光の中継器「お守り」無しでやる自己浄霊法へ挑戦

浄霊の中継器「お守り」について

昔から、浄霊の根源は「お守り」の一点にありました。今でも後継団体のほとんどはその様なものを信徒に掛けてから浄霊をさせているでしょう。
では、その唯一の源であるお守りはどうして作られていたのでしょうか。

当時は教祖御自身で和紙に墨文字を書いていたもの、それに光を入れるという二段階になっていたようです。

その紙を折りたたんで袋に入れて信徒に渡す。信徒はそれを首にかけて胸あたりにぶら下げる。
これで、言葉は悪いですが、浄霊施術者の「はい!いっちょう上がり〜!」となります。

後は先輩や先生から浄霊の急所やちょっとしたやり方を教えて貰います。この時点では何も精神的なものは加味されていない状態です。
それも当たり前です。まだ試して結果の出ないうちに信じてやれなんて事は土台理屈でも無理な事です。
だから、施術者の精神的作用などはあるわけもなく、おっかなびっくり相手に向けて浄霊してみるという事になります。

この場合は他者浄霊になりますが、こちらでは自己浄霊に絞っていますので、参考にこの辺の教習項目を乗せてあるHPを発見したので、ご紹介しておきます。

この中でも「力を抜くほど効果が強くなる」とありますが、これは自分のパワーを送るという様な精神力などは不要だと言っているのです。
いや、不要どころか却って邪魔になるだけだということです。

かけた「お守り」が受信機であり、浄霊施術者は電信柱程度の役目でしかないことです。自分には浄霊施術に関してはそれくらいの価値しかないと思った方が当たっていると思います。

それで浄霊の施術結果が非常に良かった場合、つい自分の力が少しくらいは加わっていると思いがちになります。
これが実は落とし穴になるというのです。そう思うほどに浄霊の効果が減じて来るというご注意があるほどです。

では、そのお守りさえかければ誰でも出来るのなら、そのお守りを貰えば良いのだろう?となりますが、そのお守りを書く人が居なくなったのですから、後継団体の人たちはどうしているのだろうか?という疑問が湧きます。

それは、その当時書かれた文字のコピーを使っているようです。
そしてそれを小さいペンダント方式にしている所が多いようです。

ここ「わたしんちの・・」では、この様なコピー品も作ろうと思えばいくらでも作れます。もとの文字のものもありますが、あえて一切のものを必要としない建前上、この「お守り」類は使えません。


では、その光の源である「お守り」が無いのに、どうして本源から受信できるんだ?という疑問が当然湧いてくるでしょう。

答えは簡単です。
「自分自身を受信機、中継器とする」
ことで、解決します。

まあ、「解決します」と言っても、それは数多くの実験試行を重ねてから言える言葉なので、「解決するだろう」が本当なのでしょうが。


一番肝心要の「お守り」を廃してやるという事がいかに大変な段階に進むかと言うことか、お分かりでしょうか?
それは「一切の条件を付けない事」になり、「一切の垣根を取り除く事」でありますから、何の宗教にも限定されない、組織の構築や維持も必要ない、教主、会主、先生と弟子などの縦階級が存在できないことになります。
そして、そこには誰にも頼れない、頼れるのは自分の奥の本源の光のみであり、そして、誰にも責任を渡す事のできない、すべて自分の責任において行われることになります。

誰にも頼らない、自己責任という事は、勇気ある挑戦が必要になるかも知れません。しかし、そこには何の束縛も無い自由な世界があり、愉しみを持った自分の世界が創れます。


これから紹介する事は、昭和二十九年頃、未だ浄霊の元祖世界メシヤ(救世と書いてそう読ませていた)教、開祖であった岡田明主(茂吉)の浄霊の実際に付いての項目をまとめたものです。

実際上の注意点やポイント、病気の簡単な原理など、今でも非常に参考になるものです。

(現代医学からみてとても納得いかない論もあるでしょうが、とにかく、これに沿って浄霊法を試してみて検証して行くことが先決とします。)

浄霊法のやり方はまったく同じで良いと思います。ただ、精神的には別にこの宗教を信じる必要はありません。自己浄霊の場合は相手が居ないので、自分だけの範囲で行えるものを選ぶことで良いと思います。

一口で言えば、「お守りを掛けないで、そのマネをしてみる」だけの事です。

さあ、果たしてそれがうまく行くかどうか?は、多数の「試し者」の報告でも集まらないと結論は出せません。

どうしてもお守りが欲しい場合は、どこかの団体にでも入ってから戴けば良いでしょう。それを否定するつもりもありませんので。


次回は「浄霊の実際的解説」の項を拝借致しまして、そこからマネをしながら自己浄霊法をマスターして行こうと思います。

もっとも、僕の場合は昔はちゃんと、教祖の弟子の一人が会を作った所に入会して、その人が同じようにお守り(記念品とも読んでいたのは宗教を超えたものだったから、いろんな宗教の人でも入会できた)をかけてやっていたものです。
それを十数年前に辞めてから手放してしまい、今は自己浄霊も時々やっているという状態ですが、いざという時はやはり自分の手のひらを使います。
昔ほど強くはないのかも知れませんが、肩が痛いとか、頭痛、腰の痛みなどこれで十分です。辞めてからも薬など使ったことはありません。
また、山菜採りなどで石に当たって直ぐ浄霊を施した時には、思いのほか早く痛みが取れて治りも早かったものです。
風邪の際の喉の痛みなども、やはり喉に手当をしておりますと、痛みも少なくなります。

一度、身体を使って通してしまえば、その後にお守りを外しても、何と言うか道筋ができてしまっているのか、何も効力がないという事はないようです。

昔の様な奇跡話はあまり出来なくなりましたが、それでも十年以上も薬や手術などとは無縁で来られました。入会時から足すともう二十五年間は薬とはお付き合いしないで来られました。

もっとも二十五年などは序の口、五,六十年、一切の医薬品と手を切って生きている先輩方も居られますので・・・


今回もだいぶ長い前置きになりました。
次回の浄霊の実際的活用法を、本家本元の教習要綱をちゃっかり拝借致しまして、やることは画期的な「脱宗教団体、脱お守り」という女権無しを条件として、一人でも多くの実験参加者を募るつもりです。

また時間をおいてからその報告をメール便で戴きたいと思いますので、フォームなども借りて設置しようかと考えています。
とりあえずは、数ヶ月くらいは発信のみで、それから結果をみて新たな試みなども浮かんでくるのではないかと期待しているものです。

次に進む前の予習ですね  昔の教習要綱

こちらは僕の大先輩のHPにて編集されたもの
浄霊の実際について

2005年11月30日(水)
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条件無しの自己浄霊法の基本

要は実験のくり返しが基本です。
「こんなもので・・」という想いも構いません。ただ「試してみる」が基本の基本。後は実験後の結果で判断して行きましょう。

では
まずは自己浄霊法

自分の手のひらを使います。
右手でも左手でもどっちかの手のひらを使います。
手を開いた状態で、指は広げないでくっついた状態。
そして、力を緩めます。
すると、自然と指は曲がり、上に向けると風船がうまく乗ってしまう様な形になります。

この手のひらの状態で自分の身体を手当するのですが、基本としてはちょっと身体から離している状態です。
しかし、身体の触れても力を入れなければそれでも良いです。
衣類は透過するという前提ですから、衣類はそのままの状態です。

ただそれだけです。

ただ、ちょっとこれをやった方が良いというアドバイスとして。

想念で「自分の手にひらから放射される光の束が出ている」と思い描くのが良いでしょう。
これも最初開始時に一度想うだけで、ずっとそれを想う必要はありません。ちょうど水道の蛇口をひねって水を出す、その蛇口をひねるのが最初だけで、後は自動的に水が出てきます。
その様に、最初に光の束が手のひらから出ているという想念は初めだけでよいのです。


もうひとつのポイントは
対象のものを突き通すという想念です。
これも頭の中の想像で思い描きます。
例えば、テーブルの上にりんごがあるとします。
手のひらから出ている光の束(太い放射線の様なイメージ)がりんごを突き抜けて下のテーブルまで突き通しているイメージです。
言い換えると、テーブルの板を光が突き抜けてさらに下の地面まで突き通すというイメージ、その間にちょっとりんごが置かれたという様にです。

りんごだけをイメージすると突き抜け方が薄いので、ずっと先の先まで通すというイメージです。

しかし、このイメージが大切だと思って、つい想念でも力が入ります。すると、「力が入る」ほど浄霊の効力が減るのですから、ちょと軽く思うだけで結構です。後は忘れて下さい。

肉体的に力が入るのは効果が激減しますとともに、この「想い」の方でも力が入るのは浄霊の効果が減るのです。
決して心身ともに力が入ってはいけません。

それは「治そう」という想いもいけないことになります。
もし他者にやる場合があっても、この「治そう」という想念は邪魔になるだけです。

だから、最初の「光を通す」という想念も思いすぎると「力が入る」ことになりますから邪魔になるのです。


この浄霊法を売り物にしている団体(ほとんど宗教団体が多い)でも同じ様な事を言っているでしょう。
ここで異なるのは、こちらの方法では「お守り」とか「記念品」とかいうものを使用しない事です。

だから「このお守りがあるから自分は電信柱に徹すること、根源から送られる光の通過装置くらいに思って、自分は道具に徹すること」の指導があるでしょうが、こちらは、その「お守り」の類は使用しないので、上記の文中から「お守り」を削った内容になります。

では光の本源はどこから来るのか?という事になります。

それは自分の本源であるのが光りそのものだという説明になります。
その本源からうまく自分を光が通過してくれるかどうかが今後の実験的な行いの結果で分かります。

つまり光の本源→ある特殊能力者→お守り等→信者
というのが今までの宗教形態で行ってきた浄霊法です。
これを、
光の本源→自分
という様に、生産者から消費者へ直送便というわけです。
途中の問屋、小売店の中間業者を省いてしまった状態なのです。


そして、修行や精神訓辞も無いという、後は実際に試してみて行く。そして、その回数が重ねることが一種の能力開発に繋がるということです。
「試し」から始まり、多くの「経験」が実効を生む。

こんな事をベースにして、自己浄霊法を始めてみて欲しいのです。

では浄霊法とは何か?
というと、これも実際にやってからその効果をみて解釈するというのが本当でしょうが、本来この浄霊法を創設された人の解説を簡単に説明して行きます。

それには、もうどうしても今まで伏せてきた事も明かさなければなりません。この事は今まではあえて伏せてきた事です。
なぜならこれは宗教的な事が含まれているし、また目に見えない霊界の話しを入れなければならないからです。
そうすると、宗教、霊界などの言葉によって、即自分の心のシャッターを閉じてしまう方があまりにも多いからでした。

しかし、そこを通過して行かないとどうしてもこの浄霊法の説明は無理だからです。
もっとも既に「浄霊」という言葉は「霊を浄める」という言葉なので、それさえも否定する方はここを読んでいないでしょうから、問題ないとします。

ここまでは、どんな人でも条件なしで、自分の手のひらを使って自分自身を癒す方法としての「自己浄霊」を簡単に説明してきました。
次回は、
では具体的に、自分の身体のどこにどの様に自己浄霊したらよいかという事に少しづつ入って行きたいと思います。

今、元気な人、ちょっとここが痛いとか熱があるとかの具合の悪い人、そんな実際上の自己浄霊はどうやって行うか、浄霊法の創設者の解説を参考にして具体論に移ります。



2005年11月29日(火)

ちょっとひとこと

いくら良い治療法をやると言っても、身体にマイナスの事をやっているならそれは笊に水を汲むようなものです。
特に、薬を飲みながら  等というのはまったく論外です。
暴飲暴食しながら、胃腸に良いものをと言って何かを求めるようなものですから。

実は浄霊法は言い換えると身体の中の薬の毒を取る方法です。
そして、薬を飲むという事は身体の中に毒を入れるということです。

これを理解しないと、無駄な事をやるのでこの時点で辞めておきましょう。


自己浄霊の条件

自己浄霊の方法

方法って書くと偉い難しい方法があるような感じもしますが、とんでもない。
実に簡単、自分の手があれば大丈夫です。
手がない人はどうする??
これは、また他に考えるとして、誰でもまずやってみようかというスタンスで書いてみます。

条件
この条件として何があるか?
例えば
ある団体に入る(宗教とか治療会とか)
信じる(信心とか)必要がある
お守り(何か書いたものとか、ペンダントとか)が必要

僕が最初に始めたのはこの条件がありました。
ただ、「信じる」という条件はありませんでした。「信じる」というのは自分に何か効果があってとかの事実が無いと心から信じるなどとは無理なことですから。
「あっただけ信じる」と言うのが本当です。人にあった分まで信じる必要は無いのです。


ではこれから試してみようという自己浄霊法はあえて「一切の条件をつけない」という事にこだわりました。
だから、「自分でやってみない分からない」というのが真実です。

その結果、自分に起こったことのみ信じて下さい。


しかし、この「浄霊法」の創設者は宗教の創設者でもありました。
もっとも最初は宗教ではなかったのです。
一種の治療会「浄化療法」という名称で誰でも入会すると始められるというものでした。後の宗教にしたときに、有名人などが多数居たのに辞められていったという話しです。


そこで、今回の試しは「一切の条件をつけない」という一種の制約、自由な制約ですが、これを絶対条件としたわけは、特定の信仰の枠にとらわれない、ひとつの団体などの枠に入れないというものです。

そうなると、何も無いことになります。
あるのは自分自身の手であり、自然良能力以外にないわけです。

世の中にいろいろな「手かざし治療」が行われています。
たいていはある団体(それが宗教でなくても)に所属する条件があったり、お守りやペンダント類のグッズが必要でしょう。
または、修行などの訓練などもあったりします。

ここではそれらを一切なくしたので、ほんとに素のままの自分が居るだけです。

でも、そのやり方は過去の先見の方達が行った浄霊法のテクニックや急所などを十分参考にしたいと思います。
後は同好会的情報交換で進化していけるなら良いでしょう。
その同好会も会則無し、会の主も無し、お金も無し
無い無いづくしでやります。

とりあえずは僕の情報発信からいろんな情報待ちをしていくことになるでしょう。


次回は、具体的な自己浄霊法についてその場の思いつきと過去の具体例なども参考にして書いてみます。
2005年11月29日(火)


昔、「浄霊」という言葉があまり宗教的だから「ひのもと健康法」などと勝手に名前付けて書いた事があります。
浄霊のルーツは後ほど紹介するとして、気ままに書いてみた参考までの「浄霊と浄化について」です。

http://homepage3.nifty.com/himaari/doc33.html

ヒトの自然治癒力を重視しよう

http://www.corseven.co.jp/propolis/taisyou.htm

まずは自然治癒力を重点としての治癒を目指すのが本流だと思いますが、この点を医者の立場にある人が書いたHPをまず紹介して、浄霊という自己治癒力を増すための方法へとトライしてみるつもりです。

以下引用ーーーーーーーーーー
ヒトの自然治癒力を重視しよう

(医療形態の根本的な誤りとは)
病気は治すものではなく癒(い)えるもの、よりよく癒(い)えるよう生活環境を整えるために臨床体験に基づいた知恵を伝えるのが医者の務めであると考えます。そうした視点から、現在の日本の西洋医学を主体とした医療形態を見たときに、根本的な誤りを指摘せざるをえません。生活環境を見直す前に、検査とか投薬とか注射といった補助的なものの方が優先されて、本末を転倒してはいないでしょうか。かつて、西洋医学には次の5つの医学の流派があり、それが共存していたといいます。

1 ホメオバシー(同種療法)
2 ナチユロパシー(自然療法)
3 サイコセラピー(心理療法)
4 オステオパシー(整骨療法)
5 アロパシー(逆症療法)

ところが、18世紀後半からアロパシー(逆症療法)が主流を占め、19世紀には欧米各国で、次々と国家によって唯一の科学的医学との地位が与えられ、残りの4つの流派は非科学的と決めつけられ、非合法化されたのです。その根底に、4つの流派にくらべて、アロパシーがもっとも経済的な利潤をもたらすという背景があったと思われます。

(クスリの乱用に歯止めを)
明治維新とともに、日本にはそのアロパシーだけが西洋医学として入ってきました。最初には逆症療法と訳されていたそうですが、何時の間にか対症療法という名称にすりかえられてしまいました。病気を治そうとして発熱する、病気を治そうとして下痢をする。そうした生体が病気を治そうとする働きを、解熱剤や止痢剤によってさかさまのことをするのですから、私は逆症療法とした方が妥当だと考えます。

もし、この逆症療法という名称が定着していれば、いまのようなクスリの乱用に歯止めがかけられていたのではないかと悔やまれます。おそらく、製薬業界が行政に働きかけて、意図的に名称を変更したのではないかと察せられます。

(新薬は燃科の副産物?)
世界的に見た場合、医学界が自然療法を採用せず、患者をクスリ漬けにしてしまった真の原因はどこにあるのでしょうか。世界を支配する金融界のメ力ニズムの中、とくに活発に活動しているのが医療分野で、これは世界的な傾向といえます。その大きな理由は、各分野の中で、医療の分野を独占すれば膨大な利益が保証されるからです。彼らにとって医療ほど儲かる商売もないでしょう。

クスリを主体とした対症療法を促進すればするほど利潤は上がります。それに対して、無限な自然の恩恵を活用すれば、低い経費で効果的な自然療法が可能です。しかし、利潤が少ないために、金融界が支配する医学界にとっては魅力がありません。したがって、医学界は化学物質である新薬を求めます。製薬業界は、実はロックフェラーやロスチャイルドや力ーネギーなどが石油産業から発生させたものなのです。つまり、新薬は燃料の副産物であり、法外な値段がつけられていても、効果については非常に疑わしいといえます。

(いまこそ、医療原点にたち返るとき)
クスリの副作用も急増しています。しかも、かつての副作用にくらべて、肝臓・腎臓・心臓・脳神経系など、主要臓器が冒される例が多発しています。これは石油産業の新薬に切りかえられて以来のことです。こうしたクスリの乱用を警告した優れた医者がかつて日本にもおりました。中神琴渓(なかがみきんけい)です。1799年に彼が著わした『生生堂雑記』の中の2つの言葉があります。

1、病気になってもクスリを服まなければまともな医者にかかったのと同じことだ。
2、軽い病気を重くしてしまう医者がいなくなれば天下の病人の8割は減るだろう。

いまこそ、医療の原点にたち返って、対症療法中心ではなく、ヒトの自然治癒力を重視した方向へ転換しなければならないのではないでしょうか。私とて、医者のはしくれとして、アロパシーを全面的に否定しているわけではありません。ただ、アロパシーばかりでなく、自然治癒力を重視する他の4つの医療体系との融合を図った医療体制の確立を願わずにはいられないのです。21世紀を担う子どもたちの健康を守るためにも、自然治癒力を重視するか、対症療法を重視するか、みなさま方の賢明な選択が望まれる重大な岐路に立たされた最後のときといえるのではないかと考えております。

自己浄霊とやらを始めてみようか

自己浄霊について2

だいぶ前に書いていたのを発見、いや思い出したので、どうもあの時は乗り気になったいたんだけど、あんと言っても飽きっぽい性格、いやけじめの付けられない性分の為か、そのまんまにしてありました。

自己浄霊
時のごとく自分で自分を施術する事になります。
これなら、だれにも迷惑はかけないし、効かなくても意地悪を言われないから安心だーーーと。
最初から言い訳がましいのですが、治る場合もあり治らない場合もあるって考えておいた方が楽ですから。


自己浄霊があるって事は他者浄霊もあるって事ですね。
しかし、今回は他者浄霊はちょっと置いといて、まずは自分を自分の身体からいたわってあげる事が大切ですね。

あなたは何かの集合写真をなつかしく眺めている事があるでしょうか。
たとえば修学旅行の時の写真、何かの団体での行事の写真、友人達と一緒に集まって撮った写真、とにかく大勢集まった時に撮ってあった写真を眺めているとき、あなたは誰をまず捜しますか?

そうです、あなたが一番気に掛けている人をまず見つけようとするでしょう。
その気に掛けている人が一番大切な人になるかも知れないのです。


自己浄霊とは、まず一番大切なご自身の大切な身体を癒す方法として使えたら素晴らしいものとなるでしょう。
いやいや私は自分の事を捨てておいて、他人様の事が一番気に掛けているという人は、おそらく写真集を眺めていても、自分の姿は最後の最後に発見することでしょう。
その方は自己浄霊は卒業していらっしゃる方です。

別に他者浄霊の講座をお受けするのが良いかと思います。

ここでは自己浄霊にまずは絞って始めたいと思っています。

では、その自己浄霊とか言うものが果たして誰にでも出来るのだろうか?
それは僕にも分かりません。
そんな事は出来ないと思う人は出来ないかもしれません。しかし、おそらく出来るだろう。
なぜなら、過去においてこの地球上で誰かが行った事なら、同じ人間として出来ないはずはないと。
そんな考えがあっても良いだろうと肯定できる人なら、おそらく出来るでしょう。


では、条件は何だ?
「はい、それでは行います」って事の様には行かないだろう。
「そう思えばそうなる」でしょうし、「なんだ、マネしてみると案外うまく行くじゃあないか」って風に、思いもよらずうまく行ったりして。

そうです、さして条件はないです。
ただマネをするだけ。
でも、昔は「○○」とかいうものが必要でした。それを首から掛けてやると誰でも出来るというのが、昔から正当な浄霊法でした。

だけど、今は21世紀。
あえて、このような「お○り」とかを使わないでやってみる。
だから、誰それのパワーを戴くとか、何それの団体に入るとかのめんどうな事はパスして、まずは「マネをしてみる」というスタイルです。

もしも、そこから何かを得られるなら、これはもう少し発展して、本格的な浄霊法をマスターして、おっかない奥様でも、嫌われているお嬢さんにでも、そこら辺のおっさん、おばさんにでもやってあげられるし、第一、自分ができるなら、誰にでも出来るのだろうって、面倒くさいから「あなた自分でやってちょうだい」って風に教えるだけですむ。

そうなると、誰でもできるものなら、お金もいらないし、組織などにしばられる事もないから、気楽に安心してやれる。

こういう風にやりましょう。
もう、好きな方法で、別に名前を変えても結構、要は浄霊では独占する所は何もないって事です。

なぜかって?
それは皆が神様だから。
いやいや、私はそんな立派な神様なんかじゃない。
って?
いやいや、そんなあなたが立派な神様の化身なんです。
いえいえ、こんな下品な野卑な私がとてもとても・・
いえいえ、それが神様の化身なんです。そういう分身としてあなたは自分の世界を表現する為にこの世にご光臨したんですから。
そのままが神の表現の一部なんです。
だから、偉い光の存在だけに神様が宿っているわけじゃあないんで、ただあなたがその役割を演じる為に希望して生まれて来ただけ。

あなたの奥にはちゃんと神性が潜んでいらっしゃる。
だから、自己浄霊なんて事ができちゃうんですよ。

聖人君子だけが神と思いこんでいただけの事。みんなそれぞれ表現が異なっているだけの事。

そんな事をちょっとだけ知って、
「エヘン、オレは神なり、光なり」とかなんとか思っちゃって、試してみたらどうですか。
「瓢箪から駒」と言うじゃないですか。
やってみたら、案外、自分の崇高な神性を認めちゃったりして・・
(おいおいこんな事を書いている自分は?)


いやここで勘違いしてはならんのは、
自分は神なり、光なり、ってのは当たってるんでしょうが、
「自分だけ」って錯覚しちゃあ、せっかくの光も失ったりして。
神は自分だけじゃないんです。そこらじゅうの他人も神なり光なりって事でして。

なにも人よりも強い光が発揮できたりしても、それは一時のこと。
亀さんがのこのこと追い越してしまうんです。

だから、まず自分は素晴らしいと思いつつ、自分だけじゃあ無かったんだねって事を忘れないなら続いてくれるんじゃないかな〜


では、具体的にはどうすんの?
そうですね。いきなり「はいどうぞ行って下さい、自己浄霊」って言ったってね。

それでは、僕が過去の経験から具体的なやり方を説明して行きたいと思いますが、でも、過去のやり方と言ってもそれはある条件があったから、その条件の「一番重要な点を抜いて」やるってことになります。

それは何か?

力の本源が他者からグッズ?だったのを、グッズ無しに素のまま、つまりな〜んにも無しにやってみようっていうわけです。


そのグッズ?って??

はい、特殊能力者が創って出していたもの、実はそれが誰もが即出来るようになる仕掛け、いやいや受信機みたいなもの。
そう、「記念品」、そして皆さんが嫌いな宗教でいえば「お守り」というもの。
先に書いておいた「首からかけて・・」というものの正体ですね。


この内容は何か?
はい、特殊能力者が和紙に筆で墨書きしたもの。そうある文字を書いていたのです。
その文字って?

「浄」ですね。 浄めるという意味の浄。
そして、三段階になっていて、「浄力」、そして「大浄力」と書いてある和紙を畳んで首にかけるだけ。

はい、それで「浄霊施術者」がいっちょう上がり〜〜〜
ってのが真相だったわけ。
もちろん、そこには「信じる」とかなんとかいう、個人の想いなど全然関係なく出来ちゃうわけ。
これホントでした。
実際、僕が始めてその「記念品」(お守りでもよいけど)を掛けた途端にその力が発揮できたのです。
うそじゃなかったけど、それを体験しない人は信じるから出来るんだと言い張って、信者だからとか言って理解できないのね。

考えてもみなさい。
何も無い内から「信じよ」などと言って、「はい信じます」と言葉では言っても、心の奥では「何もないのにどうして信じられる?」
ハッキリと言って、「疑っているよ〜〜」というのが正直な奥の気持ちでしょ。

それが「うんと疑っていてもその浄霊という癒し方法が出来る」という、この魅力は大きかったなあ〜〜

しか〜〜し、段々と宗教的になって行ってしまって、最後にはどうもおかしくなってしまったこの特殊能力者でした。
この人もパイオニアでなくて、その上に居た人の弟子でしたけど。
まあ、その人だけでなく、この力の素晴らしさに酔いしれてしまった吾々も同じ責任があったのだろうけど。
どうも、この独りの特殊能力者崇拝が失敗になっていたのかも。
しかしその「失敗」が次の「成功」を生み出すことかも。そうなると、これは課程の一面であって、土台になっているのは間違いない。うん。


だから、これからはある一人だけの特殊能力者だけのものじゃなく、人類なら誰でも「奥にその力が潜んでいる」という事を前提にしてやろうと想うわけ。

だから、その様なグッズをあえて廃止、無くしてやろうという試みなんで、それに賛同できる人たちが集まってわいわいがやがやと体験しながら、情報を持ち寄って、小さな集合意識を創って、段々と中、大と集合意識を拡大して行くと、これは大きな光の輪ができるんでないかい・・・
などと、独り合点している僕です。


このブログに好きな様に書いて、見る相手も分からんし、反応もあるかどうか知らんけど、まあどうでもよいわい、全部自己満足でやってるだけだから。

今日はこの様な決意を書いてみました。
僕の決意はころころ変わるから、これもあまり当てにはならないけど。

浄霊と除霊について

浄霊について
浄霊法とは文字通り霊を浄めるという意味です。
テレビの番組などで浄霊と言いながらも、除霊をしている風景をよくみかけますが、これは本来の浄霊とは異なっていると想うのです。

除霊は憑いている霊を取り除くという意味合いだと思います。
憑いているというのは、憑依している霊という意味でしょうね。
つまり、本来は自分が肉体と同化している霊的存在なのですが、それ以外の霊的存在が被さって来ると言うような意味でしょうか。
例えて言うと。
乗り物で言えば一人の運転手が一台の車を動かしているのが普通なのに、そこへよそから別の人が乗り込んで来て運転手が複数になるという様なかんじです。
乗る車は一台なのに、運転手が2人以上複数になったとしたら、どうなるでしょうか。
最初からこの車の運転手は専属に決まっていたのに、後から乗ってきた別の運転手のために操縦がうまく行かなくなるということでしょう。
本来の主人とも言える霊体が一生この身体をかりているのに、途中から別の霊体が乗り込んできて勝手に身体を使い始めたんじゃたまったものじゃありません。
だいいち混乱してしまいます。
なんか自分の今までの方向とは違ったような違和感があるでしょう。
そんな時、よく霊能者(霊体が見える人など)が「この人は憑依されている」と言います。
そして、余所から入ってきたと思われる霊体を身体から出ていくように指示したり、何か呪文を唱えたり、一種のパワーを送ったりします。
それを「除霊」と言って、本来の霊からよその霊を取り除く事をするのです。
しかし、最近ではこの方法をどこからか使い始めたのか、「浄霊」と言って、霊を浄めるという事と混同し始めたようです。

浄霊と除霊は似ているのでしょうが、本質的には大きな違いがあると思います。
浄霊は霊体そのものの曇りを浄める働きで、その人の身体の霊体そのものの掃除と言っても良いでしょう。
しかし、除霊は本体てある霊体を浄めるより、その霊体の曇りに乗じて憑いてくる霊を追い払うだけですから、本体の曇りは取れていないのですからないのです。
だから時間経過とともにまた、いつ別の霊が乗り込んでくるかも知れません。
ちょうど、現代医学のように対症療法でしかありません。表面に現れた症状だけに対処して、一時的に苦痛を取り除くだけの事です。
本来の病気の原因となっている身体の汚れ、つまり血液の汚れそのものを消しているわけではないからです。

浄霊法が霊を浄めるというのは、霊体一致の考えからいくと、霊の曇りとは血液の汚れのことです。血中の毒素がすなわち霊体の曇りとも言えるわけです。

ここでよく霊が憑くとか言うのは、自分よりも低いと見られる霊体がよそからやって来て同居してしまう状態の事でしょう。
ここでよそからの霊がもし自分よりも高い水準の霊体だとしたら、どうでしょうか。

そう言う場合には明らかに今までの自分とは意識が高いという感覚を覚えるような事が起こります。
物事が的確に見えるというか、知らなかった事も明確に知り得るとかの様に、今までの自分に無かったもっと素晴らしい自分を感じるというような状態です。
こういう時は昔からよく「神懸かり」と言われたようです。
しかし、その「神懸かり」もその神が本当に向上している霊体なのかどうかは最後まで分かりません。
一時良いようでも後で飛んでもない事もあります。
奇跡が起きたから高級だとは言えない所があります。人間世界でもよくあるように、腕のいいペテン師、詐欺師は最初は本当にうまい話を作り上げて騙し始めます。
そして最後はどんでん返しでいっぺんに底へ落としてしまう事になります。

だから余所から憑いてしまったと思われるなら、上も下もない、本来自分の運転手は自分だけにしておいた方が自然なのでしょう。

そこで余所からなぜ別の霊体が憑くかというと、ちょうど楽器の共鳴現象の様なものと考えられます。
ギター、ピアノ、いろんな楽器に起こる共鳴現象はそれぞれ固有の振動数を持っている様に、人にもそれぞれの固有の振動があると思われます。そして、本来の自分にあった霊体が自分そのものになっているのでしょうが、別の要素が含まれてくるとその要素の振動にも霊が共鳴できることになります。
その別の要素を「霊の曇り」と呼んでいるわけです。
そして体的、物質的には人においては血液の不純物として見るわけです。この不純物とは一種の毒素であり、それこそ種々雑多であり千差万別と言えるでしょう。

同じように霊体として見ると、青空にいろんな雲が出来るように、種々な霊の曇りとして存在することになります。

そしてこの種々な曇りと同調できる霊が一種の共鳴現象として憑いてしまうわけです。
除霊はその余所からの霊を本体から切り離すことですが、依然として霊の曇りが解消されていない状態ですから、いつまた何どき、再び、もしくは別の同調できる霊が入り込んで来れる可能性があります。

やはり根本的には対症療法では治らない現代医学と同様、再発を繰り返すことにもなりますから、身体的には血液の汚れ、毒素を排泄させる事、霊体的には霊の曇りを解消する事が根本の解決になるわけでしょう。

以上、「浄霊」と「除霊」の根本的な意味の違いを簡単に説明してみたものです。

「除霊」は、憑いた悪いものはどこか飛んで行け〜〜〜〜という対症的一時しのぎ
 
「浄霊」は、悪いものが憑かないような状態にしちゃえーーという根本的解決なもの

そして、その後重要な事は
それぞれ言葉の惑わされないということです。

これが非常に難しいと思われるとろろです。
「浄霊」と呼称していても、それが果たして真実なのかどうか?
もうひとつ。最初は真実らしかったけど、時期とともにそれが消滅していたなどと言うことも考えに入れておかないと、その時点でいちいち判断して行かないと判らないこともあります。

そんな理由で今こてが本物だとか、真実だとか言っても言われても、それを直ぐに信じてはいけないこともあり、嘘だと思っていてもそうでなかったなどということもあり得ます。

そればかり考えていると何も出来ないので、まずは浄霊という実践方法を探って自分にとって出来る範囲の真実を確かめつつ進む事しかありませんので、以上の注意点を頭にいれつつ実践への手がかりを見つけて行きましょうか・・・・・。


追記
腐ったものにハエが寄ってくる
浄霊ーーー腐ったものをきれいに掃除する
除霊ーーー腐ったものは構わないでハエを追う
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