桃は上半身の浄化装置、中枢は下半身の浄化装置という具合にみると理解しやすいでしょう。

普段からリンパ球で浄化されているのでしょうが、ある程度毒素が集溜蓄積されると顆粒球という形で排泄されるものです。毒素集溜と毒素排泄の関係になるものでしょう。




ーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーー
 まず、風邪をひくと、つまりウイルス感染があるとリンパ球が活性化する。リンパ球の反応は副交感神経支配なので、脈が少なくなりだるくなる。鼻水がでて、熱が出る(IL・1、プロスタグランジンなどの生体内発熱物質の作用)。
ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー




風邪をひくイコールウイルス感染という方程式が絶対正しいのかどうかは疑問ですが、とにかく、難しい学理は別にして風邪そのものが軽い浄化作用なのですから、毒素集溜した固結箇所に発熱で毒素を溶解し、それを体外へ排泄する時鼻水として出たりするものです。

ウイルスは浄化促進添加剤的働きですが、無ウイルスの状態でも浄化作用は起こりえるはずですから、真の原因はウイルスではなく、体内毒素です。




ーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーー
 しかし、三、四日でこの反応がおさまると、こんどは顆粒球の反応、つまり、交感神経支配の体調になる。やる気がでて、黄色の鼻汁に変わる(この正体は顆粒球の死骸による膿)。通常は、扁桃桃のみ目立つが、同様のことが虫垂でも起こっていると考えられる。風邪をひいた時やそのあとに虫垂炎が起こりやすい所以である。虫垂はおなかの中の一扁桃である。
ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー




黄色い鼻汁は毒素が濃い場合これが変化したものです。のどが腫れたり痛んだりするのは溶解毒素が粘膜、神経などを刺激するからです。鼻汁以外に下痢などでも排泄します。また皮膚から出る場合は腫れ物などで排泄しますが、この時病名を変えることがあります。しかし病名は浄化の過程や毒素の質などで異なるだけで浄化作用そのものはひとつです。
「虫垂はおなかの中の一扁桃である。」とはまさに機能の正体を見つけたりーーーというところでしょうが、これも後の論文に詳しく書いてあります。




ーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーー
 草食動物では、セルロースを分解して栄養にするために、腸内細菌の力を借りる。このため、発達した虫垂を持ち、ここに長い間食物をためておくわけである。細菌の数も豊富なために、必然的にリンパ球組織が発達したものと思われる。172
ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー



虫垂、つまり我々が盲腸というものが無用の長物だと教えられてきたものが、いかに大切なものかは浄化装置としての働きにあるのでした。
庶民では今でもスイカの種やトマトの種が原因で盲腸炎になると信じている人が居るくらいですから、いかに迷信教育をしてきた医学が危うい学問かと知れます。


安保氏の免疫理論でようやく人体の神秘的働きをいわゆる「科学的に解明」して来たようです。しかし、病気が浄化作用という働きの全体像が見えてくると俄然世界の医学を揺るがすほどの前進を遂げる事でしょう。


もう一歩の深い掘り下げが必要かも知れませんが、現代医学の対症療法(逆症療法)から見るといかに画期的な論になるかと思います。


本書でもそうですが他の安保教授の本からも、「病気の症状は必要があって起こっていることであり、症状を停める治療法そのものが本来の治癒から遠ざかっている」という事実が書かれています。難しい免疫理論が素人に理解できなくても、上記の簡潔な事実としての論が理解できると、医学と治療の一致が早まることでしょう。




以下は今から半世紀も前に論として出してあるものを貼り付けたものである。




ーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーー

扁桃腺炎及び盲腸炎の手術

 近来最も多い病気に扁桃腺炎がある。此の病気は大抵の人は経験しているであろう。医学に於ては扁桃腺なる機能は未だ判っていないのである。何となれば不用として手術によって除去するからである。考えてもみるがいい。
人体に不必要なるものを造物主が造る筈がないではないか。医学者も人間である。造物主に造られた人間である。然るに造物主が必要として造られたものを、人間が不必要として除去するのは何たる暴逆であろう。この意味に於て医学で扁桃腺が不必要というのは、実は其の存在理由が不明であるからで、それを判明したように錯覚するとは寔に危険千万というべきである。


 扁桃腺は私の発見によれば、非常に重要な役目を果している。

それは人体の上半身中最も毒素集溜する個所は頸部淋巴腺附近である。

それが浄化によって排泄される場合、一旦扁桃腺に凝結し、発熱溶解、液体となって排泄せられるのである。

その溶解時、紅く腫脹し痛むのであるが、放置しておけば簡単に治癒するのである。


医療はルゴール等の塗布薬、又は水冷湿布等の浄化停止を行うので、治癒に時日を要し、一旦治癒しても再発し易いのである。右の如き事を繰返すに於て、終に慢性となり、固結は漸次膨大、扁桃腺肥大症となる。斯様になると発病の場合激痛高熱苦悩甚だしく、食物嚥下も困難となるので、手術の止むなきに至るのである。



 又扁桃腺除去は他に悪影響を及ぼすのである。

それは淋巴腺附近の集溜毒素が排泄されんとしても出口である扁桃腺がない為、反対の方向ーー即ち中耳に向って移行し、耳骨に穿孔、激痛高熱が発生する。

それが中耳炎である。又中耳炎発病の場合、液体膿が多量なる時は、中耳から頭脳にまで移行する。それが中耳炎と脳膜炎の合併症であって、之は生命に危険を及ぼすのである。之によって是を見れは、医学の誤療は最初扁桃腺炎という軽病から中耳炎を発展させ、終には脳膜炎にまで進行させ生命を迄危くするのである。



 盲腸炎は周知の如く下腹部右側(極稀に左側もある)の一局部の激痛である。
そうして医学に於てはその原因を食物に置いているようであるが、之は誤りで、真の原因は上半身に於ける扁桃腺と同様、下半身に於ける毒素排泄枚能である。


発病するや、医療は速かに手術を奨めるが、実は放置しておけば速やかに完全に治癒するのである。自然療法の場合激痛は一日位、二日目は中痛、四日目位から歩行時痛む位で必ず下痢あり、一週間位で全治し、再発の憂は決してないのである。

医学では生命の危険を伴うといい、寸刻を争って手術を奨めるが、之は非常な誤りで、手術の結果往々死を招く事があるが、自然療法なれば毫も危険はないのである。



 次に、医学に於ては発病によって、盲腸炎を知るのであるが、本医術の診断に於ては、未発生即ち潜伏期と雖もよく診断し得る。 それは熟練によって盲腸部の毒素固結が判り得るのである。



 茲で、手術に就て一言を挿むが、今日医学の進歩を云う時必ず手術の進歩を賛えるのである。之は一寸聞くと尤ものようであるが、実は大いなる誤りである。

何となれば、病患以外患部の機能をも除去するので、人体に於ける重要機能を消失する以上、他に悪影響を及ぼさない訳にはゆかない。

成程手術後一時的或期間は健康であるが、数年後徐々として健康に支障を及ぼす事は確実である。

それは浄化磯能の喪失によつて、毒素は他の凡ゆる機能を侵す事になる。

事実、扁桃腺除去後、首より上方の病気に躍り易くなり、又虫様突起除去は腎臓、腹膜、胃腸等の障碍を来し、婦人は月経不順勝ちになり、頭痛、肩の凝り等に悩み、全身的にも活力減退は争えない事実である。


常識で考えても判る筈である。最も高級で微妙極まる人体組織の一部なりとも毀損する以上、何等かの影響がない訳はない。


例えば、如何なる名画と雖も画面の一都に毀損があれば、それは全体の毀損であり、価値は大いに低下する。又家屋の場合、一本の柱、一石の土台、一枚の瓦と雖も除去されたとしたら、その家屋の安全性はそれだけ減殺される訳である。


斯くの如く手術は病気のみの除去ではなく、併せて機能の除去でもあるから、如何に理由づけるとしても医術の進歩とはならない。


医術の真の進歩とは病気だけを除去して機能はそのまま元通りであらねばならないのである。

然し乍ら内科的手術は外面に痕跡を胎さないから、直接不自由と外観に影響がないので左程恐れられないのであろう。従而、私は思う。

手術の進歩とは、医術の進歩ではなく技術の進歩に過ぎないのである。

又思う。メスを揮い、痛苦を与え、血液を消耗させ、人体の一部を不具者たらしむる事は全く野蛮行為でなくて何であろう。



 医博越智真逸氏は、或著書に左の如き記事を載せている。

 「虫様垂を以て全然無用の長物で、既に退化しつつある機関であると考えるのは果して自然を正しく理解せる賢き考えであろうか。恐らくは吾人の知識が未だ浅薄で神秘の宝庫を開き得ぬ為と信ずる。余は自然は断じて無用有害の機関を吾人に与えないと確信する。」


 斯様な理解ある説を唱うる医学者のある事を私は心強く感ずるのである。


ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー

岡田茂吉論文より

既に昭和初期の時代に盲腸炎と虫垂炎の原理を解明していたのですが、本格的に自由な論を発表できるようになったのは戦後の昭和25年前後約10年間であったようです。

当時は政府の検閲が厳しく発表論文はかなり差し止めされたようです。

皮肉な事に、その後は自主的にこの様な医学関係論文は隠されて(社会の表に出さない)しまったようです。

今度は医学界の攻勢に負けてしまったかの様です。

しかし、ようやく最近になって阿保教授等の医学の革新論が出始めた環境が岡田茂吉研究(医学論の研究検討)を第三者が始める機運が出始めたと思います。


前にどこかに掲載したかも知れませんが、後書き以外は2004年に残してあったものでした。

続きは次に。




ベーシック・インカム

ああこういう世界になるんだなあ。

なんだあ、みんな底のところで共通意識が繋がっているんだなあ。

なんのことかというと、昨今の世界金融恐慌で、物の大量生産、大量販売、大量消費、大量廃棄という循環は既に終わりを迎えていたという事が分かったということか。

トヨタの没落が脚光?を浴びているし、電機その他、物の大量消費時代はもう終わった。そのきっかけが金融恐慌というものだ。その点、アメリカは世界の縮図というか現実の頂点を見せて演じてくれたわけだ。

このニッポンもそろそろその影響がモロに出始める頃だろう。

景気回復などと言うのはありもしない幻想なのだが、それをまだ忘れられずにいるという、まあ、パチンコで大勝ちした経験が忘れられないたぐいなんだな、きっと。

脳内何とかが一挙に放出されて恍惚感を味わったあの感覚が忘れられずに、せっせと「夢よもう一度」という想いも無理もないことだが、もうそれは夢なんだよ。

世界は物作りの頂点に達しているんだ。その生産力は偉大なるかな、人がいらないんだね、もう。

ごく少数の人間だけで、後は機械がやってくれる。資材さえ投入すればどんどん造ってくれる。後はそれをさばく(売る)だけのこと。

だから、人員整理が起きて当然なんだ。

造りすぎたらどうなる。余って売れなくなる。売れない物を造る会社は社員の給料を減らすか人員を減らす。

こんな事がすべての業種で起こり始めているというわけだ。
あの金融恐慌がそれを実にハッキリと分からせてくれただけのこと。


では、ほとんどの人は仕事が無くなるということか?
ハッキリとしているのは製造はもうこれ以上人員は要らないということだろう。

そして、それを大量販売する人員も必要なくなるということになるだろう。

いま起こっているスーパーの安売り競争も、そこに到達するための早道促進ということになるだろう。

行き着くところまで行くと、人は働き場所がすごく減ってしまう。

そこなんだ。

人類の未来は明るい。

ここなんだ。

なにか矛盾していると感じるかも知れないが、人類の未来は明るいという、これは決まっている未来なんだから変えようがない。

では、その明るい未来と仕事が無いということにどういう矛盾を考えるんだろうか。

仕事がない=お金が得られない=生活が出来ない。

こんな事を反射的に考えてしまうだろう。

仕事をしなければお金が得られないーーーーーーー20世紀まではずっとこの方程式で決まりだった。

ところが、
21世紀からは、
仕事をしなくともお金が得られる=生活ができるという安心社会。

そこでは仕事は生活の糧を得ることから、自分の好みのことをする事が社会に自動的に貢献している社会ということになる。

これを可能のしたのが、20世紀までの機械文明の発達だった。

しかし、ほとんどの人はそうならなかった。

ごく一部の人だけが仕事をしなくても生活が出来たのだが。

それは富の偏在だったからだ。

物はもう有り余るほど作れる。食料も循環がスムーズになれば十分足りるし、これ以上の増産の可能だ。

さらに無駄が8割以上もあるこの文明をちょっと正すだけで、貧困も飢餓も無くなる。

ほんのちょっと頭の切り替えをやるだけなのだ。

高速ATCだの、定額給付金などというような姑息な手段じゃ駄目なんだ。金回りをよくすると言ってもそれは上空だけであるからだ。

それに景気回復などという幻想はもう時代錯誤なのだから。

景気と言ってきたのは、大量生産、大量消費の世界だからだ。

それはもう終焉した。

あとは皆が気づくだけなのだ。

条件は揃っている。出来る条件は揃っているのに、それに気づかないだけのことなのだ。

働くことで収入を得るという条件の世界は、世界に上下関係を産むだけだ。貧富の差を広げるだけだ。

同じ時間で稼いでもお金になる仕事とならない仕事がある。

どの仕事に付加価値をつけるのだ。

どの仕事も誰かがやらなければ、自分でやるしかない。それを他人がやってくれているだけのこと。

ゴミ拾い、掃除、そんなちんけな仕事をやっていられるか!と言って、金儲けの仕事だけをやって、得られた報酬だけでえばってしまう。

じゃあ、そんなのやってられるかい!と言ってだれもやらなかったらそれは自分でやらなければならない。

同じ時間をかけて、どれが重要だの、そうでないだのと言えるのか。

お金をどれだけ得られるかで仕事を決めている社会がいま崩壊しているのだ。

世界金融恐慌とは100年に一度なんてちんけなものじゃないのだ。


これは人類史上、かつて無かったような大変革の兆しなのだ。

そしてこの先の未来は暗くて貧しい世界ではないのだ。

明るくて、ひとが本来この世界に生まれ出てきた喜びを誰もが味わえるという、今の人類が記憶していない世界が始まるのだ。

これは共産主義とは似て非なる世界だ。

自由が基盤となっているからだ。

誰もが人生を楽しく創造できる基本となる、生存の基本が浮かび上がって来たのだ。


とまあ、興奮気味になっているわけだが、こういう考え方は以前からずっとあったのだ。また、誰しも一度は考えたことがあるかも知れない。

しかし、「そんな事は不可能だ」という自らの否定感がそれを実現させなかった。

その実現を許すーーーという自縛を解くことだけで、それはどんどん実現してくる。

なにしろ、その実現化の材料は既に揃っている、準備万端のお膳立てが今までの苦しい世界の歴史だったようだ。

直ぐにでも出来る準備は完了している。


後はみんながそれを「認める」ことだけだ。

理想世界の現実化。

古今東西の宗教、思想家が説いていた世界のことだ。



その実現化には、どうしても現代医学の革命が必要なようだが。

経済的生活には自由を得られても、現代医学の呪縛から解放された自由でないと、本当の自由にはならないからだ。


これは人類全体の土壌に関係してくるからだ。

土壌を清浄にしなければ、心身の自由は得られない。

現代の人類は過去の清算をしつつ、未来の人類の土壌を創造しているのだから。

それは人体のガン細胞のごとく、人類の誰かがそのガン細胞的役割を引き受けて、全体の清浄化に貢献しているのだ。

人類を救うという役割の人が現れるというが、既にそれを行っている多くの人たちに感謝申し上げなければならない。

「救われる役目をしている人」こそ「人類全体を救う役割をしている」と気づくことが肝要ではないだろうか!?


またまた、前書きがあちこちに飛んで飛んでイスタンブールだった。



ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー

バウの道中記】2009年4月8日  武蔵野  月笑庵
【ベーシックインカム】


より。

文章は上記にて、

この動画を参考に。


http://dotsub.com/view/1689fc6f-bade-4482-8829-04c0635f4731


-----------------------以上引用終わり--------------------------------



金持ちだけに米百俵?

スコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る

















<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/"
xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
<rdf:Description
rdf:about="http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/154-5a3b.html"
trackback:ping="http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1026314/29061993"
dc:title="麻生内閣真水15.4兆円「自民党危機対策」を決定"
dc:identifier="http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/154-5a3b.html"
dc:description="麻生内閣は4月10日、財政支出15.4兆円を含む、事業規模56.8兆円の史上最大の景気対策となる「経..."
dc:creator="植草一秀"
dc:date="2009-04-11T00:10:00+09:00" />
</rdf:RDF>
-->


2009年4月11日 (土)









麻生内閣真水15.4兆円「自民党危機対策」を決定

を読んで、これだけのお金があったらいくらでも活用できるのだが。

なんの事はない、かねもち優遇策でしかない。

生活に困窮しているしもじもの者にとって、まるで関係ない話だ。

本当に必要なのはまさに「米百俵の精神」である。

小泉さんもこの言葉を使ったが、彼は上の者よりも下の者に我慢と痛みを望んだようだ。

きっと勘違いしたんだろう。

米百俵の精神とは、目先の手当ではない、先の先を読んで限られたお金を活用することなのだ。

しかも、一時的に我慢と痛みを受ける側は上層階級にあるという事を示したのだが。

どうも段々と下々の不満がふくらんでゆくだけの様な気がする。

「しもじものみなさん、今回も痛みに耐えてください」

米百俵はいずこへ?


プロフィール

akyoon

Author:akyoon
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ようこそ
訪問者
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR