風邪の効用再び  医学と異学の違いは歴然としている

どうも昔から言われて来た風邪は万病の元
これは一面真実を表しているのだが、それはこういうわけだろう。

風邪をひくとこれは身体の故障だとか、何か悪いことが起きたとか、悪いウイルスがくっついたせいだとか、まあ大体こんな感じで、だから「風邪をひかないように」「風邪に気を付けて」などと親切そうに人様も自分も他人に言ったりする。

そんな世界の常識(今はたぶん)をぶちこわすことを言っていた人が居たのだが、なにせこの方は宗教家であった。

残念ながら、宗教即迷信、恐ろしい、怖い、人をだます・・・・

こんな気分にさせてくれるのが今の世の中だろう。これも無理もない。
かくいう僕もそのひとりであった(宗教の信者であった)からだ。自分は唯一正しい宗教だから例外である^^) という強い信念のもと、堂々としたものだった。

で、結果として、今はたたかい破れて賛馬鹿あり・・・・・でもないが、宗教信者をやめて普通の人になってしまった。いや、その反動でか、よりお下劣な奴に成り下がってしまった。

まあそれでも良い、これが僕自身の正直な姿なのだから。
力が抜けた分、より広く受け入れることの体制ができたのだ。ちょっと無分別過ぎるところがあるが、それもおいおい修正して取捨選択を繰り返してゆけばよいだろう。


お・・

そういえば風邪の効用についてだった。
ここで僕がその時分に教えられた風邪の原理であったが、いまだにその原則を信じているのは、やはり脱宗教ができていないのだろうか?

それとも、この話にはいまだ共感できるものがあるからだろうか?

これは決して全部が正しいとか言うのではない。
各自が取捨選択を自由にして、必要な所だけを取り入れて貰えば、ちょ〜〜うれしい のだけど・・



http://nigoron.hp.infoseek.co.jp/3kanbou.wma


これは音声版となっているが機械読みである。
僕が読んでも良いのだがちょっと言語障害気味であるのと、方言がね・

あと下の所もいろいろありで、もうそろそろこの中の論の検討を医学者たちもしてほしいものだ。

近頃では某医学大学でも「もう現代医学の限界がハッキリと見えてこのままではどうしようもない」という所も出てきたそうだ。

知らぬはほっとけじゃない、いっぱんの大衆さんばかりかな  という具合に、
僕が宗教を止めてしまったのに、彼らはまだまだ脱宗教を成功できないでいるようだ。

大衆の堅く信じている宗教ってのは
もちろん
現代医学教
のことだけど、彼らの悲しいことには 自分自身で宗教の信者なぞとは、いっこうに気づいていないことだろう。




↑は音声版、まあ文字読むよりは楽だろうけど。

文字版は↓





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人は必ず死ぬ

まあ、当たり前の話だけど。
しかしこの当たり前すぎるほど当たり前の話が通じないのが生きている者の欲とでも言うのだろうか。

これを強欲と言うか、自然に備わっている生存欲とでも言うのだろうか。

あちらの世界からこちらへ生まれてくる時は とても恐ろしいという。
でも、こちらでは誕生してきた子供を祝福してお祝いする。

あちらの世界では戻ってきた時に大いに歓迎されて、しかも帰ってきた魂はほっとするという。
そうとう苦難の旅であったときはそれもひとしおの想いなのだろう。

しかし、こちらではあちらの世に旅立ったと言う。
そして、皆がとても悲しんで「かわいそうに」などと言う人もいる。

特に若い年の人が死んだりすると、何かとても間違っているような感覚でみてしまう。
「どうして?」とか何か間違っているという前提を作ってしまうくせがあるようだ。

だから、その重大な原因が何かあるはずだと考えてしまう。
そこには「何か間違っていた」生き方があったとか、「なにか間違ってした」ことがあったとか、

いろいろ詮索をしてしまう。

でも、本当にそんなに簡単に原因があるのだろうか?
人に人の死の原因など分かるはずがない。
だいいち、その人の寿命も分からない、だから、他人の死期をハッキリと言い当てる人など居ない。
それどころか、自分の死期さえも分からない。

そんな人に原因だの間違っていただの、そんなこと分かるはずもないのだ。

だいいち、若くして死ぬことが本当に間違っているのだろうか?
長生きしていることだけが本当に正しいことなのだろうか?


まったくそんな事には関係なく人はこの世に旅立ってきたとしたら、
しかも、波瀾万丈、とても悲惨な人生だったとしても、

自分の予定コースになっていたとしたら、

ゲームセンターでゲームをするときに一番のめり込むとき、我を忘れている。
そしてゲームが現実そのものの様に錯覚してあつくなっている。

人生のゲームに入るとき我を忘れているとしたら。
その我とは 自我(別名エゴ)でなく、大我、真我のところであったら。

死とは自我から大我、真我へと意識が拡がってゆけるとても良い切り替え時なのだろう。

ゲームセット、そして、また新たなゲームに向かっての楽しみがある。
ただ、死の直後はその現実感の興奮さめやらぬ自我がまだ残っているから、ちょっとの間に癒しの期間が必要だろう。

あ〜〜あ、少しゲームの余韻を楽しんで、あとはちょっと癒しランドでも行って逗留してさっぱりとしてくるかな〜〜〜〜


ほんとにほんとにご苦労様でした。
また合おうね。
まだ僕は迫真のゲームで現実感たっぷりに味わって生きてゆくよ。

泣いたり笑ったり、落ち込んだり、感動したり、
こんなに山あり他にありの高揚感は、あちらで味わえないのだろうね。


では、またお会いしましょう。
    偉大なる先輩であり、友である貴方へ



飲み過ぎ食べ過ぎはエネルギーを使うのだろうか

友人というよりこの道?の大先輩のお通夜と告別式だった。
ちょうど彼岸入りに旅立った(本当は旅立ちでなく、こちらが旅先なのでお帰りになったのだが)

まだ53才であった。
才能あふれる、気持ちも最高なのに、どうして・・・・と、人は思うかも知れない。

しかし、僕は思わない。

この世の成功とか不成功などは目的で旅に出てきて居るんじゃないからだ。
しかし多くの人は人生の成功を夢見て、また目的として生きているような錯覚をしている

人生に目的があるとしたら、それは「今の体験を味わう」ことだ(ということにとりっぜず共鳴している)

地位や名誉お金を求めるのはなぜだろうか?

今の自分が不完全だと思うことが一番じゃないの。
この不完全な人間を自分で認める事が出来ないから、他人から認めて貰おうとする。

それには衣が必要だ。中身より多くはこの衣を評価するからだ。
中も立派なら外も立派なはずだという固定観念。

衣を評価して貰うために人は必死になっている場合がある。
もっともっと・・もっと

オレは私は   すごいんだ。
(ほんとうは今すごくないと思っているからもっともっとすごくなろうとする)

どんどん進化している、高く高く進歩している オレ

ということは未来にそうなるなら、  今は そんなにすごくないということか。

そんな事はわかっている!

と知ってはいるけど やはり 自分で満足しない自分を他人から思う存分高く表亜kしてい貰いたい

だから もっともっとがんばろうとする。
今のままで最高なんだと自分に言い聞かせても、自分の中のなにかが反発しているからだ

それじゃあ、あんただめだよ。もっとがんがらなくちゃあ
そんなに堕落した人生じゃあ 何のために生まれてきたの?

こんな声が聞こえている。


いつも
もっともっと立派になって、幸せになって、金持ちになって、出世して、・・・
あれもこれも持って・・・・・・・


そうして疲れて くたびれて  


春はやはり山菜採りが一番のエネルギー補給になる
そうして、ここでももっともっと もっと いっぱい採ろうとして  



がんばっているオレが居た・・・・

あきょ〜〜〜ん

死ぬ前にきづけよ!!


題名と全然関係ない話になってしまった。
キーボードに打つままそのままアップだから、どうでもよいのだが

不食という人類の最大テーマのひとつ

とんでもない情報が氾濫している
そして、
とんでもない人間がその中に突然うかびあがってくる

そのたびに ボクは叫ぶ

あきょ〜〜〜ん


この本は知り合いの家に行ったときに貸して貰ったのだが、あまりにも破天荒すぎて
どうコメントしてよいか分からん。

人は食べないで生きられる

こんな非常識なことが一人(いや世界は広いから何人もいるかも知れない)の人間が日々行ってきたのだ。

それも越後の片田舎(僕はそれがどこの辺かはおおよそ検討がついた。昔仕事でよく通ったこともある)であるのだ。

あの船井幸雄さんも注目して会見したという記事も見つけた。

確かに食べないで生きられるなら、これはもう革命だ。医学も栄養学もちゃんちゃらおかしくなる。

やれビタミンだのミネラルだのいう栄養素的な思考法はまったく通用しなくなるのだ。

だって、食べないのだから。

当然外国から流行ってきたサプリメント類などまったく問題外である。

だって食べないのだから。

これじゃあ おまんまにならん!

とか言って職長(古いか?)が部下を叱咤激励する言葉も通用しなくなる。

明日のめし〜さ〜あ〜え〜〜  とかいう歌謡曲の歌詞が陳腐になる。


とにかく飯を食わないのだから。

これは大変だ。

たしかどこかの神示に 半霊半物質の人間が登場する時  が来るとあったが、まさかこんなに早く
そのサンプル的にんげんが登場するとは。

パーソロミュー?だったか、
あなたはこの世界で見た人(存在を知った人のこと)が居たら、あなたはそれになれるのだ

つまり、大聖人であろうが大超能力者であろうが、それを知った時あなたはその人と同じになれるという意味のようだ。勝手に解釈してイエスだろうが釈迦だろうが、また僕の知っている教祖様だろうが・・・また、河原生活の乞食だろうが(これはなりやすいって・・?)


もちろん、「そう思う」確信が必要なのだろうが。、


たいていは「自分には無理だ」と思うだろうから、それは「無理な現実」となるだろう。

「何にでもなれる」確信が起こせさえしたら自分は何にでも成れる。

こういう事のようだが。

頭ではなかなか納得させるのは大変だ。
毎日言い聞かせても、たいてい心の中に「どんなもんかなあ」という反発心が起きている。
きっとこれらはセットになっているんだろう。

潜在意識がどちらの方の言うことをきくのか?  たぶん無意識に起こる反発心の方がインパクトがあるのかも知れない。

だから頭で分かっていても身体が言うことを聞かないのかも。

では身体に強制的にそれを認めさせるしかないだろう。

これでもかと身体に慣らさせるのが一番なのかも知れない。

そういえば、最近の浄霊があまり強く感じられない。
これは体験が少なくなったせいかも知れない。

我々は体験によってそれを確信を深くするのだろうから。
ご無沙汰していると段々と効果が薄くなるのは、身体の方が(潜在意識的か)それを肯定できる
ほどの体験が少なくなったので影響するのかも知れない。


だから、体験することが必要だ。事実を重ねると嘘でも真実になる  というほど、肯定の真実は強く作用する。

それでは
物喰いながら 「人は食べなくても生きられる」とかいう本を読んでみようっと。

どうも僕の食い意地は生半可でないから、これを納得させて気持ちよくさせてだましだましやらないといけないようだ。

花粉かふんカッフン! ヅルヅル〜

相も変わらず花粉症が大流行だという
もうこんな事はいい飽きたが、また言っておこう。
なにせここはひとりごとコーナーだからね。


結論。
花粉症が増えてきている原因
 
地球の浄化力が強くなった。
人の体内の入らないもの(毒素汚物成分)が増えた

花粉はきっかけでしかない。
触媒だかもね。
 浄化促進というきっかけを作り出してくれるんだな

以上はわたしの勝手な解釈であるから、賛同者も反対者も自由に考えて欲しい。


まあこんなとこも再掲してみたのだが。

風邪の効用

言っても言っても信用されなかった風邪の効用
風邪は万病の元と言われて何世紀たったのだろうか?

そんな常識が頭の中にどっぷりと染みついてきたのが現代人。
だからいくら「風邪には効用がある」なぞと言っても、がんとして
受け付けない。

何とかは風邪をひかないとか言われるが、健康だから風邪をひかないのか、それとも・・・・・・・


実は現代人はどうしても風邪をひいた方が良いくらいなのだが・

おっと〜〜、これはわたしの独断であってひとりごとだからね。

これにはふか〜〜い訳があったのだ。
もう現代人は風邪をひきまくった方がよい。風邪様々なのだ。

この風邪の原理が分かったらもう風邪なんか怖くない、いや、

好んで風邪をひきたいくらいになるかも知れないのだ。

http://homepage3.nifty.com/himaari/doc44.html

これをもう一度

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